日和
焼肉日和だね、と挨拶もそこそこに彼女は笑顔で言った。黒いシャツとベージュのパンツ姿だった。
「焼肉?」
「焼肉よ、焼肉。」笑顔で彼女は歩き出す。
そこには、昨日の泣き崩れてしおらしくなった彼女の姿はなかった。
「昨日は無事に帰れた?」私は彼女の横に並んで声をかける。
「問題ないよ。」彼女はその話題に触れて欲しくないのか、短く答えた。
「それよりも、昨日の魔法凄かったね。」
「ありがとう。」
「あれは、1個目の魔法でエネルギーを使って、2つ目の魔法陣を花の生命エネルギーで解いているんだよね。」彼女は私のとっておきの魔法を簡単に言い当てた。
「な…なんで分かるの?」私はたじろぐ。
2つの魔法陣を使った魔法は画期的な開発だという自負があった。その原理が簡単に見破れることに私は驚きが隠せなかった。
「さぁ、なんでだと思う?」
「質問をしているのはこっちなんだけど。」
「質問しているだけでは人間は成長しないんだよ。まずは、自分の意見を述べないと。」
「君も出来るのか?」
「さぁ、どうでしょう」彼女は艶かしく笑った。「それは、焼肉を食べながらゆっくり話しましょう。」彼女は目線を焼肉屋に向けた。
私達は駅から歩いて5分ほどの焼肉屋に入った。1階は駐車場になっていて、看板には『ヒャクリュウ』とある。名前の通り、看板には龍が2匹看板を囲っていた。
店内に入ると彼女は私の名前を伝えた。どうやら、また、私の名前で予約をしていたらしい。何故、私の名前で予約するのだろうか、と私は悶々とする。
「君は誰なんだ?」私は正面に座る彼女に言う。
「はい。さっき言いましたよね。質問する場合は自分に意見を述べましょう。」彼女はメニュー表を見ながら言った。
「君は『ひとみ』ではない。」
「何故そう思うの?」彼女がメニュー表から目を上げて笑う。
「それは…」と言ったときに店員が水を持ってきた。
私は水を一口飲んで「正樹が君の名前は『竹下 愛』だと言っていたから。」
「うーん、そうですね。両方、正解です。私は『ひとみ』でもあり、『竹下 愛』でもあるんです。」
あ、この人は痛い人なのか、と思った。
「ただ、本当の名前は『竹下 愛』です。」
私はだんだんからかわれていることに腹が立ってきて「それじゃあ、『ひとみ』というのは?」と語尾を強めて言った。
「あなたは『脚長サムライ』という人を知っていますか?」
唐突な質問に私は耳を疑う。「アシナガサムライ? 虫の名前?」
「そうゆう名前でSNSで活動している人がいるんですよ。」
「ああ、それが?」
「ほら。」
「ほら、って何が?」
「その人だって、現実の名前があって、別で活動する名前があるの。」
「その人はどんな活動をしているの?」私は名前から身寄りのない少女に援助を行うあの『あしながおじさん』を想像する。
「表向きは心を病んでいる人に声を掛けて励ましているみたい。」
「表向きは?」
「まぁ、この話しはまたあとで。それより、人に名前が1つなんて誰が決めたの?」彼女は口を尖らせた。
「軽率だった。怒ったりしてすいません。」
「それで、色々と聞きたいんだけど、いいかな?」私ははぐらかされないように言葉を慎重に選ぶ。
彼女は「ちょっと待って。」といい、呼び出しボタンを押した。やってきた店員にメニュー表を見ながら注文する。一通り注文をすると、店員は「かしこまりました」とハンディを閉じて立ち去って行った。私は注文を選ばせて貰えなかった。
「それで、何が聞きたいの?」彼女はメニューをテーブルの端に戻しながら言う。
「君の目的は何かな?」
「目的?」彼女があざとく上目遣いで私を見る。
「い、いや、君がおれの貴重なお盆休みを使う目的は何かあるんだろ?」私は目を逸らしながら言う。
「それは…」と彼女は言って唇に指を当てる。「もちろん、ありますよ。」
「それは、なんだろう?」
「お兄さん、人に質問するときは?」と彼女は微笑む。
「おれの魔法が目当てとか?」私は父との会話がよぎり口にする。
「うーん、まぁ、半分正解かな。」
「半分?もう半分は?」
「もう半分はお楽しみです。」と彼女は笑った。
何だよ結局教えてくれないのかよ、と文句を言おうとしたとき、店員が肉を持って現れた。それが、私の好きなタンとハツだったので、とりあえず肉を食べてからにしよう、と一旦引き下がることにした。