ラヴィリア姫のよけいなコブ
コブ、登場。
ラヴィリアがあらためて青くなった時だ。
「何やら波乱の兆候だな、ラヴィ」
「きゃあああああ!!」
足下から声がと思ったら、ラヴィリアの足下にいつの間にやら男の生首が生えていた。
二本の黒い角が生えた夜色の髪の生首は、赤い眼を細めニヤニヤ笑っている。顔の造作は整っているが、白い大理石の床に生えた首は不気味でしかない。
生首はラヴィリアを面白そうに眺めていたが、ふとカナメに目をやった。カナメは勢いよく五六歩後ずさった。
「ラヴィ、またおまえの侍女が必要以上に警戒してる」
「警戒しないわけがないでしょう! どうしていつもドアから入って来ませんの」
「ドアから入る時はノック必要って言ったのラヴィだろ。面倒だし」
「ドア以外はノック不要、というわけではありませんのよ!」
「よくわからん」
生首はよっととか言いながら床から這い出てきた。黒い燕尾服を着た長身の若い男性に見える。もちろん床には傷一つついていない。
カナメが警戒しつつラヴィリアを男から遠ざけると、男はヒヒッと笑い声を上げた。
「そんな目で見るな、ラヴィの従者」
「……得体の知れない者め。ラヴィリア様の側から離れなさい」
「それは無理だ。我はラヴィのもんで、我から離れることなどできぬほど、ラヴィは我を愛し求めているのだから」
「息するように嘘をつくんじゃありません。
契約の時あなたがわたしくしの物になる、とはおっしゃってましたけど。
わたくしはあなたの物になった覚えは一度もございませんの、ブラッド」
名前を呼ばれてブラッドはにぃと口角を上げた。整った容貌であるがその笑顔の奥底にあるものは禍々しい。
カナメはブラッドのことを、ラヴィリアに忠誠を誓いラヴィリアを尊ぶ存在である、と聞かされていた。だがカナメは信用していない。
そもそも床から現れた化け物を警戒しないわけが無いのだ。しかも人には有り得ない血のような赤い目と捻れた黒い角。正直なところ薄気味悪くて仕方がない。平気でブラッドと接しているラヴィリアの方がどうかしているのだ。
ブラッドはラヴィリアの向かいのソファにどっかりと座り込んだ。背もたれに体重をかけ長い足はそのまま放り出している。非常にお行儀の悪い姿勢だ。
カナメの知る限り、ブラッドが現れて以来、ラヴィリアの口調が坂を下るようにぐんぐんと悪くなっていった。ラヴィリアはもともと様々な知識を吸収する素質が高い少女である。それが悪い方向に働いたとカナメは思っていた。それでもラヴィリアらしい気品を失わないあたり、さすが王族と言ったところか。
「そんで?」
「事情が知りたいということ? ブラッド」
「事情を知らずに我が好き放題やってもいいという事だな」
「きっちり説明するから余計な事しないでちょうだいね」
「長い話?」
「そう、長くなります。お嫌かしら?」
「ラヴィが話すなら喜んで。ラヴィの声は我の魂を浄化する」
「……あなた、浄化されたら死んじゃうんじゃありませんの?」
「より闇に近づくのさ」
ブラッドは禍々しい笑顔をラヴィリアに向けた。それはいつも通りのブラッドで、ラヴィリアはおかげで冷静になれた気がした。
……ラヴィリアは衝撃の内容をゆっくりとブラッドに話し出した。他国の王子に嫁ぐこと、王族接触拒絶症の対策はできていないこと、お相手の王子が超人気アイドル的な王子様であること。
話すことで自分の中で情報を揃え整理していく。ブラッドは終始不穏な笑顔を貼り付けていたが。
ラヴィリアはテーブルに置かれた、自分の婚約者になるらしい派手派手しい男の顔を時々ちらりと眺めた。なんだろう。派手な分だけ腹が立つ気がする。
――話を終え、ラヴィリアはだらしない格好でお茶を飲む自分の自由な従者に目を向けた。カナメが気を利かせてお茶をいれてくれたのだ。ブラッドに対しては嫌々出してはいたが。
だらしない格好というのは姿勢のことであって、服装のことではない。ラヴィに仕える身であるからというブラッドなりのこだわりで、彼の服装は常に黒い燕尾服、いわゆる執事仕様である。
ラヴィリアが話し終えたと悟ったブラッドは、気怠げな様子でカップをテーブルに置いた。砕けた姿勢でもなんとなく絵になるのは、この男の見た目がそれなりに良いからだろう。手足は長く浅黒い肌にさらりとした黒髪、赤い瞳は見慣れればさほどの違和感は感じない。むしろ妖しげな雰囲気が醸し出されて人には無い妖艶さがある。黒い捻れた角だけは本性を象徴していた。
ブラッドって使い勝手のない無駄な美形よね、と胸の中で呟いてラヴィリアもお茶のカップを置いた。
「……ということで、お嫁に行かなくてはいけなくなりました」
「それは、あれか? 国王による愉快な自殺のススメ、みたいな」
「わたくしのお兄様はそんなにシャレの分かる方ではなくってよ」
「人って結婚とかいうめんどくさい縛りを好んでするもんな。本能のまま番って大いに繁殖すりゃいいのに」
「森の野生動物と一緒にしないで。
わたくしは王家の威信も背負っているの。これは国策です」
「嫌がらせの間違いじゃねえ? もしくは国がヤバいかの、二択だな」
さらりとブラッドが言い流したが、むうとラヴィリアは考え込んだ。
国がヤバい、というのはかなり信憑性のある話である。
マリ王国の南方にパルカ王国という好戦的な国がある。常に他国の国土を狙ってちょっかいをかけてくるやっかいな国だ。
マリ王国は平地が少なく農地には恵まれていないが、鉱山はいくつか存在し鉱物資源がそれなりに豊富である。その資源を狙ってパルカ王国からの侵略を度々受けていた。今のところは地の利を生かして撃退しているが、きな臭いことには変わりない。
ちなみにパルカ王国の北西地域はスファルト王国との国境もある。こちらは西の港を巡ってちょくちょく諍いが起きている。故にスファルト王国とパルカ王国もいつ紛争が起こるかわからない緊張状態が続いているのだ。
マリ王国としてはスファルト王国と協力関係を築いて、パルカ王国の侵略を阻止したいという狙いはあるはずだ。
「……わたくしがスファルト王国へ嫁ぐことで、マリ王国とスファルト王国の協力は結べるものでしょうか」
「それは国同士で話し合うところでラヴィには関係ない話だろ」
「そうですけど。でも、そもそもわたくし、王族の方との結婚自体が難しいじゃないですか」
「王族接触拒絶症なあ。そこはさあ、なんだかんだホラ吹いて誤魔化してどうにかするしかないんじゃねえ?」
「ブラッド、そういうわけにはいかないんです!国家間の安全保障にまで関わる事なんですよ。わかります?」
「わかんねえし、どうでもいい」
人ではないブラッドに国家間の問題をつきつけるのも無意味である。ラヴィリアは息をついた。
自分が国のために降嫁したとして、明るい未来はやってくるのだろうか。病を発症してただ倒れてしまうのなら、降嫁自体が無意味ではないのか。
できれば降嫁先では、心置き無く、美味しいものが食べられて、何の気掛かりもなく、ぐっすりと眠れる、そんな日常を送ることができるのなら……。
そんな都合のいいことを夢想するラヴィリアに、悪魔の囁きが耳をくすぐった。ブラッドがラヴィリアの耳にこそっと囁いてきた。
「……他国まで名が通る高名な王子なんだったら、嫁ぎ先はさぞかし金持ちではあるだろうな」
「……」
「名が売れれば金もそいつについてまわるだろ? 唸るほどの金ばらまいて生きてんだろうなあ」
「……」
「ラヴィのそのドレス、何年前のだ? そもそも新しいドレス買ったことあるか?」
「……」
「嫁に行けば、今よりかなりいい生活できんじゃねえの?」
ブラッドの言葉に、ぴくんとラヴィリアの肩が揺れた。
そうなのだ。
実のところラヴィリアは今、非常に困窮している。
分かりやすく言うと、ものすっごい貧乏なのだ。