未来を知っている女
「兄貴、賭けをしないか?」
正樹が居間のテレビでニュースを見ている私にトランプに誘うかのように言った。
「トランプ?」私は思わず訊ねてしまう。
「違うよ。高校野球だよ。」正輝は真剣な表情だったので、私は少し圧倒される。
夕食を食べ終えた私達は片づけをして、各々自由に過ごしていた。父は部屋に戻り、正樹は居間のテーブルにパソコンを広げて仕事をしていた。私は少し休んでから帰ろうとテレビを観ていた。番組内では、動物愛護センターの動物が盗まれたというニュースが流れていた。私は、動物愛護センターというもの自体が初耳だったが、動物を盗んでどうするのだろうか、という疑問を抱いているときに、正樹から声を掛けられた。
「高校野球?」
「そう。3日後に茨城代表の試合がある。そのスコアで賭けをしよう。」
「賭けって。」私が苦笑する。そんな、神聖な高校野球で賭けなんて罰があたるんじゃないか、と茶化しをいれた。
「ふざけてないよ。これは、未来からの挑戦なんだ。」正樹が至極真剣な表情のままだった。
「未来からの挑戦ってどうゆうことだよ。」私は正樹の突飛な発言に意味がわからず問いただす。
「さっき話したよね。未来を知っているって話し。」
「ああ、台風が来ることを2カ月前から当てた奴だろ。」
「正確には甲子園の延期を当てたことね。」正樹がすかさず訂正をいれる。
「この話しには続きがあるんだ。」
「続き?」
「彼女は後輩なんだけど、茨城代表の試合も予言しているんだ。」私は話しの内容よりも、『彼女は後輩』というワードが引っ掛かった。胡散臭いおばさんを想像していたからだ。まさか、若い女性だったとは。
「それで、なんでおれがお前と賭けをしないといけないことになるんだ。」
「それは・・・」正輝は眉を下げて、痛いところを突かれた顔になった。「おれが彼女との賭けに負けたからだよ。」
「何だ、それは。」
「おれもまだ信じてはないんだけど・・・」と経緯について話し出した。それはドラマの犯人役が自分の罪を白状するかのようだった。
正樹の勤める研究所に正樹の1年後輩で優秀の女性社員がいた。いつも沈着冷静に仕事を進め、誰からも信頼され、誰もが彼女は他の社員とは違うと一目置いていた。それは、彼女の容姿も関係していて、彼女の容姿は魅力的で、目を惹いた。彼女を見た者は、少しだけ幸せになれる気がした。彼女も自分が人並み以上の器量があることを自覚していて、そのアドバンテージを最大限に生かす方法を熟知しているようだった。それが、彼女をより神秘的にさせていた。だが、光があれば影ができる。彼女の優秀さは多くの妬みも生んでいたことも事実だ。正樹もその一人だった。
正樹もそれなりに優秀だった。研究所創設以来の好成績で入社をしていた。しかし、研究所創設以来の成績は翌年に更新されてしまう。それを塗り替えたのが彼女だった。同期の中では、実力ナンバーワンとの評価でも彼女と比較をされれば、「それなり」の評価に成り下がってしまう。だが、正樹はそんなことは気にしていなかった。実力がありながらも、出世欲はなく、自分の研究ができればそれで良かった。その為周りの評価などに興味がなかった。だが、状況が変わったのは、正輝が希望していたプロジェクトに彼女も応募したことだった。研究所創設以来の最大規模のプロジェクトで若手が参加できる枠は1つしかなかった。その若手の枠に内定をしているのが彼女だった。つまり、正樹はその枠を攫われたことで彼女のことをあまり良くは思っていなかった。
彼女から声を掛けられたのが6月の初旬だった。上司に資料を頼まれて別館に取りにいくときだった。彼女に「正樹さん」呼び止められたのだ。
彼女とは特別親しい仲ではなかった。同じプロジェクトで仕事をしたことはなく、同じ飲み会に参加をしたことはあったが、世間話をする程度だった。だから、その日も仕事の用事で呼び止められたと思った。だから彼女に「正樹さんは野球に詳しいですよね。」と言われたときは驚いた。
「中高で野球をやっていたぐらいだけど。」正樹は訝しく思いながらも答えた。すると彼女は「正樹さん、私と賭けをしませんか?」と微笑みながら言った。正樹は唐突な申し出にたじろいだ。
「賭け?」
「はい。賭けです。」
正樹は「賭け」という言葉に自然と警戒をする。
「私は未来を知っているんです。」彼女のその物言いはおかしかった。「見える」や「分かる」ではなく、「知っている」という言葉を使ったことに正樹は違和感を覚えた。
「未来を知っている?」
「今ちょっと馬鹿にしましたよね?」彼女は至極真剣な表情で言った。
「いや、してないけど。」実際に馬鹿などしていなかった。どちらかというと、薄気味悪かった。だから、話しを早く終わらせたかったのだが、邪険にしなかったのは、彼女の容姿が正輝の意思を麻痺させたのだろう。正樹は気が付いたら「どうしておれと君が賭けをするんだ?」と質問をしていた。
「それは、お互いに欲しいものがあるからじゃないですか?」
いったい、どうゆう問いかけなのかと恐れも感じた。それでも、正樹は、「欲しいもの?」と訊ねる。
「例えば、私の内定している例のプロジェクトとか?」彼女は意地悪そうな笑顔をした。正樹は、その顔を見て少し動揺をする。
「どうしてそれを・・・」と正樹が唖然していると「譲ってもいいですよ。」と彼女は言った。
「実は、私そんなに興味もないんです。」正樹はその言葉を聞いて、「じゃあ、何で」と言おうとしたが上手く言葉が出なかった。
「正樹さんと賭けをしたかったからです。」
正樹は彼女の考えていることが分からず混乱して言葉出てこなかった。
「ここまで、何か質問はありますか?」彼女は事務的に言った。
「えっと、まずは、君の目的は何?」整理をしろ、整理をしろ、と頭の中で繰り返し自分に言い聞かす。この話しには絶対に裏がある、と勘繰っていた。
「それは、答えられません。」
「どうして?」
彼女は、オッホン、とわざとらしく咳払いをして「それでは、私の欲しいことを言います。」と言った。
「お兄さんを紹介してください。」彼女は指を差した。
「兄貴を? 紹介?」正輝は意味が分からず言葉を断片的に拾う。
「この賭けに最後まで乗ってくれたら、1つ目はプロジェクトを譲ります。2つ目は、全ての真相を話します。」
「全ての真相? 全ての真相ってなに?」
「全ての真相です。それ以上は言えません。」
「よく話しが見えないんだけど…」
「そのうち分かると思いますよ。私は未来を知っているんです。」
「賭けに乗ればプロジェクトを譲ってくれるということ?」
「そうです。正樹さんにとって悪いことはありません。」
「そう言われてもな…」正樹は全く関係のない私を巻き込むことに気が引けていた。
「私はこれから、何が起こるのか知っています。」
「知っていると言われても。」
「だから、賭けをしましょう。」
「賭けってどうやって賭けをするの?」
「甲子園です。」
「甲子園?」
「茨城の代表校がどこになるのかは、まだ、誰にも分らないはずです。」
「そりゃそうだけど。」
「私が指定した高校が代表校になれば、私の勝ちです。外せば、正輝さんの勝です。」と彼女は言い「いいですね。」と念を押してきた。
「少し待ってくれ。」と正樹は彼女を制止する。1つだけ腑に落ちないことがあるので訊ねた。「でも、なんで、兄貴を紹介しないといけないんだ。それも、秘密なのか?」
「それは、お兄さんの未来を私が知っているからです。」
「兄貴の未来を知っている?」正樹は首を傾げる。答えになっていないことを指摘しようとしたが、先に彼女が「これは未来からの挑戦です。」と言ったので叶わなかった。
「未来からの挑戦?」正樹は意味が分からないな、と顔を顰める。彼女は正樹の考えを見透かすように「考えても無駄ですよ。今の時点では私の言っていることなんて分からないですから」と微笑んだ。
「正樹さんにできることは、私の提案に乗ってこの賭けをすることです。」
「本当に君が未来を知っているのなら、おれはこの賭けに負けることになる。」
「はい。その通りです。」彼女は、誰もが分かるクイズの正解を聞いたかのように答えた。「この賭けに乗れば君はおれにプロジェクトを譲る。それでいいのかな?」
「はい。勿論です。条件はありますが…」彼女はにっこりと笑った。
「条件?」
「それは1つ目の賭けが終わったあとに言います。」
「分かった。」正樹が頷く。賭けの条件としてはこちら良すぎるぐらい良いな、と考えていた。茨城県の高校野球の出場校は100校を超えている。その中で甲子園に出場できるのは1校のみだ。勿論、強豪校とそうではない高校では甲子園に行ける確率は変わるが、単純な計算だけでいえば、その中から1校だけを選ぶというのは1%も勝率はない。つまり、正樹の勝率は99%ということだ。
「分かった。賭けに乗ろう。」
「ありがとうございます。」彼女はお礼を言うと、彼女は高校名を口にした。その高校は公立の高校で甲子園には出場したことはあるが、甲子園常連校とまではいえなかった。