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街路樹の片想い  作者: 大神 新
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十三章 終業式 「告白」

 修学旅行から帰ってくるとすぐに期末テスト、そして球技大会を経て終業式と、瞬く間に時間は過ぎていった。そしてまた、長い休みが始まってしまう。僕の想いとは裏腹に終業式のその日、桜さんとは挨拶を交わすことさえできなかった。家に着いて夕飯を食べて……、あまりの寂しさに電話でもしてみようかと考えた。だけど結局、気の利いた話題の一つも思い浮かばない。そもそも桜さんも急に電話などされたら困るだろう。こればかりは我慢するより他がない。煮え切らない思いを悶々とさせていると突然、スマホが鳴り響いた。佐藤か、安永か。タイミングが悪いなと思いながら表示を見る。そこにはあり得ない相手が表示されていた。僕は、あわてて気持ちを落ち着かせる。こんなのずるい。すぐに電話にでないと、切られてしまうかもしれない。しかし僕の胸は高鳴るばかりだ。

「ええい、儘よ!」

 僕は意を決し電話を取った。

「もしもし、平和(ひらかず)です」

 まるで事務職員のような口調で僕は電話に出る。こんな時、一人暮らしだったらと本気で思う。頼むから聞いてくれるな、我が家族よ。

平和(ひらかず)君?私、桜 咲夜(さくや)です」

 思考なんてまるで働かない。素のまま答える。

「どうしたの?」

 なんとかして言葉を紡ぐ。緊張でいつ裏返ったり噛んだりしてもおかしくない。相手が目の前にいないのに、普段より緊張するのはどういう理屈なのだろう。

「あの……、急にごめんね」

 桜さんが僕に電話してくる意図が全くつかめない。ただ高鳴る胸の中で、一つの感情が頭の中をぐるぐると支配していた。――嬉しい。

「あ、あのね……」

 桜さんがそういって、しばらく沈黙が続く。

「大丈夫だよ」

 僕は出来る限りの優しい声で言った。何でそうしたのかはよく分からない。

「ごめんね、なんか緊張しちゃって」

 それはこっちのほうがよっぽどなのだが……。桜さんが僕なんかを相手に緊張してくれている。なんか、それを考えると胸が奥がくすぐったい。

「お礼をちゃんと言っておかないと思って」

「お礼……?」

 僕は彼女からわざわざ礼を言われるようなことはしていない。修学旅行の件だとしてもタイミングがおかしい。

「うん、今まで私と仲良くしてくれて、ありがとう」

 なんだろう、今更。彼女には僕よりも他に言うべき相手が山ほどいるだろう。

「そんなこと……」

 僕は返事をしながらも考える。でも何も思い浮かばない。

「それだけ。突然ごめんね。おやすみ!」

 桜さんからおやすみって言ってもらえた。それが嬉しくて思わず答えた。

「うん、おやすみ」

 そして電話は切れた。何も事情を知らない人間からしてみたら、この電話には何の意味もない。でもそれは仲のいい間柄でのみ成立する。僕と桜さんの関係は言いたくないが、ただのクラスメイトだ。どんなに胸が痛もうとも、これは事実だ。今までそれなりのことがあったように感じるかもしれないけれど、それは僕の主観の話。僕が大事にしている想い出は、桜さんにとっては記憶の片隅にあるかないか程度のありふれた時間でしかない。片想いの相手から電話が来た。実は彼女も僕のことを想っていて、勇気を出して電話をくれた。舞い上がって興奮して、幸せの絶頂で眠りにつく。そうなれたらいいのに。でもそんなことはあり得ない。冷静に深く考えなきゃいけない。でも僕には情報が足りな過ぎる。ある考えがよぎって安永に電話を掛けた。

「ん、今度は和一(わいち)?」

 安永はそう言って電話に出た。

「桜さんから、電話がなかった?」

 僕が願うリアクションは、安永の否定だったのだが。

「お前も?」

「何か言ってなかった?」

 桜さんと話しているときはあんなに冷静じゃなかったのに。今の僕は安永から情報を聞くことに専念できている。本来、会話なんてこんなに簡単なものなのだ。

「いや、すぐ切ったから。なんか、今までありがとうってさ。一瞬ドキっとしたけど、なんだ、お前にもかけてたのか」

 さすが、安永。僕も「初恋」がなければ、同じように勘違いしていただろう。その気持ちはなんとなく、わかる。彼女はそういう勘違いをさせる人だ。

「ありがとう、それだけだから」

 そういって電話を切った。僕も安永も同じなのだ。桜さんのクラスメイト。ただ、それだけ。でも僕は安永とは違う。僕は彼女のことが好きなのだ。仕方のないことだけど、まだ僕の胸は高鳴っている。「嬉しい」と心が全力で言っている。けれど電話の理由は、彼女にとって僕が「特別」だったからではない。僕にまで電話をする状況にあったということだ。「今まで」と彼女は言った。それはつまり「これから」がないことを意味しかねない。

「そういうことか……」

 僕はつぶやくように言った。考えれば想定できる。きっと彼女は同じ電話をクラスメイト全員にしているのだろう。「ありがとう」と。その理由に、僕には一つだけ心当たりがあるのだ。これは妄想なのかもしれない。桜さんは少年誌でいう「生きて帰れる保証がない戦い」に向かおうとしているのではないか。そう思えてならなかった。僕はそうでない期待を込めて桜さんに電話をかけた。ここに至って勇気とかそういうものは必要なかった。ただ、そうでないということを確かめたくて仕方がなかった。

 ――おかけになった電話はただいま、電波の届かない範囲にいるか、電源が入って……。

 これはきっと勘違いだ。休みが明ければきっと、桜さんは元気に登校してくるに決まっている。きっと僕の思い込みだ。冷静になれ、自分。

 ――冷静に……なれない!

 僕は自分が間違っている確証を得るために家を飛び出した。空を見渡す。月が無い。ますます不安が募る。とりあえず佐藤に住所を聞いて(快く教えてくれるのもどうかと思うが)、桜さんの家に行く。これは完全にストーカー行為だ。僕の考えが全部、的外れで桜さんにそう思われるならそれでいい。とにかく桜さんが無事であることを確認したい。息を切らせながら桜さんの家の前に立つ。桜さんの家は道場だった。「頼もう!」と言いたくなるような宮造りの門が目前にそびえ立っている。前に桜さんが弓道着を着ていた理由がわかった。僕は躊躇しつつもインターホンを押す。何度も押す。もう迷ってはいられない。だが返事がない。ただの屍のようだ。ふざけやがって。この街のどこかで桜さんは命を落とすかもしれない戦いに挑んでいるのだとしたら。そして次の始業式に桜さんが来なかったら。もう二度と逢えない。……いや、そんな簡単なことじゃない。もしも桜さんが負けてしまったら、()()()()()()しまうんだ。彼女との記憶は無くなって、この煩わしい想いも消えて、前のように平穏な日々が始まる。僕は後悔することすらない。……なんだ、都合がいいじゃないか。

 ――そんなわけあるか!

 僕は走り出した。完全に狂っている。もう現実と妄想の境目がわかっていない。気持ちだけが先行している。もしも神様がいるのだとしたら。これから先の自分の幸運を全部奪っていい。それと、今まで欺瞞に満ちた態度で不幸だと思っていた人生も、全部僕が悪かって認める。だから……。

 ――桜さんに逢いたい。

 今、この瞬間にそれだけを願う。どうかこの懸念が妄想であるように。これが僕の一生の願いだ。僕は神様なんか信じていない。でも現実はちっぽけな人間一人の努力で何もかもどうにかなるほど甘くない。だから最後は神に祈るぐらいしかできない。彼女を見つける偶然を、どうか僕に与えてくれないだろうか。彼女からもらった小さな護身刀を握りしめる。そして願う、とにかく願う。彼女が僕を守るようにと願いを込めてくれた小さなペーパーナイフに、僕は逆に彼女を守りたいという想いの全てを込める。

「自分はどうなったっても構わない、だからどうか彼女を救って欲しい。」

そして、護身刀が輝いた。込められた願いと祈りが同調(シンクロ)する。そうか、この剣は桜さんの物じゃなくて、彼女の物だったのか。居なくなった人、御影 月夜(みかげ つくよ)さん。物語が繋がった気がする。


 光が導く先へ向かって必死に走った。どうせ僕には何もできない。嫌というほど知っている。それでも……。僕はどんなに息が上がってもこの足は止めない。そして、目の前に飛び込んだのは桜さんと少年誌野郎。そして、例の「非現実」。と、同時に僕はその状況に絶句した。少年誌野郎は立膝を付いていて、桜さんは立ちつくしている。その桜さんに向かって「何か」が禍々しく迫っていた。

 死ぬのは怖い。心の全てを黒い何かが包んでいく。だけど桜さんが居なくなるのは、もっと怖い。これは勇気なんてものじゃない。恐怖を秤に掛けた結果だ。僕は何も考えずに飛び込んだ。

平和(ひらかず)…君…?」

 桜さんの声が聞こえる。もう一度聞くことができた。良かった。ただ、それだけを思った。

「どうして来たの!」

 阿呆か、君は。たった今、君は命を落とそうとしていたのだ。それなのに僕の心配をしてどうする。思うと同時に下腹部が熱くなる。我慢できないので咳をしたら口から液体が飛び出した。それは妙に喉にまとわりついてきて、気持ちが悪かった。

「お前!?」

 ――うるさい、少年誌野郎。

 そう言おうとしたけれど、言葉が出ない。体中から冷たい汗がでているのを感じた。すっと下腹部に目をやる。僕はその瞬間、恐怖でいっぱいになった。「非現実」の野郎が放った「何か」が僕の腹を貫いている。その先は、なおも桜さんに迫ろうとしていた。この時、僕は真っ先に自分の体を心配してしまった。死ぬかもしれない。生きたいという感情が頭を支配する。だけど、怖さで気が狂いそうになった瞬間に目に入ったのは、桜さんの顔だった。良かったと、その気持ちが恐怖を溶かす。不思議を通り越して、もう気持ち悪い。けれど頭の中はずっと冷静だった。身をよじって桜さんから離れる。激痛が全身を襲う。声もでない。やはり痛いものは痛いのか。それでも、もう恐怖はない。桜さんが居なくなることに比べたら。この人に何もしてあげることができないことに比べたら。肉体的な痛みぐらい、たいした事じゃない。これで彼女の命が救われるのなら、僕は僕なりに役目を達成できたことになる。僕に存在価値ができたことになる。脇役にしては頑張った方じゃないか。意識が遠のく。きっと僕がここで意識を失ってしまったとしても。目が覚めたら少年誌野郎と桜さんが決着をつけている。そんな展開が待っているのだと勝手に思っていた。

 だけど、直後に倒れたのは少年誌野郎だった。そんな馬鹿な。お前が倒れたら誰が桜さんを護るというのだ。僕が意識を保ったところで何もできないのに……。約束が違う。僕は薄れていく意識を立て直して「非現実」に相対した。あまりにも絶望的過ぎる。少年誌としてはピンチで盛り上がるところなのだろうが、あいにく僕には成す術もないのだ。すっと「非現実」の目が細くなったのが見えた。それが目なのかもよく分からないが。桜さんもどうやら立っているのがやっとのようだ。桜さんを頼ることもできない。もっとも僕はそんな気はないが。

 ――詰んだ。

 僕の脳裏にはその言葉が過った。「非現実」のくせに妙に「現実」だな。そう、僕の想いが決して届かないように、この場を治めることも決してできないみたいだ。動くこともままならないから、僕はさっきからずっと桜さんからもらった護身刀握りしめている。「非現実」の野郎がまたすっと目を細める。笑っているように見える。ふざけやがって、無駄なのはわかっているのだ。でも僕は……何があっても諦めたくない。彼女を救えないなどと認めたくない。今になってやっとわかった。僕はずっと甘えていたのだ。僕には何もできないと決めつけていただけなのだ。それを「言い訳」にして、ただ自分の気持ちや現実に背を向けていただけなのだ。僕がこの想いを口にするのは桜さんに対しての裏切りになるのかもしれない。彼女が僕に望む関係、「クラスメイト」の役割を果たせなくなる。だけど、どうしたって……。僕はこの想いにだけは、もう背を向けたくない。

 ――僕が欲しいのは、(こた)えじゃない。ただ罪を償うような潔さだ。

「僕は、桜さんが好きだ!」

 いつの間にか叫んでいた。声が、出た。かすれて、絶え絶えだけど、はっきりと。桜さんには聞こえただろうか。僕には僕自身の想いから桜さんを護る役目もあった。けど、それもきっと僕が勝手にそう思っていただけだ。そういう「屁理屈」で僕は自分の気持ちを最初から諦めていた。

「ずっと好きだった。桜さんが笑えば、僕も笑えるから。桜さんが、僕にもう一度、笑顔を教えてくれた」

 変わろうと思った。笑顔で居ようと思った。そう思っても僕は、まだまだ何もできていなかった。それでも、前より強くなれた気がする。前に進めた気がする。

「僕には何もない、そう思っていた。でも、桜さんが教えてくれた。そんなことないと、僕に意味をくれた」

 桜さんはきっと、僕のことになんて興味はない。知りたいとも思ってくれていないだろう。だから本当の僕を知らずに「恰好いい」なんて言った。でもその時に、僕はそうありたいと思ったのだ。

「僕は傷ついた過去に全部蓋をして、何も見ないようにしていた。でも、彼女は僕を光の中へ連れ出してくれた。この世界がこんなにも美しいことを、教えてくれた。」

 桜さんは僕のこんな気持ちを知らない。気持ちを知らなかったからこそ友達として接してもらえたのだろう。こんな想い、桜さんにとってみたら気持ち悪いかもしれない。

 ――けれど。

 桜さんなら、笑って言ってくれそうな気がする。「ありがとう」って言ってくれそうな気がする。勘違いでもいい。僕は相変わらず桜さんのことを知らない。でも、どうしてかは分からないけどそう思った。そんな人だからこそ、彼女のことを好きになったのだと思う。風の匂いが変わった。まるで僕の意思と同調するように。アスファルトに甘く、切ない香りが混じる。

「僕は道端の街路樹のような、ありふれた存在だ。きっと誰の目にも止まらない。それでも……、僕は彼女を護りたい!」

 その言葉を放った刹那。目の前の「非現実」が悲鳴を上げた。

「お前……、その力は……?」

 少年誌野郎がいつの間にか身を起こしてこっちを見ている。よかった、無事だったようだ。僕は所詮、お前と桜さんの物語の脇役にすぎない。そういう役割が人間にはあって、それは生まれた時から決まっている。そう思っていた。でも、そんなことはないのだ。胸の中にある暖かな気持ちが、教えてくれている。手が届かないことはわかっても、僕だって、僕という主人公の一人なのだ。物語はたった一つじゃない。この世に生きる人の分だけある。だから僕は手を伸ばす。そうしなければ何も掴めはしないのだ。絶望的な状況は何一つ変わっていないのに、僕は「非現実」を見据えて前だけをみる。

「花びら……?」

 ふわり、と。小さな花びらが僕の目の前に舞い落ちてきた。そう、それは桜の花びらのような淡い桃色の光を放っていた。きっと神威(かむい)という力は誰にでも使えるのだろう。僕はそれを出来ないと決めつけていたのだ。そして今なら解る。僕は揺れる想いを抱きしめるように、その御名を呼んだ。

「コノハナノサクヤビメ。」

  ――そして、音もなく。

 無数の花びらが吹雪のように舞った。思わず見とれたくなるような景色だった。ひらり、ひらひらと。その花は舞い散る。「非現実」は今までと違って余裕のない顔で必死にその花びらを避ける。しかし、風に吹きすさぶように舞う、その花を避けるのは、雨を避けるに等しい。「非現実」はあっさりと、その花吹雪の中に姿を消した。

「あれ……?」

 僕は思わず間の抜けた声をだした。僕の想像した現実とは違う。

 ――決着が、ついた……?

 感慨も、何もない。ただあっけにとられた。物語になるような結末ではない。無茶苦茶だ。それでも、桜さんが無事なら何でもいい。この時になってやっと、桜さんの方を見た。たった今、好きだといった。きっと唖然としているだろう。きっと迷惑だっただろう。でも、目があったら笑ってくれそうな気がした。


 だけど現実の桜さんはいつも通り、予想外。

 真っ赤な顔をして僕から目をそらす。そんな反応、今までしなかったじゃないか。とりあえず無事は確認できたので、ほっと息をついた。どうもそれがいけなかったようだ。一気に全身が脱力する。僕はお約束通り、意識を失った。まあ、後は……少年誌野郎がどうにかしてくれるだろう。



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