就寝前のひととき
酒場での隠密的な盗聴に成功し、手詰まりな現状を実感したラヴィリアは、サクタと別れてボロボロのの工場へ向かってみた。やる気だけは満ちていたブラッドと合流しようとしたのだが、ブラッドを見つけることはできなかった。てっきり一人で嬉々として掃除をしているものと思っていたので、肩透かしを食ったラヴィリアである。ブラッドなりに何かを考えて動いているのだろう、とそのまま放っておくことにした。
ランドレイク家に戻ると、キリッとした真顔のサクタが夕食に誘いに来た。エスコートするように曲げたサクタの左腕を見せつけられて、ラヴィリアは素直に「うわあ」と引いた。ジェントルマンな様子ではあるが、下心が立体感を持ってすけすけである。触りたい触られたいもっと近付いてべったりしたい、と真顔ながらも顔に書いていた。
すかさずレイモンドがサクタを引っ張り遠ざけた。
「ラヴィリア様はお疲れのため、食事は自室で取られます」
「いや待て、レイモンド。ラヴィリア様には夕食の間に、この町のことをさらに詳しく、それはもうとことんお話をしようと……」
「それは私めが承りましょう。さあ、ダイニングルームへ参ります。さあさあ」
「待って。ちょ、ちょっと待ってお願い。
俺にラヴィリア様との時間を」
「はい?」
「あの銀色の可憐な花のような人を口説かせてくれ。俺の持つ全力でもって、ひたすらに永遠に口説きたい。溢れんばかりの甘い愛の言葉で、愛しのラヴィリア嬢を口説き落として、親密になりたいんだよう!」
「時間の無駄でございます」
「溢れ出る愛の言葉が俺の脳内で渦巻き、とどめいているんだ。
ああ、愛しのラヴィリア嬢。あなたの姿を目にしただけで俺の鼓動は嵐の夜の雷鳴のように激しく鳴り響き熱い想いが身体中を駆け巡り焼き付くす痛みを伴う切なさに俺の心は……」
「はいはい」
「レイモンド、軽く流さないでくれる? そしてなんでそんな力強く……ああ、だめえ、引っ張らないでえ……!」
レイモンドに引きずられて去っていくサクタのセリフは、フェードアウトして静かに消えていった。レイモンド、できる副官である。
ラヴィリアはサクタの消えた、というか力ずくで連行されて行った長い廊下を見ながら嘆息した。
本当に、あれさえなければいい人なのに。
◇ ◇ ◇
カナメの給仕で食事を終え湯浴みをし、寝支度を整えたが眠れそうにない。
工場の運営企画書をもう一度見直してから休もうと思い、ラヴィリアは書類を手に机についた。
カナメがいつものように、就寝前の薬湯を持ってきてくれた。寝つきが良くなり美肌効果もある、カナメ特製の薬湯だ。毎晩欠かさず飲んでいるが、これを製品化して市場で売ったら高値で売れるんじゃないか、とは思っている。
「カナメ、もう休んでちょうだい」
「ですが……」
「あなたも疲れたでしょう。早く眠った方がいいわ」
「……わかりました。無理なさらないでくださいね。
隣の部屋におりますので、何かあったらお呼びください」
「ええ、ありがとう」
カナメはラヴィリアの隣に部屋を用意されていた。エドワードの屋敷では、カナメと二人で小さな侍女部屋で寝起きしていたので、少し新鮮である。ラヴィリアの身分からすると、ランドレイク家の差配の方が妥当なのだ。
苦いような酸っぱいような甘いような薬湯をちびちびと飲む。味に関しては保証できないのでやっぱり薬湯は売れないかしら、とカップをことりと置いた。
ラヴィリアは運営企画書の、始まりの部分を目にした。確保したい作業員の数と、後日やって来る職人の数が書かれている。具体的な数字を目の当たりにすると、目の前が暗くなった。
今日聞いた、漁師たちの言葉が脳裏に思い出される。
『陸でなんか働けるかってえの』
『貴族様の娯楽に付き合うんじゃねえ。まともな仕事とも思えねえ』
『アクセサリー工場なんぞ、どうせすぐ頓挫する。海の町で海に頼らん仕事は長持ちしねえ。放っておけばいい』
海の男たちの労働力は期待できそうにない。
これほどまでに拒絶されるとは思ってもみなかった。定数には及ばないにしても、作業員の応募にはいくらか反応があると思っていたのだ。別に仕事のない漁師の足元を見た給金額に設定した訳でもない。
『責任者といっても。ラヴィちゃんは、にこにこ笑ってればいいのよお。後はなんとかなるからあ』と言っていたのは、ヴィヴィン商会会長のソーラ、エドワードの母である。なんとかなるなんてとても思えない状況に陥っているのだが、それは予想はしていたのであろうか。
いや。予想はしてないと思う。初っ端からつまずくなんて、企画書には一ミリも予想されている気配がない。
工場の建物がボロいことも、作業員が集まらないことも、綺麗にスルーして企画書は次の段階に進んでいる。というか、作業員が集まらない時点で、この企画書はただの紙ゴミだ。
全然話が違うじゃないですか、お義母さま。
ラヴィリアは額をごつんと、机に打ち付けた。痛みが走ったがそれに構う気力がなかった。脳内は行き詰まった焦りと切迫感でいっぱいだ。
うう、どうしたらいいの、もう。
ラヴィリアは自分の取った姿勢に、デジャブを覚えた。机に額を打ち付けて身動ぎ出来ないでいる姿勢。この姿勢を、傍から見たことがあった。
ドレスのお直しを頼んだ時のエドワードだ。
ドレスの直しだけで金貨五十枚、と聞いた時に、そういえば頭をテーブルに打ち付けていた。
行き詰まると、同じような姿勢になってしまうのね。似たもの同士、ということかしら。
ふいにラヴィリアは顔を上げて、目の前においてあったポーチに手を伸ばした。
ポーチの中から小さな巾着を取り出し、巾着から小ぶりなハンカチを取り出し、それを開いてガーゼに包まれたものを取り上げ 、ガーゼを丁寧に剥がしていく。
中に入っていたのは、バラけないよう糸で結ばれたチョコレート色の髪だ。
エドワードの髪だった。
ラヴィリアはエドワードの髪をそっとなでた。ラヴィリアに髪を撫でられて、「え、何? 急にどうした?」と戸惑うエドワードが見えてきそうだった。
「エディ。わたくし、初っ端から行き詰まってしまいました」
チョコレート色の髪にボヤいてみた。
ヘアケアなどまったくしていなそうなエドワードだが、チョコレート色の髪は艶やかである。ラヴィリアにとって、見ていてほっとする色だった。
「海の男は、陸でお仕事したくないんですって。なんのこだわりなのかよくわかりません。ノース港でもそうでした?」
エドワードの髪を撫でながらつい愚痴が出てくる。エドワードもよくボヤいて愚痴っていたものだ。
ノース港での話も聞いたことがある。
そういえば、エドワードはノース港で、初っ端から海に投げ込まれて死にそうになったんだっけ。
『透明な海の底から見上げると、太陽の光が差し込んですごくキラキラで綺麗だった。俺の人生最後に見た景色はこれか、悪くないって思ってたら』
金色の髪がぶわっと広がって現れて、海の底から引っ張りあげられた。マシューが海に飛び込んでエドワードを引き上げたのだ。
地上に戻ってから海水をげえげえ吐いた。そんなエドワードを、子供たちが指をさして「溺れてる、ダセエ」と大笑いした。もちろん囲んでいる大人達もだ。
その後キースがお前面白ぇな、と言い出して仕事が進み始めたとか。
そういう、なかなか壮絶なエピソードを話してくれていた。
ラヴィリアはエドワードの髪を机に置いて、自分に起きた今日の出来事を改めて思い返してみた。
大きすぎるおんぼろ工場三棟を前に呆然として、海を見てはしゃいで、寂れた町の状況を説明され、作業員募集のチラシを酒場に貼らせてもらった。
今日のラヴィリアは、海に投げ込まれていないし、死ぬ直前の最後の景色は見ていないし、指を指されて笑われてもいない。
ただセンラクの町に来て、海を見て、漁師たちに顔を見せただけである。
……わたくしまだ、何もしていないに等しいですね。
できることは、必ずあるはずだ。
また明日、ちゃんと現場を見てみよう。行き詰まったと匙を投げるにはまだ早い。少しずつでも前に進まなければ。
ラヴィリアは、再びエドワードの髪を両手で包み込んだ。
真摯な気持ちでここにいない婚約者を想い、自分の気持ちを新たにした。
できることは全部やってみよう。諦めないで何度も挑戦してみよう。そうしたらエディと再会した時に、「わたくし、やってやりましたわ」って堂々と言えるはず。もう、すごーく上から、言ってやるのです。
エディはきっと、きょとんとした後に笑い出します。「そうだね」と褒めてくれます。わたくしはその笑顔を見るために、今頑張るのです。
ラヴィリアは手の中のチョコレート色の髪を愛おしげに撫でて、元のように丁寧に包み直した。エドワードの髪をポーチにしまい込んでベッドに向かった。明日のために少しでも睡眠を取らなくてはならない。疲れている場合じゃないのだ。
だけどちょっとだけ。ほんのちょっとだけ贅沢を言うのなら。
夢で、エディに会えるといいな。
王族の姫様らしからぬ子なんですけど、ちゃんと乙女心を持っているラヴィちゃんでした




