婚約式へ
エドワード、本領発揮
婚約式当日、ラヴィリアはいつものようにエドワードの小屋に出向いていた。
庶民服に引っ詰め三つ編みの姿で、朝食を準備し後片付けを済ませ小動物用の罠を仕掛け罠の予備を作り干し終わったきのこと野草を収納して簡単な昼食を用意した。エドワードはマシューによる剣術の稽古をしたり、カルロスに託されていた書類仕事を片付けながら、ラヴィリアをよく働くなと思いながら視界の中に入れていた。
昼食後片付けを済ませたラヴィリアは「着替えて参ります」と本館に向かった。この後リュタ城へエドワードと共に登城するのだ。
ラヴィリアを見送ったエドワードはいつものようにマシューに顔を塗りたくられ、顔だけはキラキライケメン王子に作り上げられた。着るのは王子の正装だ。上衣は白地に金とエンジのライン、肩には金の房飾り。下衣は光沢のある黒い生地のスラックスだ。タンスの奥底に仕舞い込まれていたが、カビが生えてなくてよかった。
肩から胸の辺りで勲章がジャラジャラしてるのは、数多くの嫌がらせ仕事の報酬だ。勲章はいらんから現金をくれ。カルロスの悲痛なセリフが蘇ってくる。
エドワードはそのままマシューを伴って本館に向かった。今日はラヴィリアと共に馬車での登城となるのだ。いつもは馬で城に向かっているので新鮮だ。馬車はラヴィリアがマリ王国から乗ってきたものを使用する。馬車も嫁入り道具なため、ありがたい話である。エドワードには自前の馬車などない。そんなもの買う金がないからだ。
女性の支度だから時間がかかるだろうとのんびり待つつもりだったが、ラヴィリアの身支度は思いの外早かった。
カナメを伴って本館から現れたラヴィリアを見て、エドワードはカチンと凍りついた。
ラヴィリアは淡いブルーのドレスを身につけ、アイスシルバーの真っ直ぐな髪を下ろしている。清楚で可憐なのはいつものこと。さらに気品を気高さを備えて姿勢よく歩く姿は、それだけで芸術品のようだった。
ラヴィリアの姿に気圧されたエドワードは、二三歩後ずさって両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。そのままじっと動かない。マシューが訝しげにエドワードを見下ろした。
「エディ? どした?」
「……ヤバい」
「ヤバい? 何がだ?
敵襲はなさそうだけど」
「じゃない。でもヤバい。無理だ、俺」
「はあ?」
マシューがしゃがみ込んだエドワードを前にわたわたしていると、不思議そうな顔をしたラヴィリアが近づいてきた。しゃがんだエドワードを少し屈んで見下ろしている。
「エドワード王子、どうされました?」
エドワードは自分の手の隙間から、声の主を恐る恐る覗き見てみた。正装したラヴィリアが自分を見下ろしていた。
ラヴィリアの正装は、細かな刺繍が施された淡いブルーのドレスで、肩口を薄いレースで覆うような仕立てのものだ。いつもは引っ詰めているアイスシルバーの髪を下ろし、小さいながらも煌びやかなティアラを付けている。唇に軽く乗せたローズピンクの口紅がいつもより大人びて見せていた。
どこからどう見ても完全なる姫君の姿であった。エドワードのようなエセ王子ではない。
気品と気高さを纏わせた近寄り難い高貴な存在。それを具現化したのがラヴィリア姫。
この生粋なる高貴な姫の隣に立つ。
……誰が立つの。俺か? 俺なのか?
紛い物に色塗って派手に見せてるだけの俺が、高貴な姫君の隣に――
「やっぱ無理ぃ」
「エディ、いい加減にしろー」
「マシュー。エドワード王子はどうされたのですか?」
ラヴィリアが戸惑ったようにマシューに尋ねた。尋ねられたマシューもよくはわかっていない。長年の付き合いでエドワードの行動を予測するくらいである。モサッとした金髪を振りながらマシューはラヴィリアに答えた。
「あー、なんつーか。多分だけどね。
極端な人見知りが発動した」
「人見知り?」
「今日のラヴィリア姫がすげえお姫様っぽいから、エディが気後れして腰が引けてる」
「?
なんですの、それ」
「んーと。エディって基本的にヘタレなの。なかなか覚悟の決まらないヘナチョコなの。
おそらく、こんなに凄い姫様エスコートすんの誰だ俺かー無理ー、とか思ってる」
正解である。的のど真ん中を射抜くような、ど正解である。
ラヴィリア姫本人に向かってそんなことはっきり言うんじゃねえ、とエドワードは心の中で悪態をついているが、覆った顔は上げられない。ヘタレである。
ラヴィリアには理解ができない。ただドレスを着て軽く化粧しただけだ。普段と何かを変えている意識はない。
どうしたらいいのかしらと顔を上げたすぐそこに、ブラッドのニヤつく顔が現れた。唐突なことにさすがにラヴィリアも後ずさった。
「な、なんですの、ブラッド」
「ラヴィ。ラヴィに触りたい」
「いきなりの破廉恥発言、なんなのですか」
「いつもより綺麗にしてっから、食欲わいて」
「?
何を言っているの?」
ブラッドは舐めまわすようにラヴィリアの全身を眺めた。一瞬夜色の瞳が赤く見えた気がした。ブラッドの緊張感が欠けている。口元のにやにやが止まらなかった。
「さすが我のラヴィ。正装するとそそるね」
「……ブラッド。よく分からないけど、あなた何かしら良くない事を考えてるわね」
「うふふふふ、食べちゃいたいなあ。食べちゃおうかなあ。うまそうだもんなあ」
「……ちょっと」
「剥いてみたいなあ。もう、剥いちゃおうかなあ。そんで揉む。ひたすら揉む。そしたらいい声で鳴くんだろうなあ。んふふふふふ」
「何だかわからないけど卑猥であることは分かりました。断固お断りです!」
「お前もそうかあ、王子ぃ」
ブラッドがエドワードの隣にしゃがみ込んで、そうかそうかぐふふふふと笑った。完全に同類と思われている。
わかるわかるぞお、あーんなことやこーんなことやそーんなポーズさせたいよなわかるぞお、とエドワードの耳元で囁いてきた。闇の上位精霊である。
ふとブラッドは真顔になってエドワードの肩に手を置いた。
「でも食べるんなら我が先にやってからだから。お前は順番待ちね」
「……闇の上位精霊殿、あなたはラヴィリア姫に触れられないんじゃ」
「そう、そこだけが問題。どうしよ?」
「ブラッド! 少しお黙りなさい。
今日はあなたに馬車の御者もやってもらいますから。忙しいんですのよ」
「なんだよ、ラヴィ。せっかく同類を見つけたのに」
同類ではない。
エドワードはちらりとラヴィリアに目を移した。やはり高貴すぎて目が潰れると思った。本物には本物でしかない光のようなものが出ている。今まで何かしら大いなる粗相があったんじゃないかと、エドワードはここ数日の自分を思い起こして、普通に怯えた。