43th 風呂と煽情
カレーを火から下ろしてから扉を開けると、案の定高垣だった。
…ただし、雨に打たれて濡れ鼠だったが。
「とりあえず、タオルか何かを貸してくれない?部屋に上がれないわ」
「わかった。ちょっと待ってて」
急いで風呂場にバスタオルを取りに走る。背後で手持ちぶさたの片銀と高垣がおしゃべりを始めていた。
「俺はどーでもいーけどさ、オマエ、もうちょっと女らしさというか慎みというかそういうものを持つ気あるか?」
「何よ藪から棒に。私がどうかした?」
「いや別に。ただ『淫欲』が見たら速攻で襲いかかりそうな姿だな、と。…ブラ透けてるぞ」
その言葉に、方鐘は先程の高垣の姿を鮮明に思い出してしまった。
(うん、アレが三上の言う『透けブラ』とかいう奴なんだな)
頭の中で隠れオタクな三上の言葉に納得すると同時、羞恥心にやっと理解が及んだのか黄色なのか桃色なのかよくわからない悲鳴を高垣さんがやっとあげた。
と、少し気になったので身体を手で隠す高垣さんにタオルを手渡しつつ、片銀に尋ねる。
「あのさ、片銀。まさかとは思うけど、他の『大罪』が絡んで来てる可能性って、ある?」
「…前も言っただろ。原形在れば大罪在り。可能性だけならいくらでもあるぜ」
「ふーん…」
頭をがしがし拭きながら言う高垣に片銀が言う。
「…風呂入ってけよ。沸かしたばかりだから清潔だ」
「え?でも…」
高垣はためらう。ただ、そう言ったはしから、
「は、ハクション!」
盛大なくしゃみを披露してくれた。
「入っていってよ。どっちにしろ服は乾かさないといけないでしょう?」
方鐘は言葉を重ねる。
「それに、そのままだと風邪をひくよ?」
「…それもそうね…」
渋々ながら高垣は納得してくれたようだ。水滴の足跡を残しつつも、先程バスタオルを取ってきた風呂場へ歩いていく。
「乾燥機は洗濯機に付いてるから放り込んでおいて。スイッチはいれておくから」
了解、と返事が返ってくる。バスタブと脱衣所は壁一枚隔てているので水音がしたらスイッチを入れに行けばいいだろうと判断して方鐘は先に玄関に置いてある彼女のカバンを拾いあげた。中身はあまり入っていないようで、軽い。抱えて走ってきたのか、あまり濡れていなかった。バスタオルとは別に持ってきていたタオルで軽く拭く。ついでに床に落ちた水滴も。
と同時、水音が聞こえてきたので、一応脱衣所にノックをしてから入る。
「いいですか~?」
水音がしている時点で風呂場にいるのは確定なのだが、それでもだ。
とりあえず乾燥機のタイマーを入れてそそくさと去る。
「ふぅ」
軽く、ため息。
「オイオイ、デカいため息だな。どうした?あのブラは目の毒だったか?」
確かに、いつもの観察眼で咄嗟に脳裏に焼き付けてしまう程度にはあのフリルの多めの下着は素晴らしかったが。
「何ぼんやりしてやがる?カレーでも温めとけ」
「うん、そうする」
カレーをよそってテーブルに並べたところで、ちょうど上がったらしい高垣の悲鳴が聞こえた。
「な、どうした?!」
思わず方鐘は駆け出していた。片銀が何か言ったような気もするが頭が理解をしようとしない。
「何があったの!?」
ばたん、と勢い任せに扉を開ける。直後、裸にタオルを巻いた高垣に抱き着かれた。
「へ?」
柔らかい。高垣奏という人物はここまでの心地よい弾力を持っているのか、と感心していると、寒さのせいかまるで小動物のように震える彼女の手がある方向を指差しているのに気付く。
その先にいたのは、黒くて平らなアレ。オブラートに包めばG。ジョニー等とも呼ばれてたな、確か、と思いながら方鐘は高垣と位置を入れ替える。
「悲鳴が聞こえたから何事かと思ったら…なるほどね。コイツは僕が処理するから、まずは着替えを…って、乾燥機は向こうか」
困ったことに、彼女の衣服が入っている乾燥機はジョニーの向こう側だ。
「…しょうがない。僕の部屋の棚から適当に出して着ててよ」
そう言うと、高垣は頷いて素早く出て行った。
「さて、と」
義眼に手を添える。作り出すのは殺虫剤。
「今度買いに行く予定だったし、ちょうどいいか」
そう言って、方鐘は殺虫剤を構えた。
しかし相手はGの名を持つ生物、一筋縄ではいかなかった。
「このっ!…へ?」
逃げる逃げる。足が多いのは飾りではない。負けじと方鐘も手を動かす。
そして、その手間が最悪の誤算を生んだ。
「な、何してるの!」
バチン、と高垣の手を方鐘がしたたかに打った。ここは方鐘の部屋。Gを片付けてからさて着る物を見繕わないと、と方鐘が部屋に来たちょうどその時、高垣が何かを再生機に差しいれようとしていたのだ。
「何って…ビデオ観賞?」
そう言う高垣の手からはたき落としたのは、ビデオテープ。
棚の裏側に隠したはずの物だった。
「…中身、見た?」
「ううん。どうして?」
その返事に安堵すると同時に、感情に差し水をする。冷却しかけた頭が自然と嘘を作っていた。
「…これ、例のスナッフムービーのビデオだよ。一応隠しておいたんだけどね」
「ああ、なるほどね。だから隠してあったの」
拾いあげたテープは、彼女の体温が移ったのか少し暖かかった。
「…というか、いきなり他人の家のビデオをみようとするのはどうなのさ。あと服。なんで僕のワイシャツなの?他にもっとまともな服あったでしょう?」
するとなぜか高垣が羞恥の赤い顔で猛然と反論してきた。
「ま、まともに着られるのがこれしか無かったのよ!何よ、何か悪いの!?大体ね、下着も無いのに服なんか着られないわよ!」
言われてみると確かにそうだ、と方鐘は冷静に納得した。確かにパンツなしでズボンははきたくない。
「…でも、残念ながらまだ服は乾いてないよ?」
まだガタガタ言っている脱衣所を指差して方鐘が言う。
そう指摘すると、彼女はうっ、と唸って黙ってしまった。若干の涙目でこちらを見上げてくる。
「…そんな半分涙目で見られても…しょうがない、先にカレー食べる?」
冷めるよ、と方鐘が追加すると、食べる…とだけ返った。
「んじゃまぁ、俺は食えないけどテキトーに…いただきます!」
「はい、どうぞ」
「…なぁ、俺スゲエ空しいんだけどさ…」
「むぐむぐ…入れ替わってみたら?…はぐっ」
若干ブーイングが出たものの、カレーはあっさり消費されていった。
で、食後。方鐘が皿を洗ってる間に会話が始まる。
「しかしオマエ、ワイシャツかよ…淫欲がマジで騒ぎ出すぜ。あと三上も」
「三上君って、そんな趣味があったの…?」
「三上は半分だけだけどね。周りにものすごいのがいるとかでさ」
「あんまり知りたくなかった一面ねぇ…」
しみじみと高垣が呟く。と同時、衣服が乾いたのか乾燥機がアラートを鳴らす。
「あ、終わったね。着替えておいでよ。僕は部屋にいるから」
そう言うと、方鐘はそそくさと退散した。もちろん、食器類は完全に片付けられている。
終わったら呼んで、とだけ言って扉は閉じられた。
残った高垣は脱衣所から服を取り出す。微かに湿った感じが残るそれを置き、ワイシャツに手をかける。そのタイミングで、高垣は一つ気付いた。
(あ、これ…アイツの匂いだ)
といっても、不快ではない。どちらかといえば好きな匂いだ。
(ああ、だから…)
そこまで思った瞬間、やっと理解した。
兄と近いのだ。方鐘が。
性格が、ではない。雰囲気がだ。
(だからさっき無意識のうちに抱き付いて…って何考えてるの私!)
自然と血が登ってくる頭をぶんぶん振って冷まそうとする。
(兄さんに近い…けど、なんか違うのかな…)
この安心感に近い感じは兄とよく似ている気がする。けれど、ちょっと違うような気もする。
(うーん、何なんだろう…よし、わからないなら放置!)
高垣奏、よく考えるのは苦手な質だった。
一日一日と、刻限は迫る。タイムリミットまで、あと三日。