53th 暴食と改造
「……やれやれ。また何と無駄なことを……」
腕を噛み切られた影は、別段なにもなさそうに言った。
その間も腕のあった場所からは血が止めどなく流れている。
「失血死しそうですね。普通なら……と?」
影が少しだけ目を見開く。直後、もう片方の腕が破裂した。
「なっ!?」
驚いたのは本人ではなく、相対する望と希美だった。
「兄さん、何かした?」
「いや、何もしていないはずだ」
確かに能力鍵を復唱してはいるが、発動はしていない。
「ご心配なく。片銀の負傷を全てフィードバックしているだけですので。……一体何をどれだけ壊したのでしょうかあの馬鹿は」
平然と恐ろしいことを言ってのける影。
「この身体には自動再生機能が備わっていますので、問題は在りませんよ。見た目は少々グロテスクですが」
言った直後、腕が生えた。色は病的なまでに白いが、影は問題なく動かしてみせる。もう片方の腕の傷もすぐに塞がった。
「と、このように。おわかり頂けましたか?」
全てのダメージをほとんど一瞬で治療してしまった影は、相変わらず感情の読めない口調で続ける。
「さて、次はこちらの番ですね。……では」
両腕を軽く振る。生成されて手に握られていたのは、飾り気のない殺意の刀と鍔のない白木の小刀。
「行きます」
姿を霞ませる勢いで接近、風切り音と共に刀が落ちる。狙いは望だ。
「……ふっ!」
だが、望は躱す。同時にカウンターの要領で一撃。
「食らえ!」
手を伸ばす。握る。空間ごと食らう不可視のあぎとが閉じる。
だが、寸前で逃げられる。
「ちっ!」
望は舌打ち。けれど、それを無視して影が迫る。
一閃。続けて二発。正確に望に向かって刃を突きたてようと迫る。当然、両手の刃物はそれぞれリーチが違う。だから範囲も変わる。左の小刀を躱せば、それより長い刀が落ちてくる。
逆に刀を避ければ、短くて小回りの利く小刀が心臓に突撃をもって牙を剥く。
「ぬ、くおっ!」
望はひたすら避ける。
(思った以上に厄介だなこれは……!)
避けながらも思考する。確かに間合いも面倒だが、この場合一番重要なのは常に攻撃の手が休まらないことなのだ。それは、
(常にどちらかがこちらに向いている……)
つまり、刺突の構えだ。刺突は剣技の中で最も避けにくい。しかも単純に攻撃する面積が狭いので威力も乗る。それがどちらかは必ずこちらを向いている。しかも常にそれぞれが届く範囲で。これをどうにかしないと、勝ち目は無い。
(だが……)
方法ならある。
そう判断した望は一瞬だけ、本来の能力『知覚虚偽』を発動させる。相手の距離感がずらされる。その隙を突いて。
「噛み切れ!」
小規模発動。
握る。あぎとが閉じる。
影の右腕の肘部分が喰われて消失した。
「おっと。手が」
影の右手側、刀が肘の先部分と共にちぎれ飛ぶ。高速で再生するが、その手の中に殺意は既に無い。
(取った!)
二本あるなら、減らせばいい。そうすれば、こちらが能力を行使する隙ができる。それが望の出した解答だった。
「食らえっ!」
見えないあぎとが、陽炎を纏って影を丸ごと呑んだ。
「ふ、ふふ、ふは、はははははっ! 勝った! 勝ったぞ!」
望が笑う。勝利を確信し、歓喜に身を震わせて。
『暴食』の『自罰能力』である『飢餓領域』の代償は、食べたものの否定。
いくら食べても満たされない、空腹に束縛する代償。
つまり、喰われた影は否定され、この世界から消滅する。
……その、はずだった。
「やれやれ。大罪とは皆テンション高い存在なのでしょうか? 一考の価値は……在りませんね」
影は、何も変わらない様子でそこに立っていた。
「なっ! なぜそこにいる!」
望が驚愕とともに叫ぶ。だが影はこちらを見下すようにため息をついて応えた。
「お忘れですか? 私は片銀をフィードバックしているのですよ?」
そう言いながら、改めて白木の小刀を作成し先程手ごと落とした刀のとなりに丁寧に並べて置く。
「この肉体に施した改造は、判断力の強化、肉体的リミットの解除、超高速自動再生、片銀との存在共有、痛覚の遮断。以上五つです。正直、かなり人間として逸脱してますね」
相当無茶な改造をした自覚があるらしく、影も若干渋い顔で身体の調子を確かめるように腕を降ってみる。
「異常なしと確認。再度戦闘体勢に移行します」
「ほとんどチートスペックだな。こちらも全力を出さなければマズいか」
望が手で希美を下がらせる。
「逃がすとお思いですか?」
機械音と共に右手に生成されたのは、銃の形をした鉄製の器具。ただ、銃口が縦に細長い。
「ガンタッカー。本来は壁に物を打ち付ける時に使用する工作器械ですね」
名前を告げて、床に向けて発砲。ズンと鈍い音がして極大のホッチキスの針のようなものが飛び出し、土煙とともに針がめり込む。
「威力は十分と判断します。では……」
希美にガンタッカーを向ける。
「こちらの行動を阻害されぬよう、貴方の行動を制限させて頂きます。大丈夫です。骨を打ち抜くだけですから、痛みはあまり無いはずです。……後ろの孵卵器に打ち付けましょう。自分の子の近くにいられるならば本望でしょうし」
そして一切の躊躇なく撃った。
「くそっ!」
希美を庇って避けようと望が飛び出す。
「……掛かりましたね?」
「何っ!?」
「追加します」
それはトラップ。影が好機とばかりに残りの針を全て発射する。
それは過たず飛び込んできた望の身体を蹂躙した。
「そこの方を狙えば貴方が庇い立てにくる予測は立っていました。囮役、感謝いたします」
ペコリ、と希美に頭を下げる。
だがしかし、その頭を上げることは無かった。
「……それも、嘘さ」
望がいつの間にか背後を取っていたからだ。
「なるほど。先程の距離感をずらした能力の応用ですね? 視覚に映る自分の位置をずらしましたか」
下を向いたまま影が理解する。
「よく出来ました。だが、終わりだ!」
無慈悲にあぎとが閉じられる。影の中心に大穴が空いた。
「がっ……」
心臓を喰われた影が、僅かな声を残して崩れ落ちた。そして広がる血の海。
「いくら再生能力を持つといっても、心臓を喰われたならどうだ?」
望が勝ち誇るように影を見下ろす。影は痙攣するばかりで動くことは無い。
だが、逆襲は足元から来た。
「ぬおっ!」
地面から滑らかに這い出したのは、荒縄。それが縋るように上ってくる。
「……お忘れですか? 私は片銀をフィードバックしているということを」
影が血塗れのまま立ち上がる。荒縄はその手から伸びていた。
「片銀の存在する限り、私は死にません。その代わりに片銀の負傷を全て肩代わりしています。ギブアンドテイクですね」
胸の穴が再生する。数秒かからずに塞がった。
「攻撃方法を変更します。より広範囲の攻撃方法を検索……ヒット。生成開始します」
足を鳴らす。呼応するように屋上の床が軋む。出来上がったのは、無数の銃器。拳銃からサブマシンガン、果てにはライフルまで様々だ。血は全て銃器に置き換えられていた。
「蜂の巣にしてみましょう。……発射」
轟音。全ての銃器がトリガーを自動で引き、弾倉から弾丸を吐き出す。
だが、荒縄で縛られた望は避けることができない。
「うおああああっ!!」
圧倒的な質量。
硝煙と土煙で、屋上は満たされた。