絶望とロマン
土曜日に久しぶりに実家に帰った。台風が近づいているようで、雨は降っていないものの、いつ降ってもおかしくない天気だった。自分で作った自転車に乗って帰ろうかとも思ったが、天気が怪しいのと疲れるので、いつも通りに車で帰った。
「兄貴、久しぶり」弟の正輝が手に持っていたマグカップをテーブルに置きながら言った。首には見かけないネックレスを身につけている。
格好良いネックレスだな、と言うと彼はネットのフリーマーケットで手に入れたと説明をしてくれた。お洒落に疎い私には分からないが、中々出回らない希少な限定品を運良く手に入れたらしい。
「仕事は順調か?」私が挨拶代わりに訊ねる。
「まぁまぁかな。兄貴はどう?」
「まぁまぁかな。」とお茶を濁す。
正輝は私と同じで魔法関係の仕事をしている。つくば市にある魔法科学研究開発機構の魔法研究所が彼の職場だ。
正輝は昔から私の真似ばかりした。私が野球を始めたら彼も野球を始め、ゲームや玩具など私が始めるもの全てを真似しないと気が済まないような感じだった。記憶は曖昧だが、魔法も私が始めたのを真似たはずだ。唯一、真似なかったのは、私は就職活動の際に魔法研究所を受けたが落ち、彼は受かったということだ。
「父さんは?」
「部屋にいるよ。」
父に会う前に、和室にある母と妹の写真に手を合わせていると父が二階から降りてきた。
「久しぶりだな。相変わらず忙しいのか。」
「まぁ、それなりだよ。」
「野菜をちゃんと食べているのか?」父がコンロに点火させながら言った。手早く油を引いて、「自分達で好きに焼け」と野菜と肉を指さした。
「基本外食だけど、一応気にはしているよ。」野菜ジュースで野菜を摂取していることになるのか疑問ではあるが、嘘ではない。
「最近、どんな仕事をしているんだ?」父が私に訊いた。
「詳しくは言えないけど、企画が通ったんだ。」
「企画?」反応したのは正輝だった。
「ああ。おれの企画が通って、新規商品開発の責任者に抜擢されたんだよ。」
「すごいじゃないか。」父が弾んだ声で喜び「正輝も世界的なプロジェクトに任命されたんだぞ。」と続けた。
「世界的なプロジェクト?」
「今、テレビでもやっているエボラ出血熱の対策で魔法でも協力出来ないか国から要請があったんだよ。」正輝が箸で肉をひっくり返しながら答えた。
「でも、正輝は別のプロジェクトに参加したかったって不貞腐れていたんだぞ。」父が困ったように眉を下げた。
「不貞腐れてなんかないよ。」正輝が反論する。「魔法の凄さを広めるのには、これ以上ないチャンスだと思うし、そのメンバーに選ばれたことは光栄だと思う。」
「だったら、いいじゃないか。」私が言う。「民間企業には出来ない経験だ。」
「そうなんだけど。」正輝が浮かない顔をした。「でも、このプロジェクトに参加すると来週に発表されるプロジェクトには参加出来ないんだよ。」
「まぁ、仕方ないじゃないか。仕事なんだから。やりたいことばかり出来るわけじゃない。」私が指摘する。
「でもなぁ。」正樹が不満そうな声を漏らす。
「なぁ、正樹。」と父が正樹を呼んだ。
「人生なんて、過ぎたことで経験をして、それを今後にどう生かすかだと思うぞ。」
父はこの言葉を時々口にする。「上手くいかないと思うときは、経験をしていると思え。どうせ、人生は前向きにしか生きられない。」
「そうだ。人生なんてなるようにしかならん。」私が言う。「おれを見ろ。おれだってなんとか魔法の仕事に就いてるよ。でも、まぁ、イメージとは、ほど遠いよ。でも、やってるよ。それに比べたらお前は恵まれてだからさ。とりあえず全力でやり切って、あとはなるようにしかならん。それでいいだろ。」
「まぁ、兄貴は運が無かったというか…まぁ、事故だよね。」正樹が苦笑する。
「事故を起こされても、周りに支えられて頑張って生きてる人間もいるってことだ。」私は自分で言って笑ってしまった。
その後、私たちは焼肉を楽しんだ。会話は途切れ無言ではあったが、じゅう、じゅう、と焼肉が焼ける音と煙だけが賑やかだった。
私はこのとき久しぶりに聞いた父の一言で不意に蘇った記憶を辿り、思い出していた。私は父のこの言葉に救われたことがあった。
私が高校3年のときだ。私は進学か就職の選択時に迷わず就職をすることを選んだ。理由は魔法研究所に就職をする為だった。だが、試験には落ちた。正確に言えば、試験すら受けることができなかった。
試験当日に駅から電車に乗る前に私は全てを失ったのだ。物理的には、鞄と財布と携帯を失っただけだったが、あの日、それを失うということは、私にとっては全てを失うことに等しかった。
バスに乗り、最寄りの駅に着くまでは順調だった。だが、駅に着き、切符を買うときに事件は起きた。切符売り場で鞄を地面に置き、携帯を見ながら財布からお金を取り出して切符を選ぼうとした。
そのとき、財布が手元からするりと抜け、ほぼ同時に携帯も手元から取られた。それに、気付いて横をみるとニット帽を被り、マスクを付けた何者かが、私の鞄に手を伸ばしていた。あれ、と思うが声が出なかった。その後、ニット帽マスクは私の鞄を持って駅とは反対の歩道橋に向かって走り出した。少し遅れてから、事の重大さに気付いた。
慌てて駆け出す。ニット帽マスクの後を追った。気持ちが先走るせいか足が絡まる。体力にはそれなりに自信はあった。だが、慣れなない革靴のせいか、上手く走れなかった。私のイメージではとっくに追いついても良いはずなのだが、追いつくどころが、どんどん差が広がっていた。どうにかしなくてはいけないと思い、行違う人間に助けを求めようとするが、上手く声が出せなかった。周りの人達も私の様子から異変に気付いているようではあったが、視線をこちらに向けるだけに過ぎなかった。そうこうしているうちにニット帽マスクは階段を降り始めていた。
私が階段まで着くと、ニット帽マスクは階段をすでに降りていた。階段下に原付バイクを用意していたようで、原付バイクに跨っているところだった。私は急いで、階段を下りたが、間に合うはずもなく、ニット帽マスクが乗った原付バイクは走り去ってしまった。
私は急いで父に連絡を取ろうとした。だが、携帯がなく手段がないことに気付く。連絡先すら覚えていなかった。財布がないので電車に乗れない。家に戻るバス代すらなかった。受験票も鞄の中に入れていたので、受験もできない。私はどうして良いかわからず、途方に暮れるというのはこのことだな、と頭を抱えたことを覚えている。
「そういえば、甲子園の開会式が本当に延期になったな。」茶碗のご飯を食べ終えたところで父が思い出したかのように言った。
「甲子園?」私は脈略のない会話に眉を顰める。
「正輝の職場に未来を当てる人がいるらしいんだよ。」父が愉快そうに言う。
「未来を当てる?」私は学生の頃にテレビで観た、胡散臭い自称占い師のようなものを想像する。
「なにか、からくりがあるんだよ。」正輝が頭を掻く。「未来なんか誰にも分かるはずがないんだ」
「でも、実際に当てたじゃないか。」父は相変わらず愉快そうだった。
「台風の情報を事前に入手していたかもしれない。」
「台風ってあの話しをしたのは、6月だろ。予選も始まってなかったぞ。」父が否定する。
「2カ月も前から?」私は素直に驚く。
「もしかしたら、天気予報に詳しい知り合いがいたとか。」正輝が言う。
「2カ月前から台風を予測することなんか出来るのか?」私が訊ねる。
「普通に無理じゃないか。そんなことが出来るなら、天気予報の精度はもっと高いだろ。」
「じゃあ。父さんは彼女が未来を知っていたと思う?」正輝が少しだけむきになった顔をした。
「そんなこと、おれには分からないよ。でも、ロマンということでいいんじゃないか。」父がどこか達観した表情で言った。
「ロマン?」正樹が不満そうに聞き返す。
父はロマンという言葉が好きだった。ロマンは人生を豊かにするとも言った。
「あるじゃないか。デジャヴみたいなこと。」
「デジャヴ?」私が聞き返す。
「このやり取りどこかであったな、とか。この空気、この感情、どこかで体験したことがあったな、みたいなことあるだろ。」父が麦茶を一口飲む。「その度におれは思うんだよ。」
「何を?」
「この世界はずっと続いているんじゃないのかなって。」
「どうゆうこと?」私は意味が分からず聞き返す。
「死んだ後のことを考えたことあるか?」
「天国とか地獄とかのこと。」正輝が答えた。
「違うよ。そんな宗教的なことじゃない。」父が微笑む。「おれはさ、死んだらまた戻れるんじゃないかって思っているんだ。」『思っている』というよりは、『願っている』のではないのか、と私は思った。
「戻る?」正輝が顔を顰めた。
「生まれたときに戻るんだ。そして、また、知らずに同じように生きる。その時々の記憶が反応してデジャヴが起きているんじゃないかってさ。」
「そんな、ことあるはずないだろ。そもそも、記憶は海馬と側頭葉だとかに記憶して、保存して、読みだす。デジャヴなんてのものは脳が起こしたエラーだよ。」今度は正輝が否定する。
「でも、人間は脳を10%しか使ってないっていうじゃないか。」父が穏やかな笑みを浮かべた。
「その90%のどこかに、人が最後を迎えるときに起こす機能が備わっているのかもしれないじゃないか。」
「そんな都合が良いものあるはずがないよ。」正輝が呆れた顔をした。
「だからさ、それがロマンなんだよ。」父が愉快そうに言った。