59th 目覚めた子と目覚める個
影が満足と共に消失したほんの数分後に、方鐘は目を覚ました。
「うう、ん。……あ、生きてる……の、か」
頭の中の霧を振り払うかのように、方鐘は首を振る。
「大丈夫か?」
「うん、一応は……やっぱり変な感じだね。自分がもう一人いるなんて」
はい、と差し出された高垣の手をとって起き上がる。そして、どもりながら言った。
「あー、えっと、その、何というか……うん。ごめん。そして、ありがとう」
「……バカ」
「うん。わかってる」
「……バカ!……どうすればいいのよ! こんな時!」
まるで駄々をこねる子供のように高垣は方鐘に抱き付いて何度もバカと呟きながら叩く。
「ほらよ。影の忘れ物だ。記憶、残ってるだろ? 後、来てるぞ」
微笑ましくそれを見ていた片銀が投げ込んできたペンダントを、方鐘は空中でキャッチする。それから、ゆっくりと高垣を自分から引き剥がした。
「……え?」
混乱する高垣を方鐘は自分の後ろに追いやる。
「ごめん。感動の再開はどうやら後にしたほうがいいみたいだ」
「お前も気付いたか? やれやれ。こういうのを執念って言うのかね」
歩み寄る片銀と二人、並び立つ。
その目線の先には、白い蒸気とともに開いていく孵卵器が。
「多分、望が最後にぶつかった衝撃で開閉スイッチが入ったか、あるいは最後の力を振り絞って押したか……どちらにしろ、同じか」
ここに至ってやっと事態を理解した高垣が、涙を拭って立ち上がる。
「あれは……何?」
「『大罪の子』。『暴食』と『噴怒』を同時に抱えた、今回の事件の根源だよ」
「ま、文字通りタブーの塊だわな」
三人の目線の先、這い出てきたそれは冒涜的な変形を始める。肉のピンク、血の赤、脂肪の白のなりそこないの混合物から、伸び上がるように詰み上がるように膨れ上がるように重力に逆らいだす。
「うえ。気色悪い」
「吐きそう……」
片銀と高垣が感想を言ううちに、それは更に形を変えた。伸び上がった軟体は内部から沸騰するように泡立ちながら人間の輪郭を取った。同時に、足元に転がる父親の死体を取り込む。それを手本にしたのか、『子』は急速に形を整えていった。
「……夢に出そうだ」
方鐘が感想を述べると同時に、顔の部分に目と口らしい切れ目が入る。そして、
「オギャアアアアァアァアアッ!」
おぞましい産声を上げた。
「くっ!」
恐ろしいことに、それはどうやら物理的な威力を持っているようだった。とっさに片銀が打ち消したが、床が爆音とともに削れ飛ぶ。
「なるほど、広範囲に渡るダメージで、威力はコンクリートの深部まで……極低周波かな?」
「これ、ライバルとよく似てるぜ。こいつは厄介かもな」
種明かしと感想を述べる鏡像と実像は、互いに顔を見合わせる。
「しかも、親父を喰ったぞアイツ」
「多分、あれで正式に『暴食』を自分のものにしたね。捕食ってのはどうかと思うけど。しかも、片銀の『噴怒』も僕の絵の思念から継承してるとすると……うん。これはちょっと骨が折れるかも」
言葉こそ軽いが、顔は二人ともに真剣だった。
『暴食』だけを持った望にだけでも幾度となく殺された。影の再生能力と高垣以下とはいえ常人より遥かに強化された肉体でも何度殺されたかわからないのだ。それが更に、『崩壊』を抱えてやってくる。しかも、この『子』は生まれつきの『大罪』保有者なのだ。いくら生まれてから短いとはいえ、本能に刻まれた能力の扱い方は充分に驚異的だと言える。
「ま、どうにかなるだろ。お手軽に行こうぜ」
「了解。僕もこれを使うよ」
そう言って、未だに手に持ったままのペンダントを握り締めた。
「それって……」
「うん。一応、影の間の記憶も残ってるんだ。……コンピュータってのはいい例えだったよね。上書きされても履歴やキャッシュは残ってる。それを辿って影は僕を作り直したし、僕にも影の一部が残ってる。だから、このペンダントをこうすれば!」
おもむろに方鐘はペンダントの立方体を取り外して自分の口に放り込んだ。そのまま噛み砕く。
「ちょ、ちょっと!?」
思わず止めようとした高垣を目で逆に制止し、飲み込む。
「大丈夫。これをきっかけにするだけだから。……それに、本当はどうなのかわからないけど、僕の中では静さんは母さんで、徹さんは父さんなんだ。それを、今なら信じられる。だから、もうあのペンダントは要らない」
ここに至って、遂に方鐘は吹っ切れた。力一杯、宣言する。
「僕は、方鐘恭一。
他の誰でもない、犯罪者で親殺しで人でなし! けれど、それでも……認めて欲しい。そうやって足掻く、愚か者!
他の誰でもない、それが、僕だっ!」
自分の存在への、宣告。それは、革新的な心の変化。
彼の心は変化を望む。そして、内的要因は十二分にそろっていた。本来なら、それだけでよかった。
だが、方鐘は自分の意思で影の残留思念を含んだ立方体を飲み込んだ。それは別の外的要因となり、方鐘の変化に混じっていく。
その結果、方鐘の『愚者の贋作』は、『転換』を吸収してしまった。
それは、(誰も意図しなかったが)方鐘に『影』が受け継がれた瞬間だった。
「さあ、盛大にクライマックスと行こうぜ! ここまで来たら冤罪も犯人も関係ねぇ! どっちかがぶっ壊れるまで……壊しあおうぜ!」
それを見届けた片銀が叫ぶ。ざわり、と薄墨に限界まで悪意をぶち込んでぶちまけたような不穏な気配が立ち上がる。
「……全部、終わりにしよう。『足りないものは僕の中に』!」
新しい、方鐘の能力鍵。それを述べた瞬間、高垣の清冽さとも片銀の禍々しさとも違う空気が流れ始める。
まるであまりにも深い、底のない、それでいて暖かい気配。他の全ての色を受け入れる黒色のような気配。
「これって……」
高垣の声に、二人は頷いた。
「任せな。フルボッコにしてくる!」
「楽観的だね。片銀らしい。……頼んだよ、高垣さん」
違う空気を纏った双子は、全く同じ足取りで『子』に向かっていく。
「……まさか、方鐘と共闘できるとはなぁ……予想外にも程があるぜ」
「僕もだよ。実際に目の前にすると、信じられないもの」
「うはは、確かに。ま、現実は現実で事実さ。目の前に事実があり、やるべき事も目の前にある。んじゃ、やるしかねぇだろ?」
「それもそうだね。後のことは後で考えよう。……今僕は、僕としてここにいる。それだけで充分さ」
「言うねぇ!? カッコいいじゃねぇの。俺も負けないようにド派手にいくかぁ!」
「ほどほどにね? と言っても、聞かないだろうけどさ」
双子の会話に痺れを切らしたのか、『子』が動き出す。
「おっ! 来た来た来たっ! んじゃ、先行くぜ!」
「突出するなバカ! ああもうやっぱりこうなったか!」
テンション高い歓喜の声と悪態が、最後の火蓋を切って落とした。