狩りへ ~後編~
予定より遅れてしまいましたが、『狩りへ』の後編投稿です。
#7『狩りへ ~後編~』
武器を受け取った翌日の朝、ハンスは何となく落ち着かなくて狩人小屋に行くとハナは留守だった。裏の訓練場にも姿はなく、どこに行ったのだろうと首をひねりながら小屋を後にしようとした時、ちょうど村の入り口から弓を手に持ち、シカのモモ肉を担いだハナが村に戻ってくるのが見えた。
ハンスは声を掛けようとしたが、ハナが深刻な顔で考え事をしているのを見て躊躇われ、そのまま近づいてくるのを待っていると、ハナはハンスに気が付き手を振ってくる。ハナが顔を上げてにこやかにハンスに挨拶してきた。
「あら、おはようハンス。こんな朝早くにどうしたの?」
「いや……今日はどうすんのかなって思って……」
ハンスは、ハナが何を考えていたのかが気になったが、なんだか聞くのが躊躇われ、とりあえず素直に今日の予定を聞くことにした。正直なところ、早く狩りに行きたくてウズウズしている。
「そうね……。どうせ私の剣が出来上がるのも日が傾くころくらいになるだろうし、今日はゆっくりしましょうか。なんなら訓練場で剣の練習をしていていいわよ」
ハナの返答になんだか肩透かしを食らった気分だったが、まだ昨日の大剣を試していないことを思い出したハンスは素直にハナの提案に従い、ハナから剣を受け取ると訓練場に足を運んだ。
ハンスが人形相手に剣を振るっていると、ハナは倉庫から折り畳み式のテーブルとデッキチェアを引っ張り出して訓練場の隅に設けられた竈の傍に設置する。鍋で湯を沸かし、野菜を切って村に戻ってくるときに持っていたモモ肉を綺麗にさばいて竈で調理し始めた。
ハンスは練習に集中しようと、つとめてハナの方を気にしないようにしていたが、玉ねぎを煮込んだスープと塩、コショウとニンニクで下ごしらえされた肉がローズマリーとオリーブオイルで焼かれる匂いの誘惑には勝てず、剣を振るうのも忘れて白い煙を上げながらじゅうじゅうと音を立てて肉が焼けるのをじっと見ていた。
肉が焼きあがるとハナはハンスに微笑みながら手招きし、倉庫からスツールを出してきてテーブルに並べて用意した皿に鹿肉の香草焼きとジャガイモ、ニンジンを乗せてテーブルに並べると、スープをカップに注ぎながら美味しそうな匂いを立ち昇らせる肉を見つめるハンスに聞いた。
「レーナはどうしてる?」
席につこうとしたハンスは一瞬動きを止めて首を傾げた。
「あー……どうなんだろ? 朝は弱い方じゃねぇから、来る気があればここに来ると思うけど?」
ハナの質問に答えるとハンスは肉にかぶりついた。
「そう……。折角だからレーナも一緒に食事したかったけれど──」
残念そうにハナが呟いた時、訓練場の入り口にレーナが息を切らせて現れた。ハナが驚いて見つめていると、レーナは息を弾ませながらしばらく訓練場の中の二人を見つめていたが、おもむろに大きく息を吐き出した。
ハナは可笑しそうにくすりと笑い、手招きしてレーナの分も用意した。恐縮しながら席についたレーナは、肉汁を滴らせ、クリアで刺激的なローズマリーの香る鹿肉を凝視し、スープを注ぎ入れたカップをテーブルに並べるハナに恐る恐る問いかけるのだった。
「……もしかして、朝からこんな食事を……?」
自分の皿を持ってデッキチェアに向かいかけたハナは立ち止まって振り返り、ふわりとほほ笑みながら言った。
「そうよ。食材や調味料をいろいろ用意していたらもうちょっと手間をかけたものも作るけれど、狩りに出たら基本的にあまり手間のかからないものになるわね」
聞きたかったのはそういうことではない、と思いながらレーナは、デッキチェアに腰掛けて美味しそうに肉を頬張るハナを見つめ、飢えた獣のように肉に食らいつくハンスを呆れた目で見つめると、小さくため息を吐いて玉ねぎのスープを口に運んだ。
肉を頬張っていたハンスが今朝のことを思い出してハナに尋ねた。
「そういや、さっきまでどこ行ってたんだ? 狩りにってたんなら俺も連れてってくれりゃあよかったのに」
「ん? ──あぁ。実は昨日の夜、森にいる旧友に会うついでに言伝を頼んでいたの。話が弾んじゃって遅くなったから、村に帰るのも面倒なのもあって向こうに泊まって今朝森の皆と狩りをして帰ってきたのよ」
聞きとがめたレーナが首を傾げる。
「──森に誰か住んでるなんて聞いた事ありませんが……?」
レーナの疑問に、ハナは困ったようにはにかんだ。
「まぁ、人じゃないから……。こういう生き方してるとね、いろんな知り合いが出来るものなのよ」
「はぁ……」
ハナはそれ以上語ろうとはせず、デッキチェアでくつろぎながら食事を再開し、レーナはよくわからないといった顔でなんとなくハンスを見れば、彼は「俺に聞くな」と言った顔をして肩をすくめ、レーナも考えたところで仕方がないと気持ちを切り替えスープに匙を差し入れた。
朝食を済ませるとデッキチェアでくつろぎながら、ハナは二人に言った。
「さっきハンスにも言ったんだけれど、私の剣が仕上がるのが夕刻ぐらいになるから、狩りはまた後日。それで今日のところは一日ゆっくりしてもいいし、ここで武器の練習をしてくれていいからね」
「狩りはいつ行くんだよ?」
ハンスが不満げに聞くと、ハナは首を傾げながらのんびりと言った。
「そおねぇ……。さすがにすぐに魔獣の相手は難しいだろうけれど野外での活動に慣れた方がいいから、明日は森で食料の調達でもしましょうか」
それを聞いてハンスはハナの顔を覗き込んで意図を探ろうとしたが結局何もわからず、のそりと立ち上がって剣の練習を再開し、レーナはそっと安堵の吐息を吐くと皆の食器を片付けはじめ、ハナが「自分が洗うからいい」というのも断り編み籠に食器を入れると共用洗い場まで運んだ。
翌朝、ハンスとレーナが狩人小屋に行ってみると、ハナは出会った時に着ていた皮の衣服を身に着け、大きなバックパックを背負って手には釣竿を持っているのみ。昨日の夕刻に防具を受け取った際にバスタードソードも受け取ったはずなのだが、ハナはそれを身に着けておらず、武器らしいものと言えば腰に下げたダガーくらいだった。
明らかに狩りをしない装いに不満げな顔をしたハンスがハナに聞いた。
「なぁ、ツヴァイハンダー持ってっていいか?」
「うーん……荷物になるけれど、重さに慣れておくのも大事か……いいわよ」
ハナは苦笑を浮かべながら答えるとハンスは嬉々として専用のホルダーを身に着け、ツヴァイハンダーをホルダーで背中に固定した。
「レーナもアーバレストを持ってきてもいいけれど、どうする?」
「狩りをしないから必要ないんでしょう? なら私はいいです」
レーナが首を振るとハナはふわりとほほ笑んだ。
「そう。じゃあ、木の実や山菜を集めるのを手伝ってくれる? 種類や効能を知っておくと、狩り以外でも何かと役に立つわよ」
「あぁ、そういうことでしたら是非お供させてください」
レーナは頷き、ハナから小ぶりなナイフとバックパックを受け取って身に着けた。ハナはハンスにもベルトポーチを渡し、準備が整うのを確認して森に出発した。
森に入って少し勾配を登ったところに幾つもそびえる巨石群があった。その基部には人が一人通れるような隙間が出来ており、ハナはその隙間に入り込む。
隙間を潜り抜けると岩壁と背の高い木々に取り囲まれ、大半を池に占められた空間に出た。岸辺には小さな小屋が建っており、小屋の傍には大きな長テーブルが置かれ、その周りに切り株をそのまま利用したスツールが並べられている。村の狩人小屋にあるような竈もあり、池には桟橋が設けられていてちょっとした拠点を思わせた。
子供の頃から木こりの父親を手伝っていたハンスにとっては馴染の場所であり、伐採した木をここに運び込んで桟橋から船に乗せて村に運んだものだ。
レーナも母の狩りについて行くときはここで休憩していたが、母が狩りに行くことがあまりなかったためハンスほど馴染はない。
ハナは岸辺に立つなりバックパックを下ろしていそいそと釣竿を用意し、土を掘り返してミミズをほじくり出した。
それを見ていたハンスが呆れたように声をかける
「食料集めって、魚釣りだったのかよ。そもそもここじゃ森に来たって言わねぇじゃん」
ハナはミミズを餌箱に入れる手を止め、ハンスを振り仰ぐ。
「あー……ちょっとだけ、ちょっとだけいい?」
申し訳なさそうに頼み込むハナにハンスは無言で首を振り、ハナはすがるようにレーナを見ると、レーナはすました顔で淡々と言った。
「私は魚釣りには興味がありません。それより、有用な木の実や山菜のことを教えてください」
二人の抗議の視線を受けてハナはしぶしぶミミズを土に帰し、釣竿を小屋に仕舞うとため息を吐いてトボトボと二人を連れて──見ようによっては二人にせっつかれるように──森の奥へ足を運んだ。
三人は時々足を止めては木の実や植物、茸を採取し、その際にハナはそれらの名前と使い道や効能、注意すべき点などを二人に教え、特に毒性のある植物やキノコにおいては丁寧に伝えた。山菜採りを始めて早々に飽きだしたハンスが適当に聞き流すのに対し、レーナは熱心にハナの説明を聞き、疑問に思ったことはその都度ハナに質問をしていた。
太陽が天頂を過ぎたころ、森の深部に足を踏み入れた三人は表皮がズタズタに引き裂かれた木を見つけた。身長が高く腕の長いハンスが腕を回して一抱えはある太い幹が、縦に何回も引き裂かれて深くえぐれてしまっており、近くで見てみれば切り裂かれてあまり時間が経っていないように見える。
一体何があったのだろうかと首をひねるハンスとレーナに対し、ハナは真剣な表情で傷跡を調べた。そして目を閉じて両耳に手を添えて周囲の音に意識を集中する。次いで屈みこむと地面を隈なく調べ、何かを見つけたのか茂みの中に突き進んでいった。
慌てたハンスとレーナが戸惑いながら後をついて行くと、ハナが大きな血だまりの出来た場所に屈みこんで深刻な顔で考え込んでいた。
「──なんかあったのか……?」
ただ事ではない気配を感じでハンスが恐る恐る聞いたが、ハナはハンスの声が聞こえなかったのか全く反応せず考え込んだまま動かない。しばらくしてハンスがもう一度質問をしようとした時ようやくハナが二人に向き直り、真剣な表情で一言
「帰るわよ、今すぐ」
それだけ言うと、二人を促して先に立って歩きだした。二人は色々と聞きたいことがあったが、非常に緊迫した雰囲気に気圧されて質問を口にすることが出来ず、黙ってハナの後をついて行くのだった
村に帰るまで三人は一言も話さず、村に戻るとハナはまっすぐ村長の家に向かった。玄関の扉をノックするとしばらくして扉が開いてアンが顔をのぞかせる。
「あらハナさん。──どうかしました?」
ハナの表情から何事かを察して問いかけるアンの質問には答えず、ハナは短くアンに尋ねた。
「村長はいる?」
「え、えぇ。──どうぞ」
戸惑いながらもアンはハナを中に通し、ハンスとレーナもその後に続く。勝手知ったる他人の家か、ハナはまっすぐ村長の部屋に向かい、ノックをしたあと返事も待たずに扉を開けて中に入った。
窓際に置かれた安楽椅子に腰かけながらタバコをくゆらせていた村長は真っ白な長い眉を寄せ、不愉快そうに来訪者たちに視線を向けた。
「返事も待たずに中に入るとは、えらく無作法になったもんじゃの」
抗議する村長の言葉に耳を貸さず、ハナは大股で村長に歩み寄ると、村長を見下ろすようにして静かに問いかけた。
「例のビースト狩りの進捗はどうなっています?」
「さて……。こちらにはまだ何の音沙汰もない。連絡は組織の方にも言っとるはずじゃから近いうちにハンターが派遣されるとは思うがの」
のんびりとした村長の言葉にハナが奥歯を噛みしめ、気持ちを静めるように大きく息を吸い込むと低く静かな声で言った。
「どうもこっちの森にも入り込んできたようです。ギガスボアが問題を起こしているみたいだけれど、もっと厄介なことになるかもしれません……。私にとっても他人事では済まないので、不本意ですが私が狩猟に向かうと組織に連絡しておいてください。私は準備が出来しだい出発します」
黙ってハナの言葉を聞いていた村長は低くうなるように「よかろう」と呟くとハナは踵を返し、来た時と同様風のように村長宅をあとにした。
状況の変化に理解が追い付かず、訳が分からないままハンスとレーナがハナの後を追っていくと、ハナは酒場で干し肉、干し果物を購入し、厩から乗用馬を借りると狩人小屋に戻ってバックパックに荷物を詰め込み手早く旅の支度を整えていた。
ハンスとレーナは黙って見ていたが、ハンスが溜まりかねて口を開いた。
「もし狩りに行くんだったら俺たちも連れてってくれよ。手が多い方が──」
ハンスは期待を込めて頼んでみるが、手を止めてこちらを見たときのハナの視線に気圧されて言葉を飲み込む。
「申し訳ないけれど、今回は連れて行けない。これから相手するクリーチャーは本当に危険なの。今のあなたたちの技量と装備では確実に死ぬわよ」
ハナの眼はこれまで見た和やかな雰囲気はなく、言葉には有無を言わさない厳しさがあった。不意に外から蹄の音が聞こえ、ハナは弾かれたように外に出た。
つられてハンスとレーナが外を伺うと、金色を思わせる美しい栗毛の馬がおり、その背には白い絹の衣を纏った黄金色の長い髪の非常に美しい女性が品よく乗っており、女性はハナの姿を見るや馬から滑り降りて、ひと抱えもある皮袋をハナに差し出しながら不思議そうに言った。
「頼まれた装備を持ってきました──休養するのではなかったのですか?」
「止むに止まれぬ事情ができて仕方なくよ。あとのことはお願いね」
そういうとハナは皮袋を受け取って小屋に戻り、女性はまた馬の背に乗ると、馬を走らせ去っていった。
女性と馬の姿が見えなくなり、ハンスたちが小屋の中に視線を戻すとハナは皮袋を開いて中から黒い皮仕立ての戰装束を取り出し服を脱ぎ始め、レーナは慌ててハンスを外に連れ出し小屋の扉を閉じた。
しばらく外で待っていると、扉が開いて支度を終えたハナが出てきた。銀灰色のファーに縁どられた厚手のコートは黒く艶かしい光沢を放ち、陽光を受けて油膜のように七色の光をちらつかせている。
肩は大きく膨らんでいて、腰に巻いた幅のある丈夫そうな黒い剣帯に先日ウォルフから受け取ったバスタードソードを下げていた。
腕にはコートとはまた違った滑らかな質感の黒い革手袋をはめ、ゆったりとした黒い皮のボトムスを手袋と同じ質感の黒いタイトなひざ丈の編み上げブーツにたくし込み、黒真珠のような輝きを放つ黒い脛当てをつけていた。
堂々とした立ち姿はまるで戦女神のように映り、ハンスとレーナは思わず見惚れて言葉を失った。二人の反応にハナは照れ臭そうに頬を掻いてはにかみ、静かに一言「いってきます」と言い残すと馬にまたがりあっという間に走り去っていった。
半ば呆然とハナを見送った二人は我に返ると村長のところに向かい、先ほど白い衣の美女が届けにきた装備を身につけてハナが出かけた旨を話し、事の次第を話すよう詰め寄った。
「実は南のクルーゼ村にほど近い森で大型のクリーチャー──ビーストが暴れておってな。ビーストハンターが狩猟に向かったが返り討ちに合って重傷を負い、そこに都合よくハナが村に帰ってきたが、あ奴は休養中だと頑なに断っておったゆえ、ビーストハンターを統括する組織に改めてハンターを要請しておったんじゃ」
ここで村長は言葉を切り、パイプの灰を落として新しい刻み煙草を詰めて火をつけると話を再開した。
「──しかし、お主らも聞いたようにこの村の近くの森にも奴が現れたと思しき痕跡が見つかった。それまでギガスボアが畑を荒らす被害が出ておったが、現れたビーストが予想通りであれば脅威はギガスボアの比ではない。ハナは急を要すると判断して休養を取り消して狩りに向かってくれたというわけじゃ」
村長は長くゆっくりと煙を吐き出すと、長いまつ毛の下から二人に鋭い目を向ける。
「ハナはお主らの身の安全を考慮して狩りに向かったんじゃ。くれぐれも早まったことをするでないぞ」
そう言うと村長は払う様に手を振って二人に出て行くよう促し、レーナはまだ何か言おうとするハンスの手を引っ張るようにして村長宅を後にした。
二人はいちど狩人小屋に戻ったが、ハンスは背中にツヴァイハンダーを背負ったまま思いつめた顔でずっと黙っていた。レーナはベッドに腰掛け、心配そうにそれを見つめる。
ハンスがうつむいたまま重い口調で口を開いた。
「俺たちも狩りに行こう」
「……今行くと死ぬかもしれないって言われたでしょう。ダメよ」
沈痛な面持ちで、しかしきっぱりとした口調でレーナが窘める。
「ハナが相手するやつがヤバいのは分る。けど、ギガスボアも野放しのままなんだ……。あっちの森から来たんなら、こっちの森からギガスボアがあっちの村に行くことも考えられるんじゃないのか?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「たとえ狩れないとしても、俺たちがギガスボアを相手しておけば奴があっちに行くことはないだろ? 上手く狩ることが出来たらハナにとって不安要素が減るし、俺たちの腕を見せつけることもできるんじゃないか?」
「……ダメよ。ハナさんを信じて待ちましょう?」
例え最後の言葉が一番の本音だったとしてもハンスの言うことももっともだと思ったレーナは、少し逡巡した後、なだめるように言った。
「──俺一人でも行くからな」
俯いたハンスの顔を覗き込んでレーナは背中がざわついた。幼いころから知っている。ハンスが頑として聞かない時の、頑なな目をしていた。
レーナは目を閉じて気持ちを落ち着けると、目を開いた時にはこちらも決意を固めた顔をしていた。
「──わかった。私も行く。その代わり今度はちゃんと考えて、しっかり準備をしてから行きましょう」
二人は視線を交わし、ハンスは口元に不敵な笑みを浮かべ、レーナは困ったように笑みを返した。




