八章 体育祭・後日 「願い」
体育祭が終わり、例の事件があった後しばらくしたある日。獣のことや桜さんや少年誌野郎が持つ不思議な力のことについて、一通り説明をうけた。このことについては割愛してもいいのだが、一応かいつまんで説明しよう。なお覚える必要は一切ない。
発端は桜さんが小さい頃、少年誌野郎と一緒に倉で遊んでいた時に、ある封印を破ってしまったということだ。封印されていたのが碁盤に宿る天才棋士だったらよかったのだが、妖魔という魔物だった。当時は封印されていたおかげで妖魔は完全に力を失っており、力が戻るまで桜さんに憑りついていたそうだ。ところが桜さんが16歳になった時に妖魔はついに力を取り戻し、桜さんの命を狙い始めた。その時、桜さんは色々あって「神通力」という力を使えるようになり、少年誌野郎も同じく色々あって「神威」とかいう力に目覚めた。それから二人は何とか妖魔の襲撃を退けてきたのだそうだ。そして僕はその襲撃の瞬間に巻き込まれたというわけだった。
二人は真剣に話をしていたが、僕はまだ絵空事のように感じている。けれど実際に見てしまった以上、信じないわけにはいかない。何より死の恐怖を僕は体感した。突きつけられた死はそれ以外何もなく、僕の想像をはるかに超えていた。自殺する人は本当にすごい決意の中でするのだろう。僕には、とても出来そうにない。
「僕に何かできることはある?」
自ら発言しておきながら耳を疑った。非現実への好奇心とか、特別なことへの憧れとか、そういうものではない。そうであれば、まだ良かったのかもしれない。僕はただ……桜さんと仲良くなりたかった。彼女のためにと言えたら恰好いいのだろうけど、そうじゃない。それはすでに桜さんに近しい人が抱く気持ちだ。僕は彼女との繋がりが欲しかっただけなのだ。クラスメイトから、友達ぐらいにはなりたかった。自分でもおかしいと思う。けどそのために、たったそれだけのために、あの死の恐怖と向き合おうとしている。もはや笑いそうになる。でも後からどんどん気持ちが溢れてくるのだ。
少年誌野郎の顔が明らかにムッとした。僕もその顔を見てムッとした。アイツが僕をどう思っているか分かったからだ。僕が思う少年誌の主人公はきっと、僕の気持ちなんて一生わかりやしない。
「遊びじゃないんだぞ!?」
声色を変えて少年誌野郎が言う。くだらない。そんなことで委縮するとでも思うのか。
「わかってる」
そう、わかっているのだ。
「じゃあ、何でだ!? 命をかけることになるんだぞ?」
僕はこの先の返答ができない。僕自身、この気持ちを、想いを、整理できていない。「死んでもいいから桜さんと仲良くなりたい」などと。僕は桜さんの何を知って、こんなにも想っているのだろう。見返りも何もないのに命をかけるなんて馬鹿げている。こういうのを偶像視っていうのかな。僕は自分の事を気持ち悪いと思う。まるでストーカーだ。僕が抱えている想いは、誰にも認めてもらえない。拙く醜い妄想だ。解っているのに……気持ちが抑えられない。
僕は、桜さんのことを知らない。知ることすらできずにいる。こんなに、心を惹かれているのに。繋がりが欲しいと思う心は悪なのか。惹かれている心を恨んですらいる。僕は桜さんのことを知りたい、それを願うことすらできずにいる。こんなに、心を奪われているのに。あの日の涙のわけすら知らない。僕は、ただ結末を望んでいる。この想いの全て、はやく枯れてしまえばいい。
少年誌野郎の問いかけには、彼女への想いを理由にすれば十分な答えとなるだろう。恰好つけて彼女を好きだから、守りたいからだとでも言えばいい。だけど、言えない。彼女の前だからではない。僕の本心が「彼女のため」ではないからだ。僕の想いはもっと利己的で、ただの欲望に他ならない。くだらないプライドかもしれないけど少年誌野郎とは、せめて正々堂々と戦って負けたい。だからこの場を取り繕うことなどしたくない。僕にできるのは返事もせず、ただ黙ってコイツの目を見るだけだ。僕は決して反らさない。もし負けたのなら。それはそれで納得できる。僕の気持ちはその程度だった、と。
「絶対ダメ」
割って入ったのは、今までのやり取りを黙って見ていた彼女の一声だった。僕は二の句も告げない。少年誌野郎ですら、そんな桜さんを見てすこし驚いている。桜さんの顔には怒りではなく恐怖が映っているように見えた。
「ごめんなさい……」
しばしの沈黙を越えて、桜さんは心の奥から捻り出したように小さく言った。僕は彼女がどうしてここまで頑なになるのか、その理由がわからない。何を考えて苦しんでいるのか。何を思って悲しんでいるのか。僕にはわからない。だから、選択肢はない。呪われたように「日常」しか残らない。それが、いかにも僕らしい。
「わかったよ、桜さん」
僕はそう答えた。きっと理由も言えないのだろう。なら僕には関わらないことを選択するしか、今の状態から彼女を救う方法がない。これで僕にできることは終わりだ。次に言わなきゃいけない言葉がある。綺麗な決着が欲しいなどと、それこそ高望みだ。そもそも、この「非現実な事件」に僕が参加したこと自体、きっと予定外なのだ。
だから、がっかりする必要などない。この機会に桜さんと仲良くなる。そんな偶然に寄るものじゃなく。僕は日常の中でどうにかして、桜さんと仲良くなる。それが僕という人間のあるべき姿だ。そして、迷って苦しんで、結局、今以上に仲良くなれることもなく、僕の中で静かにこの火を消す。それが、当初の作戦だったはずだ。だから、躊躇する必要などない。僕には初めから何もないのだから。
「じゃあ、またね」
そう言って僕は二人に背を向けた。
(今日のことは忘れよう……)
(いや、無理だ)
(せめて、沈めよう……)
心の中で問答のような叫びが上がる。納得できる結末を迎えられるのは幸福だ。それが、否でも応でも。だけど、多くの人は心の中に想い抱えたまま、後悔しないようにと願いをかけて、それを処断するしかない。
「待って、平和くん!」
彼女は静かにそういって、僕に小さなペーパーナイフを差し出した。
「これ、持っていて」
「おい、咲夜、それは……!」
「いいの」
止めようとする少年誌野郎の言葉を遮ってまで渡したいもの。それはストラップやキーホルダーにするにはちょっと大きい。正直、どう所持すればいいのかわからない物だった。けれど、桜さんがくれるものをどうして拒めようか。
「ありがと」
僕は理由も聞かずに受け取った。正直、これはとにかく嬉しかった。
「咲夜……」
少年誌野郎が何か言おうとした。桜さんは少年誌野郎を一目見て、そして、何かを悟らせた。その関係は羨ましいというのを通り越して、立ち入れない何かを感じさせた。
「長船護身刀」
そう銘が刻まれていた。ゲームとかで知ったことのある名だったが、どうやら武器ではなくお守りのようだ。
「大事にするよ」
桜さんは真剣な面持ちで続けた。
「あと、このことは……」
これだけは桜さんの言おうとしていることがわかった。
「誰にも、今日のことは言わない」
僕は静かに答えた。そして桜さんはやっと、いつものように微笑んでくれた。なんだか、それだけで。この納得のいかないような気持ちが全部晴れたような気がする。この顔が見られるのなら、僕の拙い思いなどいくら飲み込んでも構わない。君が笑ってくれるのなら。僕はそれだけでいい。僕の「願い」は、これでいい。
――「願い」は、それを願うだけの素養の上にたって初めて許される。
それを飛び越えた想いは、ただの妄想にすぎない。