62th 喪失と終幕
映村のその台詞に、朝倉は頷いた。
「そうね。そっちのほうが手っ取り早いし、そうしましょう」
そういって、白衣に突っ込んだ手を取り出して鳴らす。
同時に、映村もあくまでダルそうに右手を高く上げた。
「目覚めなさい、『堕落存在』」
「やりたくないんだが……しゃーない。
ほれ、力抜けや~。『衝突駆逐権』」
能力鍵。そして世界は浸蝕される。
朝倉の発する気配は、まるで食虫植物。あるいは、毒婦の気配。
映村の気配は、どこまでも緩い気配。身を任せたらそのまま腐り果ててしまいそうな、腐爛した果実の気配。
そして、異変は唐突に起こる。
「ぐっ……!」
中村がまず、膝をついた。まるで膝が役目を放置したかのように、力が抜ける。
「これは……!」
続いて、遠見が。ここに来てやっと暁と高垣が対抗してそれぞれの『原形』を起動する。
「っ刻め! 『鼓動掌握』!」
「直して、『補償聖母』……」
それぞれの『原形』が呼応し、独特の気配が立ち上がる。
高垣は、凜として清浄な『自我』の気配を。
暁は、思わず安堵を覚えるような『太母』の気配を。
そして、繋ぐように方鐘が呟いた。
「……足りないものは僕の中に。『全書換』」
途端、彼という気配が激変する。人という存在を極限まで薄めて虚無に混ぜこんだような本来の『影』の気配。
「ははっ、きたきた! まだ三人だが、こんだけいれば充分! 後ろのそいつらも『大罪』に抵抗できるくらい素養はあるみたいだしな!」
テンションがおかしい映村が、これまでとは一線を画す大音声で言った。
「さあ、前哨戦は終了し、役者はそろいつつある! 俺たちとお前たちが全部集まった時、終焉戦争が始まるぞ! さあ、遠慮も容赦も呵責も一切合切かなぐりすてて……殺し合おうぜ! この永久に終わらない運命の中でな!」
それは、明らかな宣戦布告。全員がその言葉に愕然とする中、膝をついていた黒川がゆっくりと立ち上がった。
「……ふざけるなよ……これが、前哨戦だと? 貴様は、人間の命を何だと思っている! いいだろう。ならば、私は貴様等を殲滅してやろう! 何が目的か知らないが、人をそのために殺すのは間違っている!」
真っ向から、叫びを上げた。直後、黒川の気配が染み出すように変わる。図書館の深部のような、静かだが重厚な気配。
「あははは! 『老賢者』が目覚めたか! いいな、また一歩終わりに近付いたぞ!」
映村が大笑し、気配が更に強くなる。濃密な気配同士のせめぎあい。そこに立てるのは、資格のある者だけ。
「はい、注意を引くのはそこまで。回収したわ」
水を差したのは、朝倉だった。映村の肩を叩いたのと反対側のその手には、『子』の腕が。映村の派手な行動に気を取られている間に、朝倉は腕を掠め取っていたのだ。
「えー。宣戦布告までしたんだろ? 小手調べくらいしてもいいんじゃないの」
「ダメ。今回は私の研究成果の回収が第一課題なんだから。あんまりでしゃばると『嫉妬』に恨まれ……っ!」
映村の隣りで文句を言っていた朝倉が危険を察知して飛び退く。言葉が空気と共に断ち切られた。それを成したのは、どこからか現れた十数個のギロチンの刃。それらは朝倉たちのいた位置に容赦なく垂直落下する。
飛び退いたのは朝倉のみ。映村は動いていない。誰もが映村の死を思ったが、それは異様な風景に裏切られた。
「お~。あぶねぇあぶねぇ。気ぃ抜いたら死ねるなこいつは」
彼は、ただ立っているだけだった。それなのに、ギロチンは彼に一切の傷をつけていない。
「……そう驚くなよ外野連中。俺の『衝突拒否権』は、『自分に衝突する事物に対して選択権を得る』能力だ。こんなの朝メシ前だっての」
手をひらひらと振ってお気楽そうに言うが、実際には相当な能力行使技術が必要だろう。ほとんど不意打ちに近いタイミングに対して、なおかつ複数の対象に向かって能力を連続使用できるその器用さは人間離れしているといっても過言ではない。
「そーれーよーか。いきなりやってくれるじゃねぇの、『影』よ」
映村が、いつの間にか小刀をこちらに突き出していた方鐘に楽しそうな目線を向けた。
「さしずめ、『物を作り出す』ってところか? 甘い甘い、そんなのじゃあ俺には届かねぇよ」
挑発にも取れる発言に、方鐘は何も言わずに手を下ろす。
直後、その手には朝倉の持っていたはずの腕が握られていた。
「……あら?」
気付いた朝倉が意外そうな顔をする。もちろん、その手の中は空である。
「……僕の力は『周囲の情報を書き換える』だ。勘違いでいい気になるなよ」
「っ! 言ってくれるじゃねぇの!」
挑発にも取れるその発言に激昂した映村の周囲でバチン、と弾けるような音がする。映村の周囲の空気が拒絶され、その反動で方鐘に激突しようとしていた。だが、方鐘は一瞥すらしない。
「何っ!」
消えた。否、消したのだ。音も衝撃も全て。空気の情報を丸ごと『書き換え』て。
「……前哨戦も小競り合いも知らん。死ね」
静かな、というより飽和した怒りを込めた宣告。
「はっ! 言っとくが、物理的な攻撃は俺には……」
効かない、と続くはずだった言葉は、唐突に止まった。気付いて口を押さえた映村の顔が、得意から呆然、さらに驚愕とあまりにも奇妙に歪む。
その理由は、顔から、口という器官が消滅していたから。
「む、むぐっ!」
声が出ない、といいたげな顔をする映村に、方鐘は冷酷に告げる。
「餓死してろ。『怠惰』の貴様にはいい死に様だ」
そして、朝倉を手に掛けようと一歩を踏み出した。が、その足から唐突に力が抜ける。
「む?」
呟いて、立ち上がろうとする。だが、膝が身体を支えられない。
「ひっかかったわね?」
朝倉が、方鐘から少し離れた。
「私の『堕落存在』は、『対象の機能を放棄させる』能力よ。……膝がとろけるみたいでしょう? さて、予定通り一旦引くわね。成果を持って帰らなくちゃならないし」
「ふざけるな。腕は僕が持っているんだ。何も持ち帰れないだろうが!」
「それはどうかしら? 優秀な研究者は、常に控えを確保しているのよ。こんな風にね」
薄く笑む朝倉が白衣から取り出したのは、方鐘のものとよく似た肉塊。
「っ!」
方鐘が悔しさにほぞをかむ。
「これだけあればサンプルに充分よ。ちなみに、この培養技術を『暴食』に教えたのは私。墜ちかけてたからあっさり実験台になってくれたわ」
「じゃあ、あいつらの言っていた『あの方』ってのは……」
「私。と言いたいところだけど、違うわ。可能性があるなら、理論を教えたことのある『強欲』かしら。あの人、なんでもすぐ吸収しちゃうから……」
と、そこまで言ってから未だにモゴモゴ言っている映村の襟首をひっつかまえた。
「幸い口腔は空いてるみたいだから、後で切開してあげるわ。それまでは栄養注射かチューブね。じゃ、またいつか」
そう言い残して、朝倉が軽くジャンプする。
「えぇ!?」
そのまま垂直に跳びさってしまった。
「大気圧を『堕落』させたのか?」
「みたいだな……」
大気圧を重量に換算すれば、一トンを越える。
残された方鐘たちは、追うことはできなかった。
見送った方鐘が、両手の刃物をまるで脱力したかのようにゆっくりと手放した。それらは硬質な音を立てて、地面を転がっていく。
「……方鐘……」
誰からともなく、呼び掛ける。だが、方鐘はどこか夢遊病者のような足取りで歩きだした。
その先には、片銀の遺体が。
「っ方鐘!」
堪えられなくなった高垣が、方鐘に駆け寄った。それに気付いたのかそうでないのか、方鐘は歩みを止めない。そのまま、肩から上しかない片銀を抱き上げた。
「……ごめん」
許しを請うわけでもなく、罪悪感に潰れるわけでもなく。
ただ、方鐘は悲しんでいた。
「…………」
高垣は、無言で方鐘の背中に手を伸ばそうとする。
「……ごめん」
だが、方鐘の言葉に拒絶される。
何に対して謝るのか、彼女にはわかるからだ。……一度でも、家族を失ったことのある彼女は。
「片銀」
方鐘が、自分と同じ顔をした死体に手を触れる。すると片銀の遺体が、真っ白に光った。皆が呆然と眺める中、片銀が小さく縮んでいく。
光の収まった後、残ったのは青緑色で立方体のペンダント。
片銀の情報を書き換えて作ったそれを、方鐘は大事に握り締めて。
そのまま、糸の切れたマリオネットのように倒れた。
「方鐘っ!」
慌てて駆け寄った高垣が抱き上げる。他の人たちも、その姿に現実に引き戻されたのかすぐに集まった。
「……大丈夫。息はしてる。寝てるだけみたい」
高垣の声に、月島は安堵のため息をついた。
「よかった……」
そして、その場の全員が疲労や眠気、安堵など各々の理由をもって座り込み。
日の暮れて月のない、深淵のように暗い夜空を見上げた。
連続猟奇殺人事件、子宮泥棒は、こうして夜空と共に幕を引いた。