18th 叶わぬ家族と美術室
その少し前、学園の昼休みにて。
「えーと、美術部、美術部…部活棟か?考えてみるとマジで大きいなこの学園」
三上慎哉は廊下を歩いていた。
「まったく、いくらなんでも俺に任せなくても…俺は美術に詳しくないっての!」
暴漢に襲われた方鐘のかわりに展覧会に出す絵を選んでくれ!とルームメイトに頼まれたのが今朝。
(まぁ、きっとアイツのことだ、人を殺したショックでふさぎ込んでる方鐘を庇おうとしてるんだろうな…)
ぶっちゃけ、方鐘の経歴は偶然とはいえ知ってるし、(というか部屋の鍵付き引き出しからはみ出してた)今更態度も特に変わらない。しょうがない、と思ってまずは美術室のカギを借りようとしたら、顧問の山良が不在でカギも持っていかれるという完全な骨折り損。
「っていうかこれはチャンスじゃないか!美術部の奴に選んで貰えばいいんだよ!」
我ながら名案とばかりに意気揚々と美術室のドアを開けると、筆がいきなり飛んできた。
「っ貼り付け!」
反射的に叫んだ『能力鍵』に魂の奥底に刷り込まれた『原型』が反応して脳の回路に火が入る。あとは現実に侵蝕していくだけだ。見事に筆を食い止めた空気の壁は直後あっさりと消えて筆がカタンと落ちた。
「す、すみません!つい手が滑ってしまって…ってあれ?三上君?」
「通綱部長…でしたか」
そこにいたのは、文字通り筆を踊らせる美術部長の通綱希美だった。
「ごめんなさい。まさか昼休みにここに来る人がいるとは思わなくて…」
そう言って申し訳なさそうに縮こまる部長。どうもこの人は控え目だ。背丈も小さめだし、部長会でもなんとなく立場が弱い。ちなみにこの人、顧問の山良さんの義妹でもある。
「いやいや、別に構いませんけども…あ、そうだ。ついでにちょっと手伝ってくれませんか?」
と、絵の選定を頼んでみた。
「えっと…どうしようかな…」
わかりました!と快諾した部長が準備室に飛び込んで数分後。目の前には二十四の絵と悩む部長がいた。
「こんなに描いてたのかよ…」
とりあえず呆れた。どれもクオリティが高いのだ。しかも…。
「入学してから半年たたずでこれだからね…正直なところすごいと思う。あのほとんど無茶な観察眼も含めて…」
無茶な観察眼、の下りがなんとなく引っ掛かった。ついでに説明を求めてみる。
「あ、えと、その…なんて言えばいいかな…えっと、過負荷を掛けているって言えばわかる?」
「まぁ、なんとなく」
「彼の動態視力と観察眼は確かにすごいけど、かわりにすごく疲れやすいの。そのまま無理して使えばどんどん視力が落ちて行くくらいに。だから、あまり使わないようにっていつも言うんだけど…」
「でもアイツ、そんな素振りなさそうですよね。この数を見ると」
「そうだね…あの子が絵を描いてるところ見たことある?」
「ないですね。ってかここ以外で筆をとってるのは見たことないですし」
月島ならまた違うかもしれないけども、と付け足す。
「あの子の書き方はね、キャンバスに向かったまま動かないことから始まるの」
「やっぱりイメージを固める、とかからってことですか?」
「それが違うの。まるでキャンバスを見ないでじっとその上をにらみ付けるだけ。それでしばらくすると吹っ切れたように描きだして描いてる間はなにも反応しなくなるの」
「…無茶苦茶な集中の仕方ですね…」
「要するに写実的なわけなの。普通は見比べながらスケッチしていくけど、きっとあの子はその集中力でキャンバスに描かれたものを幻視してるんだと思う。あとはその観察眼でひたすら真似るだけ」
ちょっと羨ましいかも、と呟いた部長だが、無造作に持ち上げたキャンバスを見て絶句した。
「…なんだこれ?」
思わず三上が言う。ほかの画布に埋もれる中から取り出したのは、黒い絵だった。というか黒しかなかった。
「なんでこんなの描いたんだ…?」
黒い絵なんて、画家からしたら面白みもなにもないはずだ。
すると部長がその絵を握りしめて悔しそうにした。
「…これだからあの子は…」
まるで独り言のように希美は語りだした。
「絵ってね、やっぱりちょっとだけ描く人の心や悩みとかが出るの。ほら、絵を描かせるセラピーってあるじゃない?あんな感じで。あの子の描き方だと、一度自分に取り込むぶんその影響が出やすいの。それで時々、こんな風に良く言えば幻想的な絵を描くんだけど、何かのはずみでこうなることがたまにあるのよ」
「だからってこうですか…?」
黒色の持つイメージ。どう考えてもポジティブにはいかないだろう。しかもそれが元の絵を食いつくしてまで出てきている。
「…先輩だったら、どんな風にこれを解釈しますか?」
絵柄すらないこの絵から、素人に読み取れるものはほとんどない。たが、玄人の目にはどう映るか。聞いてみたかった。
「言わせて貰えば、解釈したくない。が感想かも」
「そこまで酷いですか」
「うん。本人が聞いたら怒るくらいには」
それは…、と口ごもる。かなり酷い、ということだろう。
「差し障りのない範囲で言うと、諦めが一番近いかな。で、それが画面全体に広がってるわけだから」
「あー」
納得してしまった。確かにどこか諦めてる節が常にあいつにはある。
「まぁ、そういうのが彼の絵の個性でもあるんだけどね。評価されてるのもそこだし」
そう言いながら、残りの絵を物色していた部長が一枚の絵を選びだした。
「これ、かな」
そしてその絵をキャンバスに立て掛ける。
「うは。これは…!」
一瞬写真とまちがえた。けれどよく見ると明らかに違う。この学園の廊下だろうけれど、そこに一人立つ人物がおかしい。右向きのはずだが、左にも顔がある。仏像を思い出すとわかりやすいかもしれない。右は普通の顔、左は凶悪な顔。それが違和感なく画面にはいりこんでいる。
「よくできてると思う。…やっぱり、イメージはマイナスだけど」
「ですよね」
今回は同じ印象を受けた。
「二面の人物像は、多重人格を表す象徴。あの子はいつも我慢してたから、抑圧したものがこういう形で漏れ出てもしょうがないとは思う」
「漏れ出ただけでこれ…ですか」
漏れてこれなら、蓋が開いたらどうなるのか。我慢には薄々気付いていたが、ここまで重症とは思っていなかった。
「あ、しまった!」
いきなり部長が叫んで自分のキャンバスに駆け寄る。そこでは筆がまだ絵を描きつづけていた。
「と、止まって!『動作連結』っ!」
と同時に筆が支えを失ったようにその場に落ちた。
だが一足も二足も遅かったらしい。最早絵は無残なことになっていた。
「あーあ…またやっちゃった…今月二枚目…」
もとは田園風景だっただろうそれは、緑色でわけがわからなくなっていた。
「二枚目ですか…」
うっかりさん属性も追加、と。
「ヤバい。この人かなり萌キャラかも…」
「?何か言いました?」
「いえなにも」
いかん。気を抜くとオタクに影響されてる部分が出る。ここは話題を変えよう。
「ただ、部長のその能力は初めてみたな、ってことです」
「あら?前に見せたことがあったような…」
「ないです。というか俺と会ったのさえ二回目ですよね」
「あ、あら?ごめんなさい。方鐘君と勘違いしたのかな。とりあえず、私の『動作連結』は、物体を私と連動させるだけの能力なの。Cクラスだし、同時に操作できるのは二つが限界で、対象に一度でも触ったことがないとダメ。それと、自分が『生きている』と認識してるものは操れないの。…こんなところかな」
「よくわかりました」
わかりやすい説明が来たので頷く。
「とりあえず、これでいいか方鐘に写メしてやりますか」
「でも、あの子はベッドの中でしょう?気付くかしら?」
「あ、しまった送っちまった。というか部長、よく方鐘が寝込んでるって知ってましたね」
ちょっと意外だ。俺ですらさっき月島から聞いたばかりなのに。
「ほら、私部長だから。部員のことはよく知ってるの」
「なるほど」
若干釈然としないが、とりあえず納得。
「で、部長はどうするんですか?」
「何がです?」
「絵ですよ絵。展覧会に出す絵」
「ああ、それですか。私はこの絵ですよ」
そう言って棚から取り出したのは、三人並んだ家族の肖像。いや、ちょっと違う。
「これは…まだ未完成ですね」
三人の筈のその絵には、どうしようもなく欠けているものがあった。
「二人だけしか居ないですよね?三人目のスペースがきちんと空いてるし、描かないんですか?」
正面からみて右から部長、真ん中には小さな子ども、そして左は空白。本来なら男の人…つまり父親が入る部分だ。
「描きませんよ。描かないことで完成してるんですから」
「描かないことが完成、ですか」
「だって、題名が『未来の家族』ですから」
「だから未完成、と」
「はい。そしてこれは、絶対に叶わない私の夢の形でもあるんです」
「叶わない…夢、ですか」
「はい。私、体質的に子供ができませんから。望さんもいろいろと手を尽くしてくれてるのですけど…」
「…すいません。聞いたらいけないことを」
「いえ、いいんですよ。どうにかなりそうな目処は立ちましたし。大丈夫です」
どんな目処かを聞いてみたかったが、聞いてはいけないような気がした。ただでさえ聞いてはならないことを聞いたのだ。これ以上聞いたら駄目だろう。
話題を変えることにした。
「ちなみに、自信の程は?」
「わからないですね…毎回レベル高いですから」
「方鐘は?」
「審査員次第だと思います。絵を肯定してくれれば、いい所まで行くかも知れません」
「一回みてみたいですね。最優秀作品とか」
「インターネットで見られると思いますよ?」
「あ、その手があったか」
なんとなく笑いあってから、展覧会に出す絵をもう一度見た。
方鐘の絵の怒りの顔が、こころなしか大きくなったような気がして、怖くなった。何かが染み付いているような気がした。
「んじゃ俺、失礼します。次は移動教室ですから」
それではまた、と送る声を背に、美術室から逃げるように引き戸を閉める。その瞬間、うっすらと漂いだす薄墨に悪意を飽和するまで溶かし込んだような気配。
本能が発する警告。慌てて走り出した。
部室に残ったのは、静寂だけ。