31th 問答と治療
かいつまんで事情を説明すると、なんとか状況は落ち着いた。
「『名付けの呪術』ですか…ごめんなさい、私は神社の出ではありますけれど、そういった方面にはあまり詳しくなくて」
「つっーか、意図的に避けさせられてたよな」
「仮にも姫巫女だからな。『呪』にしろ、『呪』にしろ、マイナスの属性は必ず付き纏うわけだ。巫女は古来より神あるいはそれに準じるものの器だから、なるべく避けようとするだろうさ」
中村のフォローにさらに片銀が追加する。
片銀をこの数分観察してわかったが、どうやら鏡像の源である僕が一部分でも映っていないと、片銀は喋れないらしい。
しかも驚いたことに、そのまま入れ替わると今度は僕が鏡の中に。
と、会話が途切れたのを見計らって三年生コンビが話を切り出した。
「実はな、今日方鐘を呼び出したのにはもう一つある。方鐘、時間はあるか?」
「一人暮らしに訊きます?」
それもそうだな、と呟いて、傍らの暁を促す。
「ごめんなさい、急にお呼びたてして。けれど、幾つか聞きたいことがあって」
こちらを見ながら言うので、頷いて許可をだす。
「僕が」
「俺が」
「「答えられる範囲なら」」
二人分の返事に、二人が頷いた。
「では、まず…『原罪』と『大罪』の違いとは?」
鏡像が答える。実像が補足する。
「まず、『原罪』と『大罪』の本質は同じだと思ってくれていい。『原罪』の中で飛び抜けて危険な七つの方向性をそれぞれ『大罪』とよぶ」
「『原罪』は基本的に誰もが持つものです。他者の命を奪わなければ生きていけない存在である、食物連鎖に組み込まれた存在全てが背負う連綿と続く殺害の歴史…それが『原罪』です」
その説明で理解したのか、二人が頷く。
「では、次です。『原形』と『大罪』、それぞれの発現条件は?」
似ても似つかない側の声が答える。本来の声が付け足す。
「それの源となる感情や思いを異常なまでに激しく持つこと」
「僕の場合は、理不尽な境遇に対する怒りが原動力でした」
「『大罪』はそれぞれに対象を選択して浮かぶことができる、ってのが『原形』との違いだな」
「『原形』についてならば、あなた達のほうが詳しいでしょう」
「ありがとうございます。ではもう一つ。最後で、一番聞きたかったことです」
そこで、暁はなぜか一つ息を止めて。
「私の治療のことを、より正確に、理解できるようにお願いします」
すると、今まで沈黙を保ってきた黒川が進み出て言った。
「二人で話しあって、治療そのものは受けることを決めた。だが、改めて説明をして欲しいと彼女がな。だから今日お前を…いや、お前たちを呼んだのだ。私からも頼む」
鏡合わせの同一存在が、しかし個別に口を開く。
「大まかに説明すると、あなたの中の『暴食』の欠片を『崩壊』させます」
「ただし、心と脳みそは密接に関係してる。下手にいじると、記憶障害が起きる可能性がある」
「特に『大罪』や『原形』は、重要もしくは大切な記憶に根付くことが多い」
「だから、あんな警告をした」
「具体的な方法としては、脳の内部に張り巡らされたニューロンのネットワークを一部断絶して、『大罪』と繋がる『思い』を無くします」
「問題はその、断ち切ったニューロンネットワークの先」
「その部分の記憶野に別口からのネットワークがあれば問題はないんですけど…」
「無かった場合、思い出すことが出来なくなる。あ、安心しな。痛みはまったくない」
「なお、崩壊させるために一時的に『噴怒』を感染させますが、後遺症は一切残りません」
「悪意を持って感染させたならまた別だが、そんな気は一切ないかんな。万が一残ったとしても、『原罪』に飲み込まれて有象無象に分解されて深層心理にポイ、がオチだろ」
「以上。御質問はありますか?」
対する二人は顔を見合わせて、ふっ、と笑顔を交わして。
「ありがとう。よく分かった」
「それで、治療の期間は…?」
答えるのは、治療役の片銀。
「別に?今からでもイス一つくらいあればできるし」
あとは、と呟きながら方鐘を見て。
「もちろん、許可はくれるよな?」
「その代わり、全力でね」
すると、いつの間に来ていたのか水越を含め五人が話は済んだかとばかりに寄ってきて、目の前にある物をぶら下げた。
「あ、それは保健室の…」
「正解。さっきレイちゃんが持ってきてくれたの」
「いきなり黒川副会長からメールが来た時はびっくりしたわよ。アドレス教えてないのに突然『保健室の鍵を持って生徒会室まで来てくれ』だもの」
なんで知ってるんですか、と水越が黒川に尋ねると、
「生徒の個人情報は学校側から警備員詰め所を経由して共有しているからな。基本的に知っている」
事も無げに言い切った。
「なぁ黒川、プライバシーって知ってるか?」
「うむ。守るべき社会規範として理解している」
全員が頭を抱えた。
そして、保健室に移動。片銀は今はケータイのミラーモードで映っている。
(交代)
その思考とともに入れ替わった片銀が目を閉じて深く集中する。代わりに手順を指示するのは鏡の中の方鐘だ。
「月島、黒川先輩といっしょにベッドを部屋の中央にお願い。水越と高垣さんはそのベッドを中心に半径一メートル半の円を書いて。そのラインが危険領域になるからね」
「危険領域?」
中村が尋ねると、方鐘が答えた。
「『噴怒』の発動ステップとして、接触感染が必要なんですが、今回はだいぶ軽度にしか感染させません。なので余剰した分の感染力を代わりに空気に感染させるつもりなんです。だから、そのラインより中に入るともれなく感染して崩壊します」
「…怖いですね」
感想を述べたのは、中村の隣に立つ遠見だった。
「ええ。近寄らないでくださいね」
そして、ベッドが部屋の中心に移され、チョークで赤い円が引かれ、一通りの作業が終えたのを確認してから、暁に声をかけた。
「さて、準備は完了です。会長、そこに寝てください。ただし、治療が始まったら動かないように」
片銀が立ち上がった。静かに目を開き、ベッドを囲む円に入る。
「…最後に確認させてくれ。本当にいいんだな?もし成功したとしても、記憶はメモリーになる。現実感の伴わない、無機質な記録になっちまう…俺にはよくわからんが、悲しい、ってのは辛うじてわかる。アイジョウ、って奴も、少しならわかる。それは、『幸せ』って奴の括りにある…奪われたら、悲しい」
そして、寝台の上の暁の頭に手を置いて。
「アンタの精神、だいぶ弱ってる。感情をダイレクトに知覚できる俺にはわかる。治療そのものは平気だが、記憶の忘却のショックに耐えられるかはわからない…それでも、やるのか?」
最後通告。しかし、暁はどうぞ、と促しただけだった。
「…よし、わかった」
片銀は言う。
と同時に両足でカッ、カッ、と刻む。ざらり、と大罪独特の気配が立ち上がった。
「全員、円の中に入るんじゃねえぞ。死にたきゃ別だが」
そのまま暁の頭を鷲掴みにした。
「うっ…あぁ!」
暁の叫びと同時に、衝撃波が発生、周り一切を吹き飛ばす。
「ど、どうなってやがる!」
中村の叫びに答えたのは、方鐘。
「会長の中の『太母』が抵抗してるんです!」
応じるように片銀が言う。
「ある程度は予想してたがここまでとはな!悪い黒川、かなり時間食うぞ!」
言うなり左手で右手を押し込むように支える。
「くっそ!この衝撃波はどうにかならないのか!」
月島が叫ぶと、水越が蛇口を捻って出した水をヴェールのように張る。
「これでっ!」
衝撃波も結局は振動だ。水という液体を通過する課程でかなり軽減される。
「おい方鐘、明乃はどうなっている!?」
黒川がケータイに問うが答えはない。水の天幕で実像が映らなくなってしまっていた。
一方その向こうでは拳と衝撃波、噴怒と太母が盛大に激突していた。片銀の腕はぎしぎしと軋み、額にはこの短時間で脂汗が浮いていた。
おい片銀!大丈夫なのか?
(お、戻ったのか)
向こうにもう映ってないからね。
(ってことはもう連絡はとれないわけだ。…二人だけの戦場って奴だな)
お断りしたいね。あんたといっしょなんて特に。
「…自分には厳しい奴め!いいよやってやるよ!」
片銀が冷静に目を閉じる。周りの空気が蠢き、さらに悪意が凝り固まる。
(…埒が明かない。全力出すぜ)
了解。
(一時的に限界までお前の領域を削るからな。気をつけろよ!)
思考が聞こえたと同時、片銀が高らかに詠唱を始める。
「ここに宣言する!我は最悪の罪悪にして噴怒を司る悪意なり!悪意の王なり!なれば従え有象無象!全て!全て!全て!我は暴虐の意思、人の総意の欠片、最大の災厄なるぞ!」
そして、楽しみでたまらない、と獰猛に笑って。
「さあ、力比べだ『慈愛』!俺というバケモノ相手にどれだけ保つか…楽しみだなぁ、オイ!」
衝撃波と水の天幕に囲まれ、逃げ場を塞がれてなお治療は続く。
片銀の哄笑と、暁の動きが収まるまでの数十分。
それだけをもって、暁の治療は終了した。