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街路樹の片想い  作者: 大神 新
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五章 課外授業 「死刑宣告」

 いつもの時間、いつもの改札。慣れた手つきでスマホを取出し、ICカードの表示に手をやる。あれからも僕の「日常」は少しも変わっていない。

「おはよう!」

 例のごとく、桜さんが挨拶をしてくる。

「おはよう、桜さん」

 寝起きに近い僕の声は、やっぱり掠れている。

「元気ないね!」

 そういって彼女は元気一杯、輝く瞳をして僕の前を通りすぎていく。あの日の夜のことはまるで夢だったのではないか。そう思うぐらいに桜さんはちっとも変わらなかった。予想していなかったわけではない。だって僕と桜さんの間には本当に「特別」といえる事などなかったのだから。未来は予想できないとはいえ、こんな予想はしっかり的中するのだから皮肉なものだ。いつものように機械的に()()()学校に向かう。たまたま会って一緒に登校する、そんな風にはならない。それが僕の現実なのだ。そして、これで何の問題もない。僕は何も期待などしていないし、願ってもいない。ただ、いつものように学校に行って、くだらない授業を聞いて、ここに戻ってくるだけだ。それに何の不満も抱いてはいない。


 だが、この日は学校に行ったことを激しく後悔した。……今日はバーベキューという名の課外授業へ出向く日だったのだ。失念していた。どうにも自分らしくない。今日は学校をサボろうと思っていたのに。学校生活の中で大して仲がいいわけでもない人と、わざわざ山奥に行って飯を食べる必要がどこにあるというのだ。クラスの仲を良くするのが目的なのはわかる。だが、わざわざ仲の良い人たちがバラバラになるようにくじ引きで班分けを行うというのは暴挙すぎるだろう。結果、佐藤も安永も別の班になっていたため、僕のモチベーションは最悪だった。そして今、完全に救いようのない状況にある。僕の班員も同じように友達が少ない同士だ。言うならば、「余りもの寄せ集め班」である。普通に考えれば単に友達が少ない僕が悪いのだろうが、この日は本当に苛々していた。もう何か、悪者がいないとこの感情をどこに向けていいのかわからない。僕は主催者に文句を言うしかなかった。敢えて今日は桜さんのことを「委員長」と呼んでやる。委員長にもわかってほしい。クズを集めてもクズでしかないということを。まあ仕方ない。こうなった以上は諦めてこのイベントを消化するしかない。


 バスでの移動中はずっと狸寝入りを決め込んだ。バスの席も班ごとなんて、もはや狂気だ。道中ではカードゲームに勤しむ班や、楽しそうに語り合う班がほとんど。更にはカラオケ大会なんて公開処刑まで行われていた。なんとかやり過ごしてようやくキャンプ場に着いたら、いよいよ課外授業の開始。班ごとに大型コンロの上に鉄板が敷かれたテーブルに着く。そして……。

 ――ドン。

 そんな音が聞こえて僕達の目の前にブロック肉、それも両手で抱えられるような大きさの生肉が置かれた。他には何もなく、係の人は去っていく。僕は少しの間、頭に手を当てて考えて……。

 ――ふざけるなよ、と。

 ここは感情的に動いてはいけないと思いつつ、僕はすっと立って委員長のもとへ歩いて行った。

「平和くん?」

 彼女と面と向かうと、僕の苛立ちから生まれた逆恨みに近い気持ちがふっと軽くなる。

「桜さん、うちの班の食材のことだけど……」

 思わず名前を呼んでしまった。違う、僕は怒りにきたのだ。

「どうしたの?」

 委員長は心底、心配したような表情で僕を見る。これではまるで僕が悪いみたいじゃないか。それはおかしい。どうにもペースがつかめない。

「肉しか……、ないんだけど」

 しばしの沈黙。そして……。

「あれ? ダメだった……?」

 さすが委員長。僕の想像していない返答をくれやがる。

「用紙に何も記入してくれなかったから、私が適当に頼んじゃったの。男子だけだから、お肉がたくさんあればいいと思ったんだけど……」

 いや、肉だけじゃアレじゃないか。抗議しようと思った瞬間、自分の班員が躊躇なく、切り分けたその肉をもっさもっさと食べている姿が目に映り、僕は肩を落とした。

「ごめんね!ほかの班の人で、野菜はいらないって言っているところがあるから、私がもらってくるよ」

 委員長の判断は意外とマトモなんじゃないかと思うぐらい、確かに班の中には肉ばかり手を付けて、野菜はボールに残りっぱなしになっているところもある。ここで委員長に野菜を取りに行かせるのは、もはや悪者過ぎる気がして、僕は諦めて答えた。そもそも用紙に何も記入しなかった我がクズ班に落ち度があるのだ。

「見てわかるから、もらってくるよ」

 僕は結局、何に苛々していたのだろう。与えられている不条理を恨まずにはいられなかったはずなのに、ぶつける対象すら失ってしまった。これは余談だが、安永は意中の牧野さんと同じ班になったらしく、遠目に見ても楽しそうにしている。あの表情を見ると、案外くじ引きも悪くなかったのかな。もともと友達の多い佐藤は相変わらずだし……。班員は誰も望んでいないのに、僕は他の班から玉ねぎと人参、椎茸を分けてもらった。さっそく処理にかかる。とはいえ料理などしたことないから、野菜の切り方もしらない。とりあえず知っている形に切ればいいんだろう。僕はいろんな怒りと憎しみと無念を込めて、玉葱に目がけて包丁を振り下ろした。

 ――サクッ……。

 自分の中で血の気の引くような感触を感じた。これは擬態語であって、擬音語ではない。指の先に金属の感触が残る。そんな絵に描いたような展開あってたまるか……。僕は恐る恐る、自分の指に目をやる。「ドクドク」という擬態語が浮かぶ。

 恥ずかしながら、僕は血を見るのが大の苦手だ。決して血が怖いわけではない。ただ、それが流れて失われていくことを想像するのが怖いのだ。こう、文字通り血の気が引いていくような、そんな感情が胸をつつむ。まあ待て、と。一度目を瞑って。もう一度、自分の指を見る。見なきゃ少しはマシだったかもしれない。けれど、そういうわけにもいかない。目を開いて紅い何かを見たところで、すっと意識が途切れた。


 気が付くと、バーベキュー場の片隅だった。すぐ横には委員長。

「大丈夫?平和くん」

 委員長……いや、もういいや。桜さんが心配そうに僕を見ていた。正直、不甲斐なさ過ぎて目を合わせられない。

「体調悪かったなら、そう言ってくれればよかったのに……」

 桜さんは少し虫の居所が悪そうに僕に言った。苛々していたのは僕の方だったはずなのに、今や完全に申し訳ない気持ちになっている。何せこの人は今、純粋に僕を心配していてくれるのだ。しかも、僕が倒れたのは自分の配慮が足りなかったせいだと思っている節がある。彼女から感じる雰囲気は自分自身に対する憤りだ。だから僕はもう、こう言うしかなかった。

「ごめん、ありがとう……」

 そういうと桜さんはにっこり笑って、僕の方を見た。

「気分が良くなるまでは、ここにいるね」

 嗚呼……、この人は、なんでこんな表情をみせるのだろうか。正直、いい加減にしてほしい。僕はそんな優しさは望んではない。頼むからこれ以上、僕に優しくしないでほしい。

 過去に感謝するつもりはないが、前にこっぴどくふられていて良かったと思う。僕に耐性がなかったら、これだけで彼女に惚れていたかもしれない。そうなったら最悪だと思う。桜さんには多分だけど彼氏がいる。そのうえ、こんな風に誰にでも優しいのだ。決して自分の方だけを見てくれることはないだろう。こんな人に惚れたら、相手にされていないのに半端に優しくされて苦しむに決まっている。好きになった時点で失恋確定。死刑宣告みたいなものだ。僕はそうならなくて良かったと、安堵していた。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか沈黙が訪れていた……。そういえばゆっくり話すのはこれで三度目か。僕はこの人に苦手意識を持ちながらも、何故だか一緒にいて嫌な気がしない。もし、傍にいた相手が安永の想い人の牧野さんだったなら、僕はきっと嫌な汗でいっぱいになっていたことだろう。

「平和くんってさ、好きな人いるの?」

 沈黙をあっさりと破って、桜さんから投げつけられた言葉は意外そのものだった。僕は思わずのけぞりそうになる。だから、いい加減にしてほしい。こんな展開だったら、期待したり勘違いしたりしてしまうだろう。だが僕は解っている。はっきり言って桜さんが僕に気があるとする要素がない。だから別の事を考える。そういえば似たようなことをつい最近、誰かに聞かれた気がする。

「桜さんは?」

 僕は何気なく切り返した。桜さんはきっと僕に興味があるわけではない。だとしたら、きっと……彼女に好きな人がいて。何の因果か僕にその話をしようとでも思っているのではないか。僕はそう予想した。

「えっ!?」

 桜さんは身構えるような態度を取った。けれど、そっとその顔を朱に染める。やっぱり誰か好きな人がいるのだ。こういうところは本当に現実らしいと思う。この会話を早く終わらせても、僕には行き場がないから黙っていた。桜さんはしばらくうつむいていた。

「いたんだけどね、ふられちゃったの……」

 そして口火を切ったのはその言葉。当然、僕はこの間の涙と結びつける。瞬間、しまったと思った。桜さんは別に、話したかったわけではないのだ。僕は勘違いしないように注意をはらったつもりで、しっかり勘違いしていた。そうだ、良く考えれば僕と彼女はこんな込み入った話をするほど、仲が良いわけじゃない。では何故、そんなことを聞いてきたのだろう。今更ながら彼女の考えは読めないと思った。もしかして世の「女子」という生き物は、皆がこんな風に予想外なのか。だとしたら恐ろしい話だ。

「……」

 僕は返答が出来なかった。ごめん、と言えばいいだけなのに。何故かその言葉に重みがなさそうに感じたから口をつぐんでしまった。直後。僕の沈んだ表情を覗き込んだ、桜さんは急に満面の笑みで次の言葉を言う。

「と、いっても、中学生の頃なんだけどね!」

 彼女の表情から陰りは感じられない。どうやら僕をからかったようだ。桜さんの表情は柔らかかったから、僕は怒るより安心した。ただ、こうなると負けっぱなしではいられない。こっちも何かしらの手を打たねば。

「じゃあ、僕と一緒だ」

 思っていたよりも言葉はすらすらと出てくる。

「えっ、平和君も!?」

 予想以上に桜さんは驚いた表情をした。本当いろんな顔を見せてくれる。すごいものだ。

「そ、中学の頃にふられて、それっきり」

「意外~、中学の頃って生徒会長さんでしょ、モテたんじゃない?」

 生徒会長=人気者、この方程式は必ずしも成り立たない。僕はただの独りよがりの「お調子者」だったのだから。むしろ痛いヤツだっただろう。

「そういうのは多分、関係ないよ」

「そうなんだ~……」

 まるで友達のように話していたかと思ったら、桜さんは急に真剣に考え込んだ顔をした。今度は何だ。もう予想しても当らないことはわかったから、僕は普通に次の言葉を待った。

「今でも……、その人のこと、好き?」

 そういう言葉は僕のような輩に、上目使いで言うべきじゃないと思う。やっぱり、僕はこの人が苦手だ。しかしながら、この問いかけをはぐらかすのは気が引けた。

「今は、忘れたいと思ってる……」

「忘れたい、か……」

 認めたくはない。けれど、事実だから仕方がない。あれだけこっぴどくふられたのに、僕はそれでも彼女のことを忘れられずにいる。きっとまだ好きなのだろう。辛いことがあった時は、つい彼女の名前を呼んでいる。泣きたくなれば彼女のことを思い出す。それだけで、強くなれたのに。今は気持ちが闇の中に沈んでいくだけだ。

「桜さんは、まだ好きなの……?」

 僕は別に桜さんに興味はなかったのだけど、これだけは聞いてみたかった。

「う~ん……」

 桜さんは少し困った表情をして空を仰いだ。だけど沈黙は数秒と続かなかった。

「大好き、だよ!」

 僕に向き直って、思い切ったことを思い切った表情で言った。何一つ後ろめたいことなどない。そう語っている表情は余りにも魅力的で、僕の胸はただ締め付けられた。


 彼女の瞳が輝いているのは、自分に誇りがあるからだ。

 彼女が日々の中で何かを掴み取っていくのは。

 遠い未来を願い、諦めずに見据えて、手を延ばし続けているからだ。


 この瞬間。僕は自分の足元が音を立てて崩れていくのを感じた。苦笑いしたくなった。彼女のことを好きになった人は可哀想だな、などと、まるで他人のことのように考えていた自分が恥ずかしい。この瞬間まで彼女に興味がないつもりでいた。僕はもう、死にたくなった。世に草食男子だのと言われているが、僕は言うならば「絶食男子」だ。できることなら誰も好きになりたくない。燃え上がるのが怖い、結果灰になると解っているから。あの頃のように自分がわからなくなるのは……もう嫌なのだ。

「酷いんだよ!」

 桜さんは辛いはずの過去をまるで笑い話のように語りだす。

「勇気出して告白したのに、『そんな風には見れない』だって!」

 どっかで聞いた話だと思った。蓋をした痛い記憶が戻る。

「僕も、似たようなことを言われたよ」

「えっ! そうなんだ……。気持ち、わかるよ!」

 言って、桜さんは何故だか、にこりと笑った。

「私たちって、似たもの同志だね!」

 そこに繋がるのか……。


 僕の瞳が冷たく佇んでいるのは、自分を憎んでいるからだ。

 僕の日々が何も変わらないのは。

 過去を悔やみ、全てを諦めて、何も見ようとしないからだ。


 同じ経験をしてもここまで違うものなのか。いうなれば光と影だ。月と鼈、雲と泥。僕はもうどうしていいかわからない。とりあえず、もう独りにしてほしい。そうして、少しゆっくりと考えたい。

「平和君……」

 桜さんが何か話そうとしたその時、向こうからクラスメイトがやってきた。

「委員長、ちょっといい?」

 それを見て僕は、桜さんに手をひらひらと振って見せる。それを見て桜さんは僕に向かってごめん、と両手を合わせてこの場を去って行く。その仕草が、今は何とも言えない。


 彼女が去って、ほっとした気持ちに小さな喪失感が混じる。いつか彼女と付き合えるなんて少しも思わない。なのに……彼女を意識してしまった。願う分だけ苦しむと、わかっている。こうなれば僕の望むことはただ一つだ。どうか、この想いが誰にも気取られず、ただ静かに風化してくれますように。


 ――始まった瞬間から、確定している片想い。

   この想いは、僕にとっても、彼女にとっても、余計なものでしかない。

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