8月13日
翌日の朝は、目覚しが鳴るより早く目が覚めた。嫌な夢にうなされて起きたが、なんの夢だった思い出せない。このあとは眠れる気もしなかったので実家に帰る準備をする。
その後の彼女は魂が抜けたようになってしまい、私の問い掛けにただ頷くだけだった。駅のホームで「また、明日」と彼女が発するまで一言の会話もなかった。側から見れば私は美女を泣かす男という構図になっており、周囲の人間達の詮索する目が辛かった。
私はというと、家に帰ってから酔いが覚めて冷静になると、自分の痛さに悶えた。
まだ、社内の人間にも数人にしか公開していない世紀的な魔法を女を口説く為に見せびらかせたのだ。
もちろん、彼女が魔法研究所のスーパーエリートなので舐められたくない、という気持ちはあった。
だが、昨日の私はお酒に酔っていたこともあったが、あの魔法を選んだのは彼女の妖艶さに惑わされ、良いところを見せたい気持ちが勝っていたことに違いはなかった。
あの魔法でなぜ彼女があそこまで泣き崩れたのか、私は考えながら焼いた食パンを牛乳で流し込む。
考えても仕方ない、と寝る前と同じ結論に辿り着く。
今日も彼女に会うのだから直接本人に確認すればよいことだ、と美女に会えることに少しだけ心が躍った。
顔を洗い、歯を磨き、着替えて時間を確認する。
7時を少しだけ過ぎていた。車で行けば間に合うだろう、と計算をする。
お盆ということもあり、少しの渋滞は覚悟していたが、時間が早かったからなのか、いつも以上に車はなく、予定よりもだいぶ早く実家に着いた。
家に入ると父が居間で朝食の準備をしていた。
「いま、来たのか?」
「ああ、うん。思ったよりも空いていて、助かったよ。」
「昨日、帰ってこなかったんだな。」
「まぁ、予定があって。」私が誤魔化す。
「兄貴、早かったね。」正樹が目を擦りながら降りてきた。
「ああ、まぁな。」
「兄貴、昨日はどうだった?」正樹がニヤニヤしながら言った。
「なんだ、昨日なにかあったのか?」父が反応する。
「お前、そういえば、おれを賭けに使ったんだろ。」
「いや、兄貴は昨日美女と食事してきたんだよ。」正樹が父に説明して話を逸らす。
「別に彼女のいない兄貴には悪くない条件だろ。それにあの子美人だったろ。」
「なに、お前美人と食事したのか?」父が愉快げにしている。
「いや、食事なんてものじゃないよ。ただ、お酒を飲んだだけだよ。」
「それを食事っていうんだろ。」父が指摘する。
「まぁ、そうなんだけど。」私はどこか附に落ちない。
「それより、正樹、早く用意しろよ。」私は、どうにか話題が逸れていくように、と強く指摘する。
「そうだ。正樹も昨日帰ってくるの遅かったな。」父が思い出したように口にした。
「そういえば」と私も父に釣られて思い出す。「昨日、なんかお祝いとか言ってなかったか?」
「ああ」と正樹がが顔をほころばせる。よくぞ聞いてくれた、と言いたげでもある。
「実はさ、おれの希望していたプロジェクトに参加が決まったんだよ。」
「良かったじゃないか。」と喜びつつも私は気になる点を訊ねる。「でも、エボラ出血熱の方はどうなるんだ?」
「ああ、あれは彼女が代わってくれたんだよ。」
「彼女が?」
「彼女ってのは平太が食事したという美女のことか?」父が訊ねる。私はまた彼女の話に戻ってしまったことに心の中で舌打ちをする。
「ああ、そうだよ。」正樹が素直に認める。
「何か裏の目的があるんじゃないか?」父が心配そうに訊ねる。
「かもね。」正樹が他人事のように答える。
「おいおい、お前が巻き込んできたことだろ。」
「いや、兄貴も賭けに負けただろ。」
「まぁ、そうだけど。」
「賭けってなんの話だ?」父が話しについていけずに訊ねる。
「あの甲子園の開会式順延の話のことだよ。」正樹が父に短く説明をする。
「あ〜あ、あの『未来を知っている女』のことか。」父が大きく目を見開く。
「そうなんだよ。彼女が今度は兄貴を紹介する代わりにプロジェクトをおれに譲ったんだ。」
「それで、なんで『未来を知っている女』は正樹に平太を紹介するように頼んだんだ?」
「それは、聞かない約束なんだ。」
「聞かない約束?」私が訊ねる。
「条件に入ってるんだよ。」条件というのがプロジェクトを譲ることであることを察した。
「ますます興味深いな。」父が嬉しそうに顔を崩す。「平太、今度家に連れてきてくれないか。」
「いや、そんな仲じゃないよ。」私は否定して「それより、お前がそんな参加したいプロジェクトってどんな内容なんだよ。」
「ああ、詳しくは言えないけどネアンデルタール人についてかな。」
「ネアンデルタールってあの旧人のか?」父が驚いた表情をみせる。
「ああ、そうだよ。」正樹が答える。
「なるほどな。そういえば、平太も昔調べてたもんな。」父が懐かしそうな顔をした。
「そうなの?」今度は正樹が驚いた表情をした。
「まぁ、昔のことだよ。」私は適当にはぐらかす。「それより、なんでそんなにそのプロジェクトに参加したいんだよ?」私は正樹がそこまでして参加したい理由が気になった。
「ああ、そのプロジェクトには所長も参加するらしんだ。」
「所長が?」私は少し驚いた。
「所長って、おれが昔に連れていったサーカス団の団長だろ?」父が嬉しそうに言った。
魔法研究所は創設して間もない。真偽は不明であるが、創設されたきっかけは魔法サーカス団の公演を見て感動した大臣の一言が始まりだと言われている。そして、創設する際にきっかけになった魔法サーカス団の団長が所長に抜擢されたのだと噂されている。
「ああ、そうだよ。あの魔法サーカス団の元団長だよ。所長と仕事出来るなんて滅多にない機会だからね。魔法についてもっと教えてもらいたいんだよ。」正樹が興奮気味に早口で言った。
「凄いプロジェクトなんだな。」私は他人事のように言った。実際に他人事なのだから仕方ない。
「兄貴ならもう少し羨ましいがると思ったんだけどな。」と正樹は少し納得いかなさそうに洗面台に向かって歩き出した。