39th 拠り所と陰謀
「で、わざわざ俺たちの家まで来た理由は?」
こちらは方鐘のマンション。そのリビングで、片銀と高垣が向かいあっていた。
もっとも、片方は鏡の中という傍から見ると奇妙な光景だったが。
「ご飯が無かったからよ」
「嘘だなぁ。少なくともそいつは理由の一つ。本命は別にあるだろ?」
一方、本体の方鐘はというとキッチンで鶏の香草焼きを上機嫌で焼いている。
「どうしてそう思うのよ?」
「別にいっしょにメシ食う必要ないだろうが。あの場で分かれてファミレスで食べればいい。金が無いってわけじゃねぇだろ」
会計の時、方鐘の目を通して見た財布の中味には数枚の紙幣が見えた。
「オマエの家、かなり裕福だろ?」
追い討ちの言葉を重ねる。
高垣は渋い顔で反論した。
「だって、香草焼きのほうがおいしそうだったんだもの。それに、その…」
なぜか言葉が小さくなっていく。
「それに?何だよ」
「気になるのよ。なんとなくだけどさ」
「…意味わからん。一つだけ飛び抜けてて他の感情が希薄な俺みたいな『大罪』にはちょっとな」
ガリガリと鏡の中なのに音をたてて頭を掻きながら、片銀は天井を見上げた。そのまま話す。
「ただ…お前が『僕』を…方鐘をどう思ってるかは知らない。だがな、『僕』の選択には『俺』が、『俺』の選択には『僕』が必ずついてまわる。『かたがねきょういち』は一蓮托生なんだ。それだけは…覚えておいてくれ」
珍しく真剣な顔で片銀が言う。で、あっさり雰囲気を壊すような軽い声に戻して言った。
「ま、双子みたいなモンだと思ってくれれば間違っちゃいねぇ。身体は一つだがな」
明るく笑って、鏡をコンコンと叩く。
「はい、できたよ。そこの折り畳み机出して」
そこへちょうど方鐘が両手に皿を乗せてやってくる。その慣れた手つきは先程ファミレスで見た店員と遜色ない。
「器用ね。バイトでもしてるの?」
「忘れた?僕は和菓子屋でバイトしてるんだよ。そのおかげだね」
「そういえばそんなこと言ってたわね…って、生活保護受けてるでしょう?なのにバイトしてるの?」
高垣は部屋の中を見渡す。最低限の生活用品しかない、殺風景とも言える部屋。これのどこにお金を使うのか。
「食費にね。僕のスピンオフはカロリーが減るから、しょっちゅう補充しないとすぐに餓死しかけるし」
高垣はあっさりと納得した。菓子は糖分が多いから方鐘のスピンオフには最適なんだろう。
「結構便利なんだよね。食べ過ぎたと思ったら適当に物作ってカロリー減らせるし。体重操作は自由自在…って、高垣さん?なんでそんな恐ろしい顔を?」
体重操作、のくだりからどんどん厳しい顔になっていく高垣を見て、やっと方鐘は以前病室で月島に言われた事の意味を理解する。
なるほど、ダイエットは全ての女性の夢であり目標だ。で、それをあっさり叶える僕のスピンオフは喉から手が出るほど欲しい、とそういうわけだ。と方鐘は納得した。と同時に自分の危機も。
「え、えっとね!?別に他意がある訳じゃあ」
「黙りなさい」
「は、はい!」
全女性の夢への冒涜に対する言い訳を高垣が許してくれるはずもなく。
「…正座。」
ドスの効いた声、というのはこういうものなのだろうか。冷えきった超低音。っていうか顔がヤバい。筋張ってる。
「歯、くいしばりなさい」
本来和やかなはずの食卓を回り込んで背後に高垣が立つ。
方鐘は言われた通り歯をくいしばるしかない。
もはや命令だよね!?というツッコミとかを口に出せるほど空気が読めないわけではないのだ。
(どうされるのこの場合?!)
軽くパニックになる頭をなだめながら、次の展開を予測する。
(平手、拳骨、チョップ…)
見事に打撃系。というかそれ以外予測不可能。
けれど高垣は、その予想外から来た。
「うぇっ?!」
思わず妙な声が出てしまう。
首に来たのは、人肌の暖かさ。
背中に来たのは、服の感触。…ついでに、多分年齢相当の柔らかさ。
そして、直後。
「痛い痛い痛い痛い!ギブギブギブっ!」
猛烈に首を締められる。
(こっ、これ、チョークスリーパー!?)
月島が以前水越にやられていたプロレス技だ。けれど、今回はかける人が違う。ヒュペリオン体質の高垣なのだ。
つまり、威力がケタ違い。
「うるさい少し黙りなさい乙女の悩みをあっさり叶えてくれちゃって!」
繰り返しになってる。相当キテるらしい。
「…っ!っ!」
で、つまりそれは首の絞められ方がより強くなってきている、というわけで。
必死で方鐘は首を締める手を叩いてギブアップを伝える。もはや声さえ出ない。
しばらくして、やっと方鐘は開放された。といっても、虫の息だが。
「あー、うー」
「喋れるなら平気ね。どう?反省した?」
ガクガクと方鐘が首を振る。片銀はいつものようにケラケラ笑いながらその風景を楽しむ。
「私だって、あとほんの少し軽かったら…」
「複雑な乙女心ってか?大変だなオイ!」
片銀が茶化す。と、ふと方鐘は思い付いた。
「それじゃあ、ちょっと『抜く』?不快感のお詫び代わりとしてだけど」
どれくらい減らしたいの?と方鐘が尋ねると、尋ねられた高垣が疑問を示した。
「『抜く』って…あなた、自分以外のカロリーを変換できるの?」
「うん。前に試した事があるから大丈夫」
そう言いながら、自室からお目当ての鏡を持ってくる。
両面鏡を。
「『鏡を通してカロリーを吸収し、変換する』のが、僕のスピンオフ。だったら、両面鏡を使えば?」
「なるほど。それなら自分以外からもカロリーを取り出せるってことね?」
正解、と方鐘は高垣に言いながら両面鏡を手渡す。
「で、どのくらいにするの?グラム単位までなら指定できるけど」
「細かいわね。そこまで精密なんだ?」
「日々試行錯誤してたからね。作っては食べ作っては食べ作っては…」
やめよう、と方鐘は言って、両面鏡に手を置く。
そのまま高垣を促すと、彼女は百グラムと言った。
「了解。異様な感覚がすると思うけど、耐えてね?」
「わかった」
「それじゃ」
方鐘が軽く両面鏡を叩く。
「……っつ!」
真冬の空の下に放り出されたように高垣が震える。確かに、あまり気分のいい感覚ではないだろう。
そして鏡に浮かび上がるのは、僕の描いた望みのカタチ。
じわじわと立体感を持ち始めるのは、懐かしい、緑青色の四角形。
最後にそれに金鎖を繋げて、記憶と同じカタチにする。
「そいつは…!」
片銀が声をあげる。
「そう。人格封印箱。閉じ込めるつもりは無いから、安心していいよ」
そう言いながら首にかける。馴染んだ重みと金属の感触がしっくりときた。
「ただ、これは僕の一番大切なものだからね。…それにこれ、壊したの高垣さんだし」
「…根に持ってたのね?」
「ううん。残念だっただけ」
そう言って、首から下がった立方体を愛しそうに撫ぜながら限り無く優しい声で呟いた。
「おかえり。みんな…」
「兄さん…どうするの?一番重要な『盗聴器』、壊れちゃったよ?」
「もうここまで来れば大丈夫さ。それに、『盗聴器』自体はまだまだたくさんある。こちらの優位は変わらないさ。
それに、こちらももう、最終段階だ」
「ってことは…やるの?」
そして、寝具の上の二人は囁くように言葉を重ねた。
「「最後の仕上げを」」
その背後には、機械の気配。相変わらずまるで生きているかのように自動的に操作盤を光らせるそれは以前と比べて形がかなり変化していた。雑多な機器類はそのままで、低く唸る音もそのままだが中心部分に特大の部品が追加されていた。
その部品は上から見ると、完全な円形をしていた。大きさはおよそ一メートル半程度で、透明だ。横から見ると、すぐにそれが何かわかる。
それは、あまりにも巨大な試験管だった。
濁った薄い青緑色の液体で満たされ、中をうかがい知ることはできない。ただ、中には何かあるらしく、無数の電極が繋がれてたゆたっている。
その機械の目的は、主人の大願成就。果たされるまで、停止する予定はない。