駆け出し二人と巨大猪 ~後編~
#10『駆け出し二人と巨大猪』後編
ハンスが呼吸を整えながら昂った心を落ち着かせていると、茂みからレーナが現れ駆け寄ってきた。ハンスの傍に膝をつくとおもむろにハンスの皮の衣服をたくし上げて腹に巻かれた包帯を取り、ポーチから綿布を取り出すとハンスの脇腹に押し当てる。
薬液をしみこませた綿布のひやりとした冷たさに顔をしかめながら、レーナが自分の腹に新しい包帯を巻くのを眺めるハンスは、先ほどの攻撃で傷口が開いたのか、などとぼんやりと考えた。まだ興奮気味であまり痛みを感じない。
「お見事でした。ハナが見込んだ若者、ということなのかもしれないですね」
声のした方を見ると、離れたところにニーナが姿を現していた。
「ちょっとデカい猪みたいなもんだからな。わけねぇよ」
「こんな傷もらっておいて、よくそんな大口叩けるものね」
ハンスが誇らしげに答えると、レーナが据わった眼でハンスを見上げながら指摘するが、ニーナはゆっくりと首を振った。
「いえ。ハナが昔、貴方と同じくらいの年の頃にギガスボアと戦った時はもっと苦戦していましたから。それに、太いギガスボアの首を硬い骨ごと一刀両断したのは大したものです。正直、感心しました」
ニーナに意外な高評価を受け、ハンスは照れ臭そうに鼻を搔いた。ハンスの傷の手当を終えたレーナがニーナに尋ねた。
「通常の獣なら皮と肉を剥ぐんですけど、魔獣の遺骸はどう処理すればいいんでしょう?」
「こういった獣に類似した魔獣の処理の仕方は獣の時と大して変わりません。ギガスボアの肉も堅くて通常の獣より味は落ちるらしいですが食用可能です。しかし、魔獣狩りではその他にもう一つ、重要なこととして魔晶石──マギカナイトの摘出があります」
「マギカ、ナイト……?」
初めて聞く言葉に首をひねるハンスとレーナに頷き、ニーナは説明をつづけた。
「魔獣と通常の獣との大きな違いは、そのマギカナイトを体内に有しているかです。マギカナイトが魔獣に異能を与え、強靭な肉体を与えています。マギカナイトはそれ単体でも魔法的な作用を働かせるので、それを武器に組み込んだり、様々な機器に応用されるので街では高価な値段で取引されています。貴方の剣に組み込まれているその石もマギカナイトですよ」
ニーナはハンスのツヴァイハンダーの刀身にはめ込まれた緑の石を指さし、ハンスはまるで初めて見るかのように己の剣をまじまじと見つめた。レーナもハンスの大剣を見て「以前、ハナさんが話してくれた魔獣の内部器官って、マギカナイトのことなのね」と独り言ちる。
「もしかして、ハナさんが着ていた黒い外套なんかも魔獣の皮などで作ってあるんですか?」
レーナの質問に微かに微笑みながらニーナは首肯した。
「察しがいいですね、その通りです。強力な魔獣の皮や鱗、魔晶石で作られた武具が魔術が使えないビーストハンターにとっての力の源であり、実力の証明でもあります。なのでビーストハンターの中には、武具を作る際にあえてその魔獣の外見を模したデザインにする者もいるようですね。
ともかく、そのギガスボアの肉体はあなたたちの武具を作る素材となってくれます。その魔獣に感謝の意を示し、丁寧に余すことなく利用なさい」
「まぁ、有難く利用させてもらうわけなんだけどよ……そんな離れたとこにいないで、こっち来て具体的に剥ぎ取り方とかどれをどう使えばいいのか教えてくれねぇの?」
「……穢れた魔物に近づくわけにはいかないのです。ここから指南いたしますから、安心して作業を行いなさい」
ずっと離れたところから動かないニーナに眉を寄せながらハンスが尋ねると、一拍の間をおいてニーナがすまし顔で答えた。ハンスはポケットから折り畳みナイフを取り出し、大きく息を吐き出すと「やるぞ」と小さく呟きながら緊張の面持ちでギガスボアの遺骸に向き合う。震えるナイフの刃を毛皮に押し当てた手を、レーナの手が優しく止めた。ハンスが振り向くとレーナが困ったように苦笑を浮かべて見つめていた。
「獣の皮を剥ぐのなんてやったことないでしょう? 私は母さんの狩りについて行って何度も見てるし手伝ったこともあるから、今回は私がやるわ。ハナさんが戻ったら、今度二人で一緒にやり方を教えてもらいましょう」
そう言ってレーナはバックパックに括り付けた大きな狩猟ナイフを手に持ち、巨大猪の毛皮に刃を入れて慎重に剥いでいった。獣の皮を剥ぐ経験があるものの魔獣の皮を剥ぐのは初めてであり、通常の獣よりはるかに大きな獲物を相手にして苦戦しながらなんとか毛皮を剥ぎ取り、心臓の近くにあったこぶし大の黄色い結晶を回収し、肉を骨からそぎ落としたころにはレーナは汗だくになり、ニーナの指示でハンスとレーナが二人で頭と内蔵、骨を土に埋めたころには日も傾き始めていた。その間、ニーナは鼻と口を手で覆いながらレーナに指示を出し、レーナの質問にアドバイスをしつつも決して離れたところから近づいてくることはなかった。
レーナが解体したギガスボアの肉をハンスが布で包んでバックパックに詰め、レーナが毛皮を丁寧に畳んでバックパックに括り付けて二人が荷物を背負うのを見届けたニーナが言った。
「いまのところ近くに他の魔獣の気配はありませんが、速やかに村に帰りなさい。それでは、ごきげんよう──」
言い終わらるか終わらないかのうちに姿を消すニーナに苦笑し、二人は顔を見合わせて日が暮れないうちにと、辺りに気を配りながら森を出るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
村が見えてくると二人は人目を避けるようにして村に近づいた。幸い狩人小屋は村の入り口近くで民家から少し離れている。二人は修練場に面した方から倉庫に忍び込んでそっと扉を閉め、ようやく安堵の息を吐く。一旦倉庫に荷物を下ろすと一息つくために母屋に向かった。
「まったく……ハナにバレてるとしたら村長にもバレてるかもしれねぇなぁ……どうしたもんか──」
「その通り。村長はカンカンよ、まったくもう……」
ぼやきながらハンスが母屋に続く扉を開けると正面から窘める声が聞こえ、母屋の中に両手を腰に当てて仁王立ちするアンがおり、眉間にしわを寄せて二人を見据えていた。不意を突かれてハンスは扉のノブに手を掛けたまま固まってしまい、レーナはバツの悪い顔でハンスの背中に隠れる。
アンは二人を見据えたまま有無を言わせぬ気迫で言うのだった。
「とにかく! 今から一緒に村長のところに行って叱ってもらいますからね」
二人が観念したように渋々頷くのを確認すると、アンは二人に背を向け先導するように母屋の玄関の扉を開けた。そして狩人小屋を出ながらちらりと微笑み、二人には聞こえないほど小さな声で囁いた。
「おかえりなさい。無事に帰ってきて本当に良かった」
ハンスとレーナは村長にこっぴどく叱られ、狩りの時以上にぐったりと疲れた様子で狩人小屋に戻った。
荷物を解いて毛皮を武具工房に持って行って処理を頼み、肉の一部を(お詫びを兼ねて)村長宅に持って行って残りを干し肉にするために処理をしているとすっかり陽が暮れてしまった。疲れ切った二人はもう何もする気も起きなくなり、各々狩人小屋でぐったりしていると誰かが玄関の扉を叩いた。
迎えに出る気も起きないほど疲れ切った二人が役目を押し付け合っていると、扉の向こうから「あれ? いない?」と聞き馴染みのある声が聞こえた顔を見合わせた二人がさっきまでの疲れも忘れ、我先にと玄関に駆けだした瞬間に扉が開き、戸口には駆け寄る二人に驚いて目を丸くするハナが立っていた。
額には包帯が巻かれて頬に大きな湿布が貼られており、黒い外套はあちこちが何かに引き裂かれたようにボロボロになっている。着衣の裂けた個所からも包帯が見え、右腕は添え木を当てて固定されて首から布で吊られていた。
そんな凄惨な姿にも関わらず何事もなかったかのようににこやかに微笑み、ひらひらと手を振りながら二人に言うのだった。
「二人とも、ただいま。狩りの成果はどうだった?」
第一章はこれにて終了です。最後までお読みいただき、ありがとうございます。第二章も続けてお読みいただけると幸いです。