自給自足
実のところラヴィリアは今、非常に困窮している。
分かりやすく言うと、ものすっごい貧乏なのだ。
王宮から渡される生活費が最低限を割り込み、節約生活をせざるを得ない状況が続いていた。何度国王に嘆願書を送っても改善することはなかった。生活費を削りまくって過ごしてきたこの数年。
売れる高価なものはできる限り売りつくし。王宮から連れてきた従者はカナメ一人で、最低限の屋敷の管理は山の麓の村人に定期的に依頼している。王宮から連れてきた従者たちは給金が払えなくなり解雇せざるを得なかった。
今はラヴィリア自ら森に入ってキノコや果実を取り、花壇を畑に変え、気のいい猟師に教わった罠で野鳥や小動物を狩る日々。
今日は使者が王都から来ることが分かっていたのでドレス姿だが、普段は古着の平民服にアイスシルバーの髪をきっちり三つ編みに編み込んで森をほっつき歩いている。カナメには何度も止めてくれと懇願されているが、軽くて通気性のいい麻や木綿の上下服を好んで着ていた。
井戸から水を汲むのも洗濯物を干すのも鍋の焦げを落とすことも。そこらへんのお嬢さんより完璧にこなす、マリ王国国王王妹姫ラヴィリア・フォンゴート・マリ。
逞しい生活力を身につけたラヴィリアであった。
たがしかし、ラヴィリアは王都での王族らしい暮らしも知っていた。ほんの四年前まではそれが当たり前だったのだ。
ラヴィリアは近くに控えていたカナメにつんと顎を向けた。
「カナメ、尋ねたいのだけれども」
「なんでございましょう、ラヴィリア様」
「わたくしがスファルト王国に嫁いだのならば」
「はい」
「……王宮に住んでた頃に出されていたような。あの、ほわほわの、柔らかくて、ふわって香る」
「……はい?」
「白くて、上品で、触ると温かくて、バターも溶けちゃう……」
「……は?」
ラヴィリアはカナメの手を取って、きらきらの瞳で憧れを口にした。
「アイドル王子と結婚したら。焼きたての白パンって、毎日食べられるのかしら?」
「はぁああ?」
「白パンよ! 雑穀混じりの黒い固ーいパンじゃなくて。わたくし白パンが大好物ですの! でも今の環境じゃ手に入らないじゃないですか。
お金持ちのキラキラ王子様なら、もしかして白パンを毎日食べさせてくれるのではないかと」
「姫様……」
「朝だけでもいいのですよ?朝食で白パンが食べられるなら後は黒パンでも、なんならパン無しでも耐えてみせますわ」
「姫様、発想がすでに不憫です……」
「だって白パン高いじゃないのおおお」
「結婚したら、毎食白パン食べ放題だな」
ブラッドの言葉にふわあああと言葉にならない声を出したラヴィリアがアイスブルーの瞳を潤ませた。少し涎が垂れているのはカナメも見て見ないふりをした。
確かに生活はギリギリなのである。
ラヴィリアが自ら生活を支えるような姫でなければとっくに破綻している。
しかし、今ラヴィリア着ているドレスも丈が短くなり新調が必要で、王家の紋章の入った宝飾品の手入れも専門家の手が必要になっている。王族としての身なりを整えようとした場合、すでに財政は完全に破綻しているのであった。
手元に残る残金と今後の生活を考え俯くカナメの手を、ラヴィリアが両手で握った。にっこりと微笑む顔は天使のようだ。この儚げな様子の深窓の姫君が、食うに困る生活を自力で食いつないだ根性の持ち主であるとは誰も思うまい。
「カナメ、わたくしスファルト王国へ輿入れ致します」
「ラヴィリア様……食欲に負けたのですか」
「はい、白パンの誘惑に……いえ、違います! もちろん白パン食べ放題には絶大な魅力がありますけど。
……なんというか、もうわたくしたち、ギリギリなんですよね?」
思わず目を逸らすカナメ。
ラヴィリアはカナメに優しく微笑んだ。
「ただ生きるためならなんとか生きられると思うのです。
でも、残念ながらわたくしは王族で、王族は王族であるがために見栄を張らなければいけないのです」
「姫様。そんな、あけすけな」
「本当のことでしょう。
このまま山奥で朽ちていくのかと思っておりましたが、お兄様はわたくしの王族の血を政治利用することを諦めては下さらなかった、ということですわね。王族接触拒絶症という病を持っていても」
「……はい。恐れ多くも」
「病のことは一度置いておいきましょう。
まずは王族としての義務は果たします。この輿入れで、マリ王国の安寧が保たれるならそれに越したことはないのですから」
「ラヴィリアさま」
「全く甲斐性のないわたくしですけど。
カナメはスファルト王国まで、わたくしについてきてくれますか?」
「……当然でございます。ラヴィリア姫様の赴く先へ、カナメはいつまでもついて参ります」
「ありがとう。頼みます」
「我も行くぞ」
のんびりとした男の声に、カナメはハッと振り返った。黒い角の根元をボリボリ掻いている赤い目をした生き物がいた。
――そうだ、こいつがいたのだ。
これがラヴィリアの側を離れるとは思えない。そして王族のラヴィリアがこれを従えているなど、他の人間に知られるのはマズイ。非常にマズイ。
カナメの内心など気にもかけず、ラヴィリアとブラッドはのほほんとしている。「白パン食べ放題ですわよ、ブラッド」「うむ。ラヴィの好物な」「白パン一個の値段で黒パン五個買えますの」「ケチな侍女は買ってくれねえよな」と、侍女批判が起こっている。余計なお世話である。
ラヴィリア様、とカナメは声をかけた。きちんと言い聞かせないと大変なことになる。
「これがラヴィリア様から離れないことは、仕方ないことにいたしましょう。
ですが、これの正体を誰にも知られてはいけません」
「……やっぱり、そうなのかしら」
「絶対です。それこそラヴィリア様の命に関わります」
「ブラッドと契約したわたくしは、王族として見て貰えない?」
「王族であろうとなかろうと。教会にバレたら断頭台行きと思ってください」
ラヴィリアはうーんと悩みこんだ。ブラッドはどうしても目立ってしまう。見た目がすでに普通では無い。黒い捻れた角と、血の色をした瞳。
「……どうしたらいいんでしょう。ブラッド、姿を隠しながらついてきます?」
「やだ」
「なんでそこで子供みたいなワガママ言いますか。やだ、じゃないでしょ。
ねえ、カナメ、どうしましょう」
「ラヴィリア様、この者の言う事を素直に受け取る必要ないでしょう。 少しは説得なさってください」
「説得といいましても……」
ラヴィリアはブラッドをじっと見つめた。ソファにもたれてブラッドはいつも通りニヤニヤ笑っている。ラヴィリアがどのような判断をするのか楽しみで仕方ない様子だ。説得など通用しそうにない。
ブラッドなりの娯楽なのだ。ラヴィリアを試して遊んでいる。気にいれば喜んで乗ってくるし、気に入らなければテコでも動かない。本当に主従関係なのかとラヴィリアは悩むことがあった。
自分に理があり、さらに利があり、ブラッドの興味と好奇心を満たす何か良策を考えなければいけない。