47th 仕掛けと人質
「……何なんだよ、それ」
方鐘は茫然として呟いた。その顔は驚愕を完全に表現している。
「……これが、これがアンタらの『目的』かよ!?」
見るもおぞましい、不定形で粘着質のなりそこない。驚いたことにそれは、まるで意思があるかのように身をくねらせていた。
「ああ、そうさ。これが私たちの目的にして願望だよ、方鐘君」
むしろ誇らしげに望は言う。
「最初に言っておこうか。私も『大罪』の保有者だ。『暴食』の、な。だから、君の中に存在している『噴怒』のことも知っている。それを無視した上で君に協力して貰いたいのだよ」
「オイオイオイ! マジで『大罪』かよ! デンジャラスだなオイ!」
頭の中で片銀のテンションがだだ上がりだ。というかうるさい。
「……悪かった。同族に会うのは久し振りだからつい……」
あっさり消沈。というか脳内コントをしている場合ではない。方鐘はきっちりと正面……試験管の中身を見つめる。
「それで、それを知ってなお僕に要求する事ってなんだ? いや、大方ろくなことでないのはわかってるけど」
尋ねられた望は、いっそう笑顔を深くする。
「君をここに呼んだのは他でもない、この子に『形』を与えて欲しいのだ。『人の形』をな」
そして、とんでもないことを言った。
「先程、君の中の『大罪』を関係ないと断じたが、むしろそのほうが好都合だ。この『子』に君の能力で身体を与えて欲しい。何、君には『噴怒』がある。危険があろうとも対処は容易いはずだ」
あまりにもあっさり言われる内容に、方鐘は一瞬絶句する。
「馬鹿な! もしそんなことができても、それは……出来損ないだ! アンタらの思うような『人間』にはならないぞ!」
叫びながら、方鐘は考える。確かに、自分の力ならできないことはないだろうと。
(特定の物体じゃなくて、『目的』を設定して使えば……)
できなくはない。そんな確信がある。
「大体、こっちにメリットがない! そんな不確定なことに、僕が手を貸す理由がない!」
方鐘がその否定を叫んだ瞬間、
どうしようもないほど邪悪に、兄妹が笑った。
「あのね、方鐘君。実はもう一つだけ、方法があるの」
「ああ、そうさ。だが、我々としては君が協力してくれると確信しているよ?」
「……言ってみなよ。そのもう一つの方法を」
そして、その答えは方鐘が停止するに値するものだった。
「何、簡単さ。高垣奏の子宮を奪い、それをこの子に与えればいい」
「……なん、だと?」
頭の中で片銀の声がした。
「…………………」
今度こそ方鐘は完全に絶句した。
望と希美は、それを眺めている。自分の発言がどれだけの衝撃を相手に与えたのかを測るように。
だが、方鐘の理性は現実逃避を許容しない。
「……つまり、人質かよ?」
「ああ」
望が頷く。
「君の推理は間違っていないのだよ。確かに私たちの殺人は対比実験のようなものだ」
「……どうしてそれを知っている?」
「なぜビデオレターなどという時代送れの物を送りつけたと思っている? ……あのビデオテープには、盗聴器が仕込んである。君の推理や行動は筒抜けなのだよ」
方鐘は再度絶句する。
「まぁ、それはこの際置いておこう。確かにこの事件のルールは対比実験だ。素晴らしいよ君は。君の推理、一つたりとも間違いがない」
被害者の予測は少しだけ外れたようだがね、と皮肉るように言う望に、方鐘はかみ付く。
「高垣さんは関係ないだろう! 大体、どうやってその被害者を決めている!?」
「『あの方』が決めているに決まっているだろう?」
「そいつは誰だ!」
「それこそ君には関係ないだろう。……さて、協力してくれるね?」
「くっ……!」
断われる筈がない。恩人である高垣の安全と、自分。それは天秤にかけられるものではない。少なくとも、望の能力がわからない以上、下手に動けない。ましてや『大罪』持ちだ。何をきっかけに動き出すかわからない。
「……わかった。協力する……」
絞り出すような声で方鐘が言った。
望が満足気に頷いてこちらに何かを投げた。思わず受け取ると、その物体は銀の輝きを返す。
「両面鏡……ね。どこまでもお見通しって訳か」
苦い顔で方鐘が言う。
「言っておくけど、僕でも完全にとはいかないぞ。こんな奴に無理矢理形を作るんだ。絶対にどこか狂う。いいな?」
「ああ、構わないとも。そこから先は私たちの問題さ。手のかかる子ほど愛しくなる、ともいうしね」
言葉の後半は方鐘ではなく、希美に向けられている。
「そうね、兄さん。教育のしがいがあるってこういうことなのかしら?」
そして互いに見つめあい、微笑む。
まるで……いや、本物の恋人なのだろう。
(はた迷惑すぎるだろこのバカップル……)
(今回ばかりは同意だね……)
両面鏡をひっくり返して確かめながら、二人だけの空間に言葉を挟む。
「この馬鹿みたいな機械、使っていいよな?」
「構わないさ。さあ、頼むよ」
「………………」
機械の表面に両面鏡を押しつける。目を閉じたまま、目的だけを頭に浮かべる。そして、スピンオフを起動した。
(うあ……っく!)
ぞわり、と背筋を走るいつもの感覚。ただ今回だけは違った。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!)
脳に感覚器官なんか無いとわかっていてもなお、激痛が脳内を駆け巡るような錯覚が沸き起こる。
脳細胞バキバキに痛めるかんな?という漫画の台詞が脳裏をよぎるが、実際にこうなら冗談ではない。
しかしありがたいことに、激痛はあっさりと去り、後にはまたあの奇妙に何もかもを薄くするような感覚が残る。
「ぐぐぐぐ…………」
残滓に悶えながら鏡を床に落とす。異形の機械は全て材料となり、試験管だけが残っていた。
(……足りないものは鏡の向こう!)
自然と浮かんだフレーズが自動的に復唱される。
軋み。その一回だけで全てが再誕した。
まるで筍のように地面から生えてきたのは、真っ白な卵のような機械だった。
「孵卵器……の、ようだな?」
「はぁ、はぁ……そんな、ところか」
荒い息で答えながら、方鐘は残った試験管を指差す。
「後はあの出来損ないを放り込んでスイッチを入れろ。自動的にどうにかなるからな」
そこまで言うと、方鐘は自分の作った機械にもたれかかるようにして座り込む。
「ほら、さっさとしろ。……これで、高垣さんに手は出さないんだな?」
「ああ、いいだろう。後は……希美?アレは?」
「大丈夫よ兄さん。ちゃんとここにあるから」
そう言って希美が取り出したのは、方鐘の描いたあの絵だった。