霧の中へ、消える友達
人間は、危機的状況を正しく判断できない。
そのことを、ボクはあの時に思い知らされた。
思い返せば、霧が出てきた時点で気づくべきだったのだ。
時間は二〇二〇年八月一日、あの夏休みに遡る。
事の発端は、鈴木からの誘いだ。
「肝試し? やだけど」
その誘いを、ボクこと山田優は憮然と断ったことを覚えている。
だがその拒絶は、後の悲劇を予測してのものではなかった。
高校生にありがちな、幼稚な恐怖心だった。
「頼むよー! 三人はもうノリノリになってるし!」
そう言ってわざわざ土下座してくる。
鈴木は、ボクたち幼馴染にとっての中心人物だ。
気さくで明るく、何か色々とやらかしてくれる。
キャンプファイヤーもどきをして先生たちに叱られたり。
鈴木が川に流された時、必死に助けようとしたり。
彼の起こした騒動のおかげで、ボクたちは面白おかしい日々を過ごしていた。
「仕方ないなぁ。着いてくよ」
「おっ、ノリいいね! やっぱ山ちゃんがいないとな!」
「勘違いするなよ。肝試しというより、監督役として行くだけだからな」
「ひゅー。強がっちゃって!」
最終的に、誘いに乗っていた。
恐怖心よりも、好奇心や仲間の一体感が強かったのだろう。
そして何より、鈴木とバカをすることが楽しかったのだ。
だから、今回の肝試しも楽しくなる。
そんな期待感が、否定の裏には隠れていた。
肝試し当日、それは月明かりの綺麗な夜だった。
食事を終えた二十一時。
集合場所である森の入り口にボクは向かった。
最後に来たから、臆病風に吹かれたのかと鈴木にからかわれたのを覚えている。
「社まで行って、帰ってくる。
それが肝試しのルールだ」
社。
それは、ボクらの村にある、名も無い建物。
大人たちに尋ねても、由来が分からない。
図書室ぐらいだと、調べても何の資料も出てこない。
ただ、外見から社としか呼べない建築物。
そんな不可思議な建物が、南の森にポツンと立っている。
社は、ボクらにとって近しいようで遠い存在だった。
何せ田舎の森だ。
当然道の舗装などされておらず、案外傾斜もある。
行けなくはないけど、気軽には行けない。
そんなギリギリのスリルが、肝試しスポットとして選ばれた理由だった。
道中、何も怪しいことは起こらなかった。
鈴木が滑りそうになったところを、高橋さんが助けたり。
田中と佐藤さんがナチュラルカップルぶりを発揮したり。
ボクが自分の足音でビックリしたり。
そんないつも通りの、バカな日常が、ここまでは送られていた。
さて、本来であれば、ボクは社に着いた時の様子を事細かに話すべきなのだろう。
だがこの時の社に、ボクは特段恐怖を抱いていない。
むしろ温い風に怯えたり、後ろから脅かす鈴木に怒ったりしていた。
古ぼけていること以外は、普通の社としか思えなかったのだ。
違和感を覚えたのは、霧が発してからだった。
夜闇の只中の、ただでさえ悪い視界が、より劣悪になる。
「おーい! みんな集まれ」
鈴木の号令で、五人集合する。
鈴木、ボク、佐藤さん、田中、高橋さん。
順に点呼し、お互いの存在を確認する。
「参った。肝試しは中止だ。
みんな帰るぞ」
その言葉に、ボクは思わず反論した。
視界が定まらない最中、帰るのは危険じゃないかと。
一寸先は霧のこの有様だ。
足元を取られて、大怪我をする可能性も高い。
そう、ボクは鈴木に反論した。
「大丈夫だって! ライトで照らせば見えなくもないだろ?
それに、霧が急に雨へ変わったら、全員風邪ひくぞ?」
鈴木の言う事には、一理ある。
最終的に、ボクらは鈴木の意見に同意した。
今思い返せば、親に夜遊びを叱られるのを恐れた面もあるのかもしれない。
踏み外さないよう、一歩一歩慎重に足を進める。
臆病なボクは、その繊細な行進で神経質になっていた。
不明瞭な視界だけではなく、匂い、音、熱、全てに不快感を覚えていた。
それがどういう感覚を与えてきたか、今は思い出せないけれど。
霧からの脱出は、どれほどかかっただろうか。
体感では数時間はかかっていた気がする。
何となく、霧が薄くなっているのを確認できた。
もう出口だ。
「よっしゃー! 抜け出せたぞ!」
一番乗りと言わんばかりに、鈴木が駆け出す。
追随するようにボクらも走る。
抜け出した先には、ボクらの村が待っていた。
あと十数分も歩けば、家へ戻れる。
どうやら、霧は森周辺を覆っていたらしい。
「いやー、霧はちょっとハラハラしたな!」
カラカラと、鈴木が笑う。
そんな鈴木を、ボクは軽くど突いた。
田中ら三人には、暖かい目で見られる。
何はともあれ、ボクらは平穏無事に帰った喜びを共感していた。
ボクと鈴木が満足いくまで小競り合いをしたら、自然と肝試しは解散となった。
帰路、ボクは若干駆け足だった。
霧で冷えた体をそのままにしてはいけない。
頭の中では、早く親にバレないように戻り、布団で体を温めることだけを考えていた。
自室。
木をよじ登って2階窓から戻ったボクは、心地よさを覚えていた。
安心する匂い、落ち着く虫の声、ほのかに温い空気。
明日も、楽しい日々がきっと来る。
そう思いながら、ボクは布団に潜り込んだ。
寝る前、ふと思い至ったボクはスマホを起動した。
田舎だからこのスマホは、村の中でだけかろうじて回線が繋がるポンコツだ。
だけど、せっかく圏内に戻ってきたんだ。
そう思ったボクは、鈴木に一言だけ、LINEで送った。
もう二度と誘うなよ!
返信として、アホなスタンプが来るだろうなと思いながら、ボクは眠りについた。
しかし、そのメッセージには今でさえ既読がつく事はなかった。
◇
翌朝。
LINEの既読は付いていなかった。
鈴木のことだから、爆睡しているのだろう。
そう結論づけたボクは、適当に本でも読むことにした。
午前、文庫本一冊を読み終えた時、ボクは暑さにやられていた。
何せ扇風機しかない部屋だ。
このままでは叶わないと思ったボクは、近所の駄菓子屋に向かった。
「あれ、山田。奇遇だね」
そうしてばったりあったのは、佐藤さんだった。
普段はクール系美人といった印象の彼女は、その日はダルそうにしていた。
「佐藤さんも、アイス?」
「うん」
どうやらボクらの目的は同じだったらしい。
会計を終えたボクらは、風鈴の音をBGMに、駄菓子屋前のベンチでガリガリ君ソーダ味を口にする。
だが、それだけで暑さは解消できなかった。
店内の扇風機からも、熱風しか送られてこない。
「暑いな……」
「そうだね……」
普段なら会話の一つ二つも出てくるところだが、暑さがそれを許さない。
数秒の無言、その後で佐藤さんが一言発した。
「鈴木んち、行く?」
オアシスへの誘いに、ボクは逡巡なく乗った。
鈴木の家は、ボクら五人の中で唯一クーラーがある。
そこならば茹だる暑さも何とかなるだろう。
あと、肝試し二次会みたいな楽しみもできる。
道中、田中や高橋さんも誘った。
田中と合流した瞬間、佐藤さんとのイチャつきが始まり温度が上がった気がした。
日照り、ラブラブさの二種の熱に充てられたボクは、ついに鈴木家に到着した。
チャイムを鳴らし、鈴木を呼び立てる。
鈴木の母さんが出てきた。
「あら。いらっしゃい、タカならいないわよ」
「あ、そうなんですか?
どこに出かけてるかとか、わかりますか?」
「それがね、昨日から帰ってきてないのよ」
瞬間、背筋が冷えるような錯覚を覚えた。
帰ってきていない? そんなバカな。
「あの、ボクら肝試しで、昨晩解散したと思うんですけど」
「あら。あの子、どうせ誰かの家に突然泊まってると思ったら」
「鈴木のことだしドッキリだな。
きっとどっかで野宿して、神隠しにあったフリしてるんだぜ」
鈴木の母さんは気にも止めてないらしい。
他の三人も、鈴木だからな、とどこか納得している。
だがボクは、どうしても違和感を拭えなかった。
「すみません、鈴木の母さん!」
そう言って、ボクは鈴木家の蔵へ駆け出す。
記憶が正しければ、ここにはキャンプ道具一式がしまってあった気がする。
田舎だから泥棒への警戒が薄く、鍵は掛かっていない。
重い扉を開いたボクは、その中を物色した。
「嘘だろ」
タカと刺繍された寝袋が残ったままだった。
埃の様子から、テントも今年は持ち出された様子がない。
鈴木は野宿なんかしていないんじゃないか?
「急にどうしたの? 山田くん」
ボクを追ってきたのか、佐藤さんがボクに声をかけてきた。
二人と鈴木の母さんもいる。
震える声で、ボクはみんなに告げた。
「鈴木が、タカくんがいなくなっちゃったかも」
◇
照り返しの中、ボクらは捜索を続けた。
鈴木と遊んだ場所。
鈴木が寄り添うな場所。
鈴木と仲がいい友達。
手当たり次第、それらをボクらは探っていった。
数時間探しても、彼は見つからない。
そうしているうちに陽が落ちる。
何で。何で見つからない。
そんな焦燥に駆られ、ボクはふと自身のスマホへ意識がいった。
LINEを起動し、昨晩のメッセージを確認する。
そこに、既読は付いていない。
それを確認すると共に、訳のわからない怒りを覚えた。
ドッキリなんだろ?
村の何処かにいるんだろ?
そういう一縷の望みにかけて、ボクは鈴木へ電話をかけようとした。
その時だった。
右手のスマホが、振動と共に着信音を発する。
誰からの発信も確認せず、ボクは通話に出た。
「鈴木か!? 隠れてないでいい加減出てこいよ!」
怒りに身を任せ、怒鳴りつける。
その後も、感情的に色々言った気がする。
出る言葉がなくなった時、ようやくボクは相手の声を認識できた。
「落ち着け、山田。落ち着くんだ」
電話先の声は、田中だった。
若干動揺の色が見えるが、ボクを諭すために語調は冷静だ。
「ごめん、取り乱した」
「いいさ。山田は鈴木と一番仲よかったからな」
宥める田中の声に、ボクは落ち着きを取り戻す。
まずは現状確認だ。
十九時を目安に、ボクらは一旦合流することにしていた。
もうとっくに時間は過ぎている。
おそらく、ボクだけがいなくて心配になって電話したのだろう。
「すぐ戻るから待ってて。
十分もすれば戻れるから」
「山田。戻る前に、一つだけ確認したいんだが、いいか?」
「何? いいよ」
続く田中の言葉を、聞かなければよかったと、その時のボクは後悔した。
「佐藤さんもまだ来てないんだけど、そっちにいないか?
連絡も着かないんだ」
執筆練習用に書きました。
また友人とプロット組んでやったやつです。
一話だけ書く形式なので続きはありません。
また、プロット段階ではミステリーでしたが、実際に執筆するとホラーテイストになっていたのでジャンルはホラーで投稿させていただきます。