61th 切り札と目的
その一撃は、方鐘も片銀も予測できないものだった。あの影でさえ脳を頭ごと喰われた時に自己再生能力が一時的に停止したのだ。だからこそ、首を叩き斬った方鐘は油断してしまった。……否、まだ『子』をなめていた。
『子』は、死に際になんと脊髄反射で『暴食』を使ってみせたのだ。親に似た、その桁違いの執念で。
「かはっ……」
腹から下を失った片銀が血を吐きながら地面に落ちる。それを方鐘は必死に捕まえた。傷口を押さえて止血しようとするが、その腕の中で血が止まるはずはない。間近に迫る、片銀の死。それを理解しながらも、方鐘の理性はこの戦場を終わらせる最後の切り札を叫んだ。
「っ…! やれ! 高垣っ!」
「せやあああああぁっ!」
高垣は、応えてくれた。その両手から必死の形相で放たれたのは、いつもと同じ衝撃波。
だが、その威力は桁違いだった。辺りの物という物は震動で加熱され表面が沸騰して溶け崩れていく。
ここまでに、方鐘と片銀はどれだけ叫んだだろうか。
ここまでに、『子』はどれだけ泣き叫んだだろうか。
その全てを溜めこんで、受け入れて、飲み込んで。
高垣は放った。だが、そこに加わるものがあった。
「……うあぁああああぁ!!」
方鐘が、生涯初めての絶叫を上げた。
理性の楔が、間近で見てしまった片銀の死の姿をきっかけにちぎれ飛んでしまったのだ。
それは、今まで意識下に閉じ込めたトラウマの発露だった。
無意識に閉じ込めた、両親の死の記憶。怒りに任せて叩いた家の大黒柱が目の前で微塵に砕け、そこから巻き起こった二階の崩落が全てを下敷きにしていく。父も、母も、その腹の中にいたはずの妹さえも。その記憶が、自分と全く同じ姿の、ある意味では家族とも思えた片銀という存在に迫った死でその蓋が開いてしまった。
「うわああああああっ!」
その悲痛はどこまでも響き、同時に外界を変質させていく。
まず起きたのは、床のコンクリートだった。元から大雑把に砕けていたそれは更にひび割れて浮き上がり、連なって空中である形を形成する。
「……砲……か……?」
方鐘が跪いて絶叫するその足元で、自分の血の赤の中息も絶え絶えの片銀が呟いた。その言葉通り、破片は複雑に絡み砲身を形成する。だが、肝心の弾丸がない。
「っ借りるわ!」
だが、高垣がそこに割り込む。音に再度干渉した。無軌道に拡散するだけだった音波が、弾丸として圧縮されて放りこまれた。砲身という指向性を与えられて威力を更に爆発させる。
『子』の咆哮ですら、床を砕き、片銀の力を持ってして相殺できたのだ。
それを一回り以上上回る、高垣の『音』の衝撃波。それが、方鐘の砲身で更に圧縮され、形を変える。
それは、音の槍。
破壊にのみ特化された、衝撃波の極致だった。
「うああああああぁ!」
だが、方鐘が止まらない。砲身が後ろから圧縮され、音の槍が弾けるように加速する。
そして、四つに分割された『子』に極太の打撃が突き刺さった。
震動破砕、という現象が、世の中には存在する。とてつもない震動を持つ物を他にぶつけると共振し、文字通りその震動に本体が絶え切れずバラバラになってしまう、という現象だ。
例えば、マイクを二つ向かいあわせて片方に声を送ると、互いに増幅した音を拾い続けて最後には壊れてしまう。
当初、方鐘の計画では高垣の放つ震動による熱で溶かしてしまう予定だった。直接が駄目なら、からめ手を使う。そう判断しての作戦だったのだ。
だが、方鐘が作り出した砲で高垣が音の槍を作って打ち込んだ結果、『子』の内部で震動破砕が起きてしまったのだ。更に、元から周囲を蒸発させるような熱を発生させていたそれは、砕いたごく細かい肉片を焼き尽くしていく。
「いぎぃあおおおおぉォォォ……」
子供が嫌々と泣くようにも聞こえる、『子』の断末魔。
生まれてすぐに親を喰い、両親を失った『子』は。
望と希美、二人の『希望』は。
こうして、終わった。
後に残ったのは、その威力と反動で腰の抜けた高垣と、青白い顔に驚きと笑顔を張り付けた片銀と、それを抱える絶叫すら掠れた方鐘と、最初の激突で斬り取られた『子』の腕。
そして、屋上の中央でへたりこむ三人の後ろで、階下へと続く扉が開く。
「大丈夫か!?」
「生きてるよな!?」
「何の音ですか今のは!」
「おちおち寝かせてもくれないのかよ……」
めいめいそれぞれ心配だったり愚痴だったりを呟く生徒会全メンバーが屋上に入ってきた。
だが、その場に乱入したのは生徒会だけではなかった。
「お~お~、やっと決着ついたみたいやね。ったく……放置タイムが長いっての。俺は寂しいと死んじまうんだぞ?」
「あなたねぇ、ウサギじゃないんだから……ま、私はお酒と肴があればなんでもよかったけどね」
いつの間にか給水塔の上に男女が一組。月を背後にしているため、顔が影になって見えない。体系でそう見える女のほうは堂々と白衣にビール缶を持って立ちながら、声の出所からして男のほうは、制服を着たままその足元で怠そうに座っていた。
「……誰だ。アンタら……」
下を向いたまま、背筋が凍るようなどす黒い声音で方鐘が呟いた。
あの感情の薄い方鐘が、明らかに、怒っている。
だが、給水塔の上の二人は全く意に介せずに飛び降りた。背丈は二人とも同じくらい。女は白衣に手を突っ込んだまま、男は降参とでもいいたげに手を頭の上へ上げていた。
「ま、聞かれたら答えるべきかしら?」
「そうか? 別に本名を答える必要はないような気もする……」
女のほうはビール缶をぷらぷらしながら、男のほうはダルそうにしていた。心底どうでもいい様子だ。
「……答えろ……!」
押さえて、無理に沈ませたような方鐘の爆発しかねない様子に、男女はやっと返事をした。
「おおこわ。ブチ切れ寸前じゃね? ま、適当に。
俺は大罪の一、『怠惰』の保有者兼風紀委員長の映村圭太な。よろしくぅ……」
どこまでもダウナーなその態度に相方の女の肩が落ちる。
「……あなたね、一応私たちは世界に七人しかいない保有者なのよ? 威厳というか何というか……『怠惰』に期待した私が馬鹿だったのかしら……まぁいいわ。
私も一応挨拶を。
朝倉百合よ。保有する『大罪』は『淫欲』。この学園で養護教諭をやらせて貰っているわ。よろしく……って言うのも変かしら?」
その時、生暖かい風が吹いた。月にかかっていた雲が流されて、月光が二人組に降り注ぐ。
「……委員長……」
「朝倉先生……」
その顔を見て、月島と暁、二人に一番関係のある人物がそれぞれに呻いた。
「……目的は何だ……?」
相変わらず下を向いたままの方鐘が、遂に立ち上がった。衣服は片銀の……家族の血で真っ赤のまま。
「……返答次第では……殺す」
また、目の前で家族を失った。それも、自分のせいで。
だから、せめて。
今度はずっと、側にいてあげようと思ったのに。
それを、こいつらは……!
チャキ、と方鐘の両手の刃物が鳴る。服どころか手までも赤く染め上げた鬼が、力なく下げていた腕を構えなおす。
だが、朝倉と映村は気にもかけなかった。
「お~。それはな……なんだっけ?」
「……『怠惰』にも程があるわよ映村。
まぁいいわ。私たちの目的はね、研究成果の回収よ」
そういって、朝倉は『子』の腕を指差した。
「ま、目的はもう一つあるんだけどな」
ついでに、とばかりに映村も言った。