48th 絵画と崩壊
「それは……僕の絵?」
なぜそんなものを?という疑問を方鐘が言外に込めると、二人はまた同じように邪悪に笑った。
「残留思念という言葉を知っているかね?」
いきなりの問い掛けに真意が掴めない方鐘は困惑しつつも「知ってる」とだけ答える。
直後、頭の中で片銀が「しまった!」と叫んだ。
(どうしたのさ?)
(どうしたもこうしたもねぇよ! アイツら、絵に残った俺の残留思念から『噴怒』を子供に継承させる気だ!)
「継承させる……どういうことだ?!」
方鐘は思わず声をあげる。その内容に驚いたのか、希美が言葉を返した。
「よく気付いたわ……この絵を加筆修正する許可を出したのもこのためよ。完全に覚醒した『噴怒』の思念が欲しかったから。けどね、それだけじゃないのよ?」
言いながら、絵を孵卵器の中に入れる。卵の中は透き通っていて、絵は水中のように上の方でゆらゆら浮かんでいる。
「もうこの子には、『暴食』が継承されているの。当たり前よね、私たちの子供なんだから」
笑顔の質を邪悪から愛情に変えて、希美は続ける。
「さて、問題です。人間は一体いくつの『大罪』を持てるでしょうか?」
「そんなの……そんなのは一つだけに決まってる! 第一、前例が無い!」
「何を言っているのかね君は?」
そこに言葉で割り込むのは、出来損ない……いや、彼らにとっては子供である『モノ』を絵とは別、下にある入れ口から機械に入れた望だった。
「前例ならあるではないか。『太母』とこの私の『暴食』の欠片を宿した前例が……君が治療したはずだ。覚えがあるだろう? あの生徒会長は実験台さ。そして得た結論だよ。相克する二つを同時に持つことが可能なら、同じ二つを同時に持つことも不可能ではないだろう?」
まるで間違いを指摘する教師のように(実際に警備員と兼任しているが)言われる。
「ならば、この『大罪の子』もきちんとした形で大罪を得られるはずだ。私の『暴食』も君の絵に残った『噴怒』もちゃんと継承して生まれて来る……楽しみじゃないか! 愛しい子供が無二の才能を、それも二つも持って生まれて来る! 素晴らしいじゃないか! そう思わないかい?!」
(この親バカ、テンションだだ上がりじゃねぇか? ぶっちゃけ半分逝ってね?)
(言っとくけど片銀、お前の同類だからね、アレ)
(認めたくねぇな……)
方鐘は、少しだけ攻勢に出る。相手の目的と手段を理解した以上、反攻に出ないと危険だと判断したからだ。
「けど、それは『大罪』。確かに人に力を与えるものだけれど、それは同時に『罰』の力でもある。アンタらはそれを自分の子に与えることを苦に思わないのか?」
まずは、相手の矛盾を突き付けてみる。
「いいや。思わないね。かわいい子には旅をさせよ、と言うじゃないか。それと同じだよ」
しかし方鐘は即座に断じる。
「違うね。そいつはアンタらのエゴだ! 唯一の才能? ふざけるな! そんなもの背負わせるのは間違っている! 『大罪』の危険性はアンタらだって分かっているはずだろう!」
叩き付けるように方鐘が叫ぶ。
「もう一度言ってやる! 『大罪』が才能? ふざけるな! こんな悪意の塊を受け継がされたほうの身にもなってみろよ! そして、お前たちのやっていることは犯罪だ! もしそれを生まれて来た子が知ったらどう思うか考えてみろよ!」
我知らず方鐘がヒートアップしてしまう。自分が犯罪者だということを理解しているからか。
罪を背負う重さを知っているからか。
だが親たちは別の意味に取ったらしい。
「ほう? 君は私たちの愛の結晶を否定するつもりかな?」
「いくら方鐘君とはいえ、それは許せませんよ? ねぇ兄さん、反省してもらったほうがいいんじゃないかしら?」
「ふむ、そうだね。君はもう用済みだ。私たちの『大罪の子』に宿す『噴怒』の一部も、君がいる以上完全には継承されないだろう……希美、やってしまいなさい」
死刑宣告。だがそれに方鐘は耳を傾ける気は全くない。望が傍らの妻君に願う前に駆け出していた。だが。
「……『繋がれ』」
無情にも響く希美の能力鍵。繋がりの鎖に繋がれるのはもちろん方鐘だ。
「うっ!……く、くあっ!」
殉教する聖職者よろしく張り付けにされた方鐘はそれを解こうと必死に身体を動かす。
「が、くおっ……だああっ!」
しかし、解けるはずもなく。
「無駄よ方鐘君。自分で体験したことがあるからよく分かっているでしょう?」
「言っておくが、助けを期待しても無駄だぞ。『彼』に『暴食』を感染させているからな。ここに来る人を殺すように思考を強制させている」
そいつは誰なのか聞いてみたいが、口まで『繋がれて』いるのか、開けない。だと言うのに、
「そうね。確か彼、月島君とあなたに深い恨みを持っていたみたいだから、返り討ちにされてしまうかもしれないわね?」
楽しそうに希美が喋った。
(どうして部長は喋れるんだ!?)
ただ一つ自由な思考が疑問を叫ぶ。
しかし、その答えは方鐘が到底信じられないものだった。
「不思議そうな顔をしてるわね? どうして私が話せるのか気になるのかしら?」
けど、と希美は続ける。
「もっと疑問に思うべきところがあるんじゃないかしら?」
そう言いながらこちらに歩み寄り、おもむろに方鐘の上着の袖をその細腕からは考えられない力強さで毟り取った。
その行動に方鐘は内心で快哉を叫ぶ。なんのつもりかわからないが、これなら手は動くはずだ。
(……なっ!)
しかし、方鐘の手は動かなかった。
(なんでだ! 部長の『動作連結は無機物と認識しているものにしか発動できないはず……!)
そこまで思考して、方鐘は最悪の可能性の端を捕まえた。……捕まえて、しまった。
(もし……もし、部長の僕への認識が……)
思考が進むのを感情が拒む。しかし、他人の声を方鐘の耳は拒めない。
「……気付いたのね?その顔は」
(う、嘘だ!嘘だっ!)
方鐘の目から涙が溢れる。信じたくない、そうあって欲しくないという否定の涙。
首は振れないが、全身全霊で暴れ、脱出しようとする。
だが、それに意味はなく。
希美の言葉は止まらなかった。
「そう。私はね、あなたを『道具』としか見ていないのよ。ごめんなさいね。……『道具』に謝るのも変な話しかしら」
一切の躊躇なく、方鐘の『日常』の住人が言い切った。方鐘の存在を認めない、と。
「あ……う……」
方鐘は、その余りのショックに耐えられなかった。
視界は歪み、頭がガンガンと鳴る。
それでもギリギリの線で保っていたのは、片銀の声のおかげだった。
(お、オイ!気をしっかり持て!お前が『壊れた』らアレに取り込まれて……)
しかしその頭の中の声もフェードアウトしてしまう。
方鐘の目が、もう一つの絶望を捕らえたからだ。
(あ、ああ……ああああぁっ!)
喰われたのだ。彼が『彼であること』を証明するために描かれた絵が、『出来損ない』に。
悪趣味な触手のように出来損ないが上へ伸長し、何の未練もためらいも無く方鐘の『証明』を砕いた。その破片は沈み込むように出来損ないの表面に消えていく。
その二つの絶望を、閉じることすらできない彼の目は最後まで見せつけられて。
彼の『自我』が、完全に壊れてなくなった。
「あら。まさかここまで効くなんて……予想外ね、兄さん」
「ああ。だが、何の問題も無いな。彼はもう生きる屍だろう。『噴怒』は後で私たちの子供に直接食べさせれば継承される。殺す価値すら無い……」
くるりと望と希美は踵を返す。自らの願いの成就を見届けるために。
……だから、彼らは気づかなかった。
心が死んだはずの方鐘の手が、ほんの僅かに動いたことに。