58th 影と反対
「……計32人。さて、どう説明したものかな……」
黒川がため息をついた。主にPTAと警察方面への弁明についてだ。
安形の『鋼鉄群体』に捕らえられていたのは、いずれも一般生徒だった。目立った外傷はなく、瞳孔反射も確認した。……ただ、誰も目を覚まさない。
「これも、『大罪』の影響なんでしょうか?」
月島が疑問を漏らす。黒川は律義にも反応した。
「……だろうな。確か片銀は、『暴食』の代償を束縛だと言っていた。恐らく、意識の底にある『暴食』があり続ける限り目覚めないだろう。……元を絶つしかないだろうな」
その台詞に、月島はよく覚えてましたねと感心しながら上を見上げる。
「結局、アイツ待ちか……」
救急車を呼んで任せるという手も考えたのだが、説明のしようがないので却下されている。
せめて運び出そうにも、現在動けるのはこの二人だけ。水越は相当疲れていたのか、中村と同じように睡眠中。膝を枕にされている遠見はいわずもがなで、暁も今は車椅子に戻っているため期待はできない。第一、安形を監視していなければならない。
「ったく……早く降りて来いっての……」
「同感だな。なるべく早くして欲しいものだ」
動けない二人は、そろってため息を吐こうとして、吐けなかった。
地響きと爆発音。上からのそれに、二人はそろってその方向を見上げた。
「……ふざけないでよね……」
「……はい?」
主君からの静かな、だが激しい感情を込められた言葉に影が狼狽する。
「ま、端的に言うとな? ……黙って方鐘を返せこのクソ野郎」
「っ!」
明らかな殺意に影が気配を一気に変える。あまりにも薄い、極限まで影のように消えかけた虚無に近い気配。
だが、それは唐突に掻き消えた。同時に影が意味不明の叫びを上げる。
「………………!!!」
まるでエラーを起こした機械のようにガタガタと震え頭を抱えて膝をつき、まるで何かを堪えるようにして、けれど押さえきれない部分が意味と意識を持たない叫びとして吐き出されている。
「オイ、何した?」
「拒否したの」
片銀は納得するが表情には現さない。『影』の本体である『自我』なら、拒絶すればとどめられるだろうとだけ思考した。
「な、何、をす、る、ので、す、あ、主」
辛うじて意味を含んだ声を影が上げる。膝はついたままだが、身体は辛うじて起こしていた。
だが、その疑問に答えは無く。
代わりに、暖かい感覚に抱き締められた。
「……な、に……を」
影の混乱が深まるが、抱き締めた高垣は全く違う話を始めた。
「……ごめん。わたしにとって必要なのは、ううん、わたしが願うのは、あなたじゃない。……私の『影』じゃないのよ。わたしが願うのは、『反対』なの……」
高垣は、自然と泣いていた。
彼女は、これまで方鐘のいろいろな面を見て来た。
偽の笑顔があった。
憎いとまで言った姿があった。
同族嫌悪だと蔑む姿があった。
全てを拒むような悲しみがあった。
その挙げ句に生まれた、片銀がいた。
それは、彼の大半を構成するもので。けれど、そうじゃないものも、きちんとあった。
例えば、接着剤の鎧。これは『後ろめたさ』だったけれど。
例えば、私に対しての謝罪。あれは、『罪悪感の矯正』だったけれど。
例えば、(これは聞いた話だが)月島には自分の死ぬ様子は見られたくなかったという言葉。これは、『自分勝手』だったけれど。
その強すぎる理性は『影』を引き寄せてしまったけれど。
その裏側には必ず、ひたすらに理性で隠した『優しさ』があったのだ。
ただ、彼はそれを自分で理解していない。何故なら、優しさを受け取った記憶が無いからだ。
それが、高垣には悲しいのだ。なぜ彼はここまでに歪んでしまったのか。自分を殺すという手段しか無かったのはなぜなのか。どうしてそのままに生きてきてしまったのか。
いや、分かってはいる。両親を殺してしまった犯罪者であり、結果としての孤児であり、社会からはレッテルを貼られてしまったからだ。
だから、誰も彼に優しさを向けることはなく。
だからせめて、自分が彼に優しさを贈らなければならないのだ。……いや、贈りたい、と彼女は思ったのだ。
だから、彼女が求めるのは『方鐘』であり、『影』ではないのだ。
そして、『影』もその存在の在り方故に彼女の思いを理解してしまった。
「……私は、どうやら主人にとって不要なのですね……」
呟く声に返事を返したのは、片銀だった。
「だから言ったろ? ほら、とっとと代われ。俺にも方鐘は必要なんだよ。アイツがいないと……なんていうか、落ち着かないんだ。俺の属性上、下手に出ることは無理だが……その、なんだ。頼む。方鐘を返してくれ。
アイツの繋がりは、アイツの思う以上に広がってるんだよ」
片銀の脳裏に浮かぶのは、方鐘の別人格として現出してからの記憶だった。
いろいろな人がいた。生徒会なら月島、水越、中村、遠見、黒川、暁、クラスメイトなら三上、白坂、安形、変わり種ならバイト先の出雲夫妻。朝倉保険医や、敵とはいえ望と希美の兄妹兼恋人もいた。
そしてその中で、彼が無意識のうちに優先順位を上げていたのが、高垣奏だったのだ。
彼女に最初に抱いた感情は、憎しみ。それは強烈な憧れの裏返しだった。
方鐘の別人格であり、本人を感情込みで客観視できる唯一の存在である彼だからこそ気付くことができたものだが。
そして、そのまま彼はある意味傍観者として方鐘と同じ時間を刻んできた。
だから、分かる。本人は自覚していないだろうが、方鐘恭一は高垣奏が好きなのだ。だから、無意識に被害者の可能性を除外したしこの結末に巻き込まないように嘘を重ねた。……それは、今まで愛情を知らなかった彼が(奇跡的に)抱くことができた感情だった。
「……そんで、アイツもやっと『負』の感情だけじゃなく『正』の感情も持てるようになったんだよ。だからこそ、俺やアンタの主君はお前を望まない。……何もかもを失った方鐘は、見たくないんだ! だから、返せ! お前が方鐘から奪ったもの、俺たちのこれまでの、思いと願いと記憶を返せ!」
それを聞いた影は、ゆっくりと高垣の腕を解き、距離を開けるように下がる。そして、ほんの少しだけ、完全な無表情から比べるとわかる程度に表情を変えて。
「……なるほど、一つ学びました」
そして、悲痛にも見える緩やかな微笑みで。
「これが、優しさなのですね。……私に向いていないのが残念でなりません」
呟いて、その初めての笑顔を歪ませて。
「……なるほど、これが悲しいですか。僥倖です。一度に二つも感情を学べました」
空気と同化するかのように両手を広げて、続ける。
「私は、消えます。……不思議ですね。誰かの糧になるなら、そう悪い気はしない……」
「ちょ、ちょっと待て! 返せとは言ったが消えろとまでは言ってねぇ!」
「私が拒んだのが、そんなにいけなかったの!? あなただって方鐘なんでしょう?!」
「その二つは同義です。私が居る限り、方鐘は存在できません。だから、私の存在と引き換えに『影』の『根源能力』の『転換』で方鐘の人格と身体を再生します。……さようなら、我が主。先立つことをお許しください。感謝します、片銀。貴方が居たからこそ、私は主君に会うことができた。……そして、ありがとう、二人とも。私に心を教えてくれて」
影が溶ける。消えていく。まず広げた指先から、文字通り夜空に輝く星のように暮れかけたインディゴの空に散っていく。続いて肩、首、そして最後はその安らかな笑顔を。何のためらいも無く光の粒になって消えていく。最後に残った光の粒だけがもう一つの方鐘の身体に染み込むように消えていった。
後には、いつも方鐘の着けている青緑色のペンダントだけが床に落ちて涼しい音を立てただけ。
それが、影が残した最後のものだった。




