婚約披露パーティだ……って言ってんだろ
サミュエル王太子は言葉通り小さなバルコニーにラヴィリアを案内した。小さいと言ってもエドワードの小屋より広い。透かし彫りを施した手すりや大理石の椅子やテーブルなど、豪奢な作りは王族用かと思われる。小さな照明が邪魔にならないように配置され、薄暗いながらも見渡せるように設計されているようだった。
サミュエル王太子は自分の侍従と、心配して着いてきてくれたカナメに「下がれ」と命じてバルコニーのドアを閉めた。
ラヴィリアはサミュエル王太子の手が離れた瞬間に急いで距離を開けた。
目眩がするのでバルコニーの手すりに近づいたが、やけに高い位置にある。外からバルコニー内がうかがえないような作りになっているらしい。完全に王族のプライベート空間である。
仕方なく壁に張り付くようにしてサミュエル王太子をうかがった。
「そんなに警戒せずともよかろう」
つかつかとラヴィリアに近付き、サミュエル王太子はにこりともせずに言い放った。癖のあるくすんだ茶色の髪が生真面目な顔にかかっていた。
こんな強引なことをされて警戒しない方がおかしい。しかもラヴィリアはエドワードの正式な婚約者である。婚約者以外の男と二人きりのシチュエーションを作る、サミュエル王太子の方がどうかしているのだ。
言いたいことが色々あるが、言えない。
頭痛と腹痛と吐き気が同時に起こっている。完全に王族接触拒絶症を発症していた。
手や足から血の気が引いていくのが自分で分かった。じわじわと痺れているのは血流が足りないからだ。酷い目眩は貧血から来るものだろう。
「どうした、ラヴィリア姫。先ほどは姉や母と随分会話が弾んでいたではないか」
「……」
「私相手では話す言葉を持ち合わせないか」
「……距離を、置いてください」
「なぜだ」
「わたくしは、エディの、婚約者、です」
サミュエル王太子はあからさまに不快な顔を見せた。エドワードの事が嫌いであることを、ここまで隠さなくてもいいのだろうか。内面を悟られないように本音と建前を上手く使い分ける。王族や貴族の必須のスキルであるはずだ。そんな教育を受け無かったのか、受けることを拒否したのか。
サミュエル王太子はラヴィリアとの距離を詰めようとはせず、じっとラヴィリアを見つめている。何を考えているのかわからずラヴィリアは焦っていた。体調の悪さが冷静さを失わせていった。
「……ラヴィリア姫。あなたはエドワードとの婚約を破棄するべきだ。早急に」
ボソリとサミュエル王太子が口を開いた。
ラヴィリアとエドワードの婚約破棄の勧めである。もう決まった事柄をなぜ撤回する必要がある? サミュエル王太子の意図が読めない。
ラヴィリアは警戒してサミュエル王太子の言葉を待った。
サミュエル王太子は真剣な面持ちでラヴィリアに向かい合った。
「エドワード。あの男は顔や雰囲気を作り上げただけの、ただの詐欺師だ。本当のエドワードはあのような男では無い。地味で冴えない取り柄のない男なんだ」
ラヴィリアは少し脱力した。何をいまさら。
……知ってます。
エドワードという男は、性格さえ作り上げられた本格本物志向の詐欺師です。
そうラヴィリアは思ったが口には出せなかった。吐き気が波のように押し寄せている。悪いタイミングで声を発すればそのまま嘔吐しかねない。
「あなたは騙されているのだ。城下で人気を博しているエドワードは本物では無い。あなたに微笑みかけているあれを、本物と思ってはいけない。
偽善と欺瞞で作り上げた偽物が独り歩きしているだけだ。あの詐欺師と生涯を共にするなど、あなたを不幸にするだけだろう」
「……」
「騙されてはいけない。華やかに見えるだけであれはロクでもない男だ。私はあなたが辛い目に合うのを、見過ごすことは出来ないのだ」
サミュエル王太子は一歩ラヴィリアに近づいた。生真面目な顔付きで真剣にラヴィリアにエドワードとの別れを説いてくる。
だがラヴィリアは己との戦いでいっぱいいっぱいである。胃の内容物が確実に上昇してきている。これ以上近づかないであなたの顔面に吐き散らかすぞと、サミュエル王太子を心の中で脅した。全く効果は無いが。
サミュエル王太子は生真面目な様子のまま、ラヴィリアのアイスシルバーの髪を一筋すくった。指の中で弄び、さらりと流す。それを何度か繰り返した。
やめてえええええというラヴィリアの悲鳴は心の中だけに留めておいた。痒い。なんだか頭皮が痒いのだ。頭皮にジンマシンが生まれたと思われる。
一体何がしたいのだ。女性に許可なく触れるなど、当たり前に失礼だというのに。
「ラヴィリア姫」
「……」
「……私の元へ。私の庇護下へ来るがいい」
「……」
「あなたを守ると誓おう」
サミュエル王太子がラヴィリアの髪を弄びながら、生真面目な顔で言った。サミュエルの手がラヴィリアの耳の後ろにかかった。そのまま髪を撫で下ろしてくる。
のおおおおおおうっと、ラヴィリアは全力で叫んだつもりだった。叫んだのは脳内だった。切羽詰まりすぎてよくわからなくなっていた。
「あなたを正妃には迎えることはできないが、不自由はさせない。あなたの望むものを何でも与えると約束しよう」
「……」
「あなたに似合うドレスを仕立てよう。美しい宝石であなたを彩ろう。
ささやかな別邸をを建て共に暮らそう。そうだ、それがいい。あなたと共に静かで豊かな時間を過ごすのだ。
そして……」
サミュエル王太子が初めてきらりと目を光らせた。ラヴィリアに対する感情がねっとりと溢れ出ていた。暗い熱情を湛えたサミュエル王太子が、ラヴィリアに顔を寄せて囁いてきた。
「……私の愛も、あなたに与えよう。溺れるほどの愛をあなたに捧げよう。他に何も考えられないようにしてみせる。
あなたは、私に全てを預けるがいい」
ラヴィリアは一瞬、この頑なに真面目を装ったおかしなことを言う男の正気を疑った。
自分の愛を与えよう、ってか。
妻帯者が横恋慕で義弟の婚約者を金と権力でもぎ取ろう、ってか。
い ら ね え ! ! !
サミュエル王太子の目的は、まさかのわたくしっ!
ラヴィリアは咄嗟にサミュエル王太子をすり抜けて反対側の壁に縋り付いた。振り向けば生真面目な顔のままゆっくりとサミュエル王太子が近づいてくる。ラヴィリアが逃げ出したのが腑に落ちないようだった。咎めるようにラヴィリアを軽く見据えた。
「どうした? 何か私の提案に不満でもあるか」
「……(不満しかないですけどっ、声が出せませんっ)」
「ああ本当に……ラヴィリア姫。あなたは可憐で美しい。エドワードなどにはもったいない。美しい髪、美しい瞳、気高い雰囲気」
「……(何言ってんだこいつ近寄んな、ですっ)」
「ラヴィリア姫、私のものになりなさい」
「……!(なるかー!)」
「やめなよ、お兄ちゃん。
ラヴィは、俺のものだよ。お兄ちゃんにはあげないよ」
涼やかな声がして、ラヴィリアの前に背の高い壁が現れた。
ひょろりとした背の上にチョコレート色の髪を見つけて、ラヴィリアは思わずその背中に縋り付いた。
走ってきたらしく息が上がっているのがわかる。汗の匂いがしたが気にならなかった。それどころか吐き気が少し治まった気がした。
見上げれば、困ったような笑顔のエドワードだった。らぶきゅん王子も激甘王子もいない。
どこから見ても冴えないひょろ長い男。
キラキラも甘さも出さずに、どうしよう困ったなと分かりやすく顔に書いている男。
ただのエドワードが来てくれてことが、ラヴィリアはとにかく嬉しかった。
サミュエル王太子は難しい顔をしてエドワードを見据えている。口を開こうとした瞬間に、エドワードが喋りだした。
タイミングを読んでいたとしか思えない。
「お兄ちゃん、今日は何の日だと思う?」
「……」
「俺とラヴィの婚約記念日。今城内では俺とラヴィの婚約披露パーティをしてるんだよ、お兄ちゃん」
さっとサミュエル王太子の顔に朱が差した。改めて自分の間の悪さに思い至ったようだった。
エドワードはやっぱり困ったような顔で笑っている。
「国王陛下同席での婚約式で、正式に婚約の調印をして、有力貴族にお披露目までしてる弟の婚約者を、婚約したその日に籠絡しようとしてる王太子。
結構悪い印象持つよね、お兄ちゃん」
「……貴様」
「ラヴィが声も出ないほど怯えてるんだけど。自分の欲望ばっかり押し付けて執着して、ラヴィ自身のことはちゃんと見てたの、お兄ちゃん」
「エドワード、お前……」
「もう一度言うけど、ラヴィは俺の婚約者だよ、お兄ちゃん。
お兄ちゃんのものじゃないからね」
「わ、私のことを、市井の庶民が使う下衆な言葉で呼ぶのはやめろ!」
激怒したサミュエル王太子がエドワードに殴りかかってきた。エドワードはサミュエル王太子の拳をひょいと避けた。そのまま勢いの止まらないサミュエルの背中を押してやる。ついでとばかりに足をかければ、サミュエル王太子はつんのめりながら自ら壁に激突して行った。
エドワードの鮮やかな動きにラヴィリアは瞠目した。喧嘩慣れ、ではない。襲撃された時の日常の延長線だ。叩きのめさないだけ手加減していると思われた。
はいつくばったサミュエル王太子の傍でエドワードが腕を組んで立ちはだかった。もう顔は笑っていなかった。
「俺は下衆な生まれと笑われてこの城で育ったもんで。下衆なやり方で返させてもらったけど」
「エ、エド……」
「あんたのしたことの方が、よっぽど下衆でクソだからな。今日は俺とラヴィの婚約披露パーティだって言ってんだろ」
「……」
「わかったか、お兄ちゃん」
サミュエル王太子は顔を歪めて立ち上がった。乱れた茶色のくせ毛を振り、打ち付けたと思われる肩をかばいながらバルコニーを出て行った。
ラヴィリアを見ることもしなかった。
サミュエル王太子が戻って来ないことを確認して、エドワードはラヴィリアに向き合った。
大丈夫と声をかけようとしたその先に。
両手でがっちりと口を押さえたラヴィリアがいた。
もうあとは発射するだけと察したエドワードは、慌てて辺りを見渡した。排泄できるような物や場所がどこにも何も無い空間を認識した。さすが王族用のバルコニーだ。美しく整えられた場所に粗相できるような隙間はない。
「ラヴィ、ヤバい? 吐く?」
「ゔー」
「手すりの向こうに……」
「ゔーー!」
「届かないのか!」
なんでこんな高い作りなんだよもう、とボヤきながら、エドワードは手すりの傍に片膝をついて、反対の膝を立てた。そのままラヴィリアを呼ぶ。
「俺の膝に乗って! 足は掴んでるから、ラヴィは手すりにしっかり掴まって!」
「んー!」
「外に吐いて! 全部出して!」
ラヴィリアは前のめりになりながら手すりの向こうに吐いた。胃の中の物が無くなっても何度もえずいて吐き出した。肩で息をして、涙と鼻水と嘔吐物だらけの自分を心底恥ずかしいと思った。
落ち着いたと判断したエドワードが優しく膝から下ろしてくれて。ラヴィリアの顔を見ずにハンカチを渡してすっとその場を去って行った。
ラヴィリアが顔を拭いている間にエドワードは水差しとグラスを探し出してきた。一口だけ水を飲んで、ラヴィリアにグラスを差し出してくれた。
毒味したんだ……と思った途端に再び膝を立てて乗せてくれ、口をゆすがせてくれた。
全てが当たり前のように優しくて自然体で、キラキライケメンメイクの向こうのエドワードがとても素敵に見えてしまって。
わたくしこの人に、もしかして大事にされている?
と思い至り。
ラヴィリアは1人で、うわあと呻いていた。
評価いただいてました!
ありがとうございます!
目が乾くほどガン見しちゃいました!