らぶきゅん、極甘に設定変更
第二章はこれにて完結!
「幻滅しました?」
ラヴィリアは水の入っていたグラスを置いて、エドワードの様子を窺った。手すりの向こうに吐き散らかした後、立ち上がることも出来ず床に座り込んでいる。散々な姿である。
絶対に自分は酷い顔になっている自信があった。思い切り吐いているし汗もすごいし化粧も落ちているだろう。血の気が引いて、姿勢を正すこともできていない。王族としての立ち居振る舞いだけは自信があった。だが虚勢を張ることすらできない。
……きらきらのアイドル王子の前で吐くことになるんだわ、と思ったこともあるけど。ここまで情けなく世話を焼いてもらうなんて思っていなかった。
「幻滅しましたよね……」
ラヴィリアはエドワードに向ける顔などなく、ずっと俯いていた。恥ずかしくて情けなくてじわりと涙が浮かんでくる。こんなにひどい姿はカナメにだって見せた事は無い。
エドワードはしばし思い出すように空を睨んでいた。ずっと空を睨んで、はてと首をかしげた。
「えーと、どこが?」
「どこがって……」
「幻滅するようなところが思いつかないんですけど」
「……人前で吐き散らかしたのは初めてですわ。みっともない姿に幻滅したでしょう」
「病気で具合悪くて吐くなんて当たり前だし。俺だって気持ち悪ければがんがん吐くし」
「……無理して気を使わなくてもよろしいのに」
「ラヴィが気にしすぎじゃないですか?
ギリギリまでよく耐えたなあって、俺は感心してたけど」
エドワードは上衣を脱いでラヴィリアに着せかけた。勲章の多い上衣はじゃらじゃらとして重かった。一枚羽織らせてもらって、自分が冷えていたことに気付かされた。優しさにきゅっとなる。
……あれ? きゅって何?
きゅっ……。
エドワードがラヴィリアの隣に腰を下ろした。ラヴィリアの視線に気づいてほんのり笑った。ささやかな照明とキラキラメイクといろいろなバタバタの後のエドワードのほんのり笑顔は、狙い済ましたかのように女子のハートを射抜いてきた。ラヴィリアはくっと拳を握ってそれに耐えた。
綺麗な笑顔。エディの商売道具。勘違いしない。しないのよ。
「俺、ちゃんと間に合った?」
エドワードが少し気遣わしげにラヴィリアを覗き込んできた。
上目遣いは可愛い男子も有効。
いちいち反応してしまう心臓にラヴィリアは喝を入れた。
だから、勘違いだってば。本気にしない。
「カルロスが王太子の姿がないって気づいてね。応接室にいたマシューがラヴィ来てないって言うし。カナメの姿もないし。ラヴィが下がった直後だったから、もしかしたらと思って探したんです」
「もしかしましたね……」
「サミュエルが懇談会の時、ラヴィのことずっと見てたから、嫌な感じだとは思ってて。
何かされませんでした?」
「だ、大丈夫でした。ちょっと髪を触られたくらいで」
「……何それ。普通に腹立つ」
「でも、でも、何ともなかったですし」
「何かされてたら、今からあいつをフルボッコしにいくけど?」
「フルボッコ……エディはお強いんですね。先程は驚きました」
エドワードはきょとんとラヴィリアを見つめた。お強いってほどじゃなくて、と首を振る。
「普段鍛えてないような奴のパンチくらいなら、かわせるよ。あんなに大振りの隙だらけなトロイ攻撃、受けたとしても大してダメージないよ?」
「そうなのですか?」
「そうそう。マシューと鍛錬してる方がヤバい。この前マシューの拳避けたらその拳がレンガの壁に当たって。レンガに穴空いた」
「え? え?」
「たまに食らうと死ぬほど痛いから、本気で避けてる。あれに比べたら痛い拳ってそうそうないよなあ」
壁に穴を開ける拳の威力。
マシューの金髪のモサッとした前髪が脳裏に出てくるが、そんなに強そうには見えないのだ。エドワードより背が低く、受け答えもノンビリした男である。人は見掛けによらない、ということだ。
「それにしても、サミュエル王太子はどうしてあんな暴挙にでたのでしょう」
「……ふつーに考えたら、ラヴィに一目惚れ、かなあ。正装のラヴィは群を抜いて目を引いてるから」
「ドレスにお金がかかってるだけですわ」
「金をかけたドレスならサミュエルは腐るほど見てます。今日の王妃のドレスとかね。あれ、小さな家くらい建つんじゃないかな。
ラヴィは着せられてるんじゃなくて自然と纏うから。気高さにハッとする」
「そう? 言われたことないですよ?」
「誰も言わなかったのかなあ。
……あとね。サミュエルは、王太子妃と夫婦仲があまり上手くいってないらしいんです。上位貴族の娘なんだけど、大分気位が高いみたいで」
「今日もいらっしゃいませんでしたものね」
「体調が悪いという口実でしたが、宝飾品が気に入らなくてへそ曲げた、が真実のようですよ」
「……優雅なご身分ですわね」
こちとら最低限の宝飾品でやりくりしてるってのに。ラヴィリアは会ったことのない王太子妃をすでに嫌いになりそうだった。
ラヴィ、とエドワードが呼びかけた。
すぐ隣からじっとラヴィリアを見る視線がある。 何度か瞬きしてラヴィリアを窺っていた。
「ラヴィ? 改めて大丈夫?」
「大丈夫ですよ?」
「……怖い思いしたり、嫌な思いしたり」
「それは、お嫁に来る時にある程度覚悟してましたし。こんな形でくるのは驚きましたけど」
「うん。
ところでさ……なんというか、その。どのあたり?」
「どのあたりって、何の事ですか?」
「触られたの」
「あ……」
ラヴィリアは咄嗟に左耳の上を手で抑えた。
サミュエル王太子に撫でられた所だ。思い出すとぞわぞわする。熱っぽい視線もまとわりつくようで気分が悪かった。
自分で思っていたより、割と随分と……嫌な体験だったらしい。
ラヴィリアの表情を見て、エドワードはそっとラヴィリアの頭に手を伸ばしてきた。思わず手を引いたラヴィリアと目が合うと、優しくラヴィリアの頭を撫でた。
「上書き、上書き」
「……何ですの?」
「最後にラヴィを撫でたのが俺だったら、変態王太子のこと思い出さなくていいかと思って」
「エディ……」
「嫌なことは忘れて。いい事だけ思い出そうね」
「……名案ですわね」
「だろ?」
「エディのことを思い出すんですね」
そうそう俺の、と言いかけたエドワードの動きが止まった。ラヴィリアを撫でていた手を慌てて引っ込め、距離を取った。そのまままっすぐに平伏した。
それはもう綺麗な土下座である。これを見るのは二回目だ。
ぽかんとしたラヴィリアに、エドワードは床に額をつけたまま声を上げた。
「先程は数々の御無礼、すいません!本当にすいませんっしたっっっ!!!」
「……御無礼?」
「あのっ、小説の『らぶきゅん♡わたしの王子様』だと、好きな子には口がただれそうな程甘いセリフ吐く設定で! 行動もべたべたで! ラヴィ相手にそりゃマズイだろって思ってて」
「ああ……」
「懇談会まではなんとかなってたんだけど、らぶきゅん王子的に違和感すごくて。パーティ前にどうしても王子が掴めなくて焦ってて直前で、もういいやなり切っちゃえ、ってヤケになったらすっとあれが降りて来て」
パーティ直前までエドワードはらぶきゅん化しなかった。
できなかったのだ。
今まではエドワードに本命のいない設定で世間に愛想を振り撒いていたのだが。婚約者という本命のいる設定に強制変更された。ラヴィリアとの婚約だ。そしてラヴィリアとの仲良し設定も追加された。
らぶきゅん王子が好きな子を目の前にして、愛を語りスキンシップを求めるのは必然である。
だがラヴィリアに多大な迷惑をかけることは分かっていたため、なかなからぶきゅん化できなかった、という訳か。
「腰を抱き寄せたりとかちゅーしたりとか、本当にすんませんっ!」
「……」
「やっちゃダメだとホントの俺は思ってたんだ、ホントだよ!」
「……」
「だけど勝手に体が動いちゃって。らぶきゅん王子の中では当たり前のことだから、止めようと思っても止められないし」
「……どっちかというと、止めたくないし?」
「そうそう、止めたくない……ラヴィ柔らかいし、あったかいし。
……そう思う、スケベな俺もどっかにいましたすんませんしたっ!」
「エディってば、やーらしー」
はっと顔を上げたエドワードは、隣にニヤニヤ笑う自分の副官を見つけた。カルロスが穏やかなくせに下卑た笑いを浮かべている。嵌められたと思った目の先に、顔を赤くしているラヴィリアがいた。
エドワードはカルロス嵌めやがったなこのヤローと、思いながらもどこから見てたこのヤローとも思った。
土下座の前の、ラヴィリアを撫でていた自分を見られてたとしたら、それはそれで恥ずかしい。
カルロスは下品な笑いを取り外して、ラヴィリアに上品に笑いかけた。
「さあ、パーティは終わりますので帰りましょう」
「もう、終わるのですか?」
「え? 早くねえ?」
「それがですねえ……」
「ラヴィ!」
テラスの壁から黒い生首が生えてきた。ブラッドである。
ぎょっとして目を見開くラヴィリアをブラッドはくんくんと嗅いだ。ぐっと形のいい眉が寄った。
「体調の悪い匂いがする」
「……王族接触拒絶症ですわ」
「アイドル王子で発症したの?
はん? 今すぐ殺す?」
「物騒なこと言わないで。エディは関係ないのです。
それより、あなたなぜここにいるの? 御者として馬車溜りにいたんじゃないんですの?」
「それがなー」
ブラッドはよいこらせと体もテラスに侵入させた。この悪魔の体はどうなっているのだろう。
またくんくんとラヴィリアの匂いを嗅ぎ始めた。とても気色悪い。
「それが、どうしましたの?」
「馬車溜り、暇だったからさ。我の馬もおとなしくしてたし、パーティ会場の方へふらっと出かけて」
「パーティ会場にいたのですか! 馬車から離れちゃダメでしょう」
「まあまあ。
ああいう会場って、その場の出会いを求めに来てるヤンチャな女もいるわけで。何人かつまみ食いしてて」
「ブラッドー!」
ラヴィリアの蒼白な叫びにブラッドはへらへらと笑っている。確信犯だ。
「まあまあ。
満足させたからよくない? ご令嬢とは思えない乱れっぷりだったし」
「あなたっていうあく……精霊は……」
「ちょいと術かけたから、我の顔は覚えてないよ。ラヴィの身内だってバレてないから万事オーケー」
「そういう問題?」
「まあまあ。
で、しばらくして馬車溜り戻ってみたら、我の馬が勝手に手網外して、遊びに出てたみたいでね」
「……そんなこと、できるんですの?」
「まあ、あれも我の眷属だからねえ」
「確か、牙が生えてましたけど……」
「正確にはサキュバスの眷属なんでね。
いい馬見つけたみたいで、尻を振りに行ったんだな」
「げ」
「サキュバスのフェロモンは強烈だからねえ。我の馬は牝馬としても極上だし。あのフェロモン嗅いだら、牡馬の本能として牝馬の奪い合いは起こるかもね」
カルロスが額に手を当てた。
全てが繋がったようだった。
どういうことかエドワードが問いかけると、カルロスがため息混じりに答えた。
「馬車溜りで騒動が起きまして。牡馬が何頭も興奮して暴れているんですよ。貴族が使う馬ですから気性のおとなしい馬ばかりだと言うのに」
「あー……」
「御者の言うことなど一切聞かず、それどころか御者に怪我人もでています。さらに馬車本体の破損も激しくてですね、帰宅困難な貴族が多数出ております」
「……うん」
「パーティは一旦中止となりまして、馬車の破損がない方から退城の運びとなりました。おそらく、牝馬を使っていた方からでしょうね」
「そうだねー。我の馬は牡馬しか興味無いもんねー」
しれっとブラッドが頷いた。
お前の馬もどきが起こした問題だろうが! とその場の誰もが思ったが黙っておいた。
この騒ぎに便乗して、さっさと帰宅するのが最高の戦略だと気づいたからだ。
ラヴィリアとエドワードは、潔く美しく速やかに、退城することにした。
帰宅したラヴィリアとエドワードはそれぞれの家に向かおうとしていた。
ラヴィリアは本館、エドワードは森の奥の小屋である。
カナメはラヴィリアの体調が優れないため急いで看病の準備をしに本館へ向かった。ブラッドは馬小屋に馬もどきを連れて行っている。そういえばエドワードとマシューの馬は牝馬である。牡馬だったらとっくに餌食となっていただろう。
マシューとカルロスも先に小屋へ向かっていて、ラヴィリアとエドワードの二人きりであった。
おやすみなさい、と挨拶をしてラヴィリアは本館へ向かおうとしていた時だ。
ちょっと待って、とエドワードが声をかけてきた。
エドワードがごそごそと内ポケットを探っている。「やべ、ちょっと潰れた」と声が聞こえた。
「ラヴィ、これ持って行って」
エドワードが差し出したのは白い布に包まれたもの。エドワードの体温のそれを、ラヴィリアは受け取って開いてみた。中には小ぶりな白パンが二つ、少しへこんだ形で入っていた。
「城から出る時に見つけてくすねてきた。さっき全部吐いちゃってたから、夜中お腹すくかもしれないよね」
「エディ」
「ごめん、少し潰れちゃった。
以前、白パンがどうとか言ってなかった?」
白パンが好物って、エドワードには言ってない。でも話のついでに少し言ったかもしれない。
……その程度の事を、覚えていてくれたのか。
私の好きを覚えていてくれたのか。
胸が詰まったラヴィリアに、エドワードは今日一の、最高に優しい目をしてラヴィリアを見た。チョコレート色の目は甘くなく、ただ優しかった。
「今日はありがとう。おやすみ、ラヴィ」
そのまま片手を上げて歩き去るひょろ長い後ろ姿を見送って。チョコレート色の安心する髪を見て。
ラヴィリアは胸を押さえて固まってしまった。心臓がドクドクしている。締め付けられるように痛くて苦しい。頭の中がぽーっとなって何も考えられなくなった。
ラヴィリアは手の中の、へこんだ白パンを見た。
きゅん、ていった。
エドワードの去って行った、森のけもの道を見た。見えなくなったひょろ長い背中を探そうとした。
胸が、きゅんていった。
あー。もー。
どうしよう。
好き。
もーだめだ。
好き。
えー。本当に。何これ。
好き。
……好き、なんですけど……うわあ。
止まらない胸の鼓動を感じながら。
ラヴィリア人生初の、好き、が確定した。
第三章も書いてます。