16th 目覚めと二つ目の事件
そのまま丸ごと二日、眠ったまま方鐘は動かなかった。
「大丈夫なの?方鐘は…」
隣のプレヴェイルの問いに、月島は頭を掻いて困るしかなかった。
「わからない。高垣もずっと沈んでるし…」
「私からするとわけわからないんだからね!全く。同じ風紀委員だっていうのに置いて行っちゃうし」
「流石に緊急だったんだよ。悪かったとは思ってる」
プレヴェイルは軽く呆れた顔をしつつも許してくれた。
「それよりも問題は…」
そう言いながら目の前のドアに手をかけて開く。そこにいたのは、生徒会の全メンバーだった。
「悪いね。手伝ってもらったりして」
「いえ、大丈夫ですよ。中村先輩」
「…本当に済まない。本来なら友人のところに行きたいはずなのに、このようなことを…」
と、こちらに謝ってくるのは黒川先輩。
「構いませんって。それより、会長は?」
会長の暁明乃は、校内最強にして最も脆い存在だ。その実力は校内2位の黒川をしてもう二度と戦いたくないと言わせるほどのもので、更に過拡張能力まで保有するとんでもないスペック。しかしそのリスクは大きく、今は車イスからすら立ち上がれないほど弱っていると聞いている。けれど黒川先輩は若干嬉しそうな顔をした。
「ああ、少しだけだが良くなっている。まだ登校ができるほど平気だとは言えないが…」
「そうですか!良かった…」
「こっちはあまり良くないけどな」
中村先輩が難しい顔で書類を睨んでいた。
「そうですね。こんな短期間に二件も人身事件が起きるなんて、尋常ではないです」
同意する遠見先輩。
そう。ちょうど方鐘が病院送りになったその夕方に、今度は一人消えた。それも学校の警備員という身分が、だ。
「まさか警備員詰め所で起こるとはなぁ…」
「早急にセキュリティを見直すことが必要だな。高垣君、関連資料がそこに…と、いないのだった」
「学校で見たよ?今朝だけど」
「また方鐘のお見舞いかね。それより先輩、どこに資料が?俺たちはそのためにいるんですから、なんでも言ってください」
「ああ。わかっている。そこの右側の下から二つ目の棚にあるものを持って来てくれ」
「あいあいさーっと!」
棚に突貫をかける月島にため息をつきつつ、こちらも動きだす。
「それじゃ俺らは事件の概要を整理しとくか。水越。悪いが月島とは別に頼む。識も頼む。予言だって情報だ」
はい、という同じ言葉だが落ち着いた声と元気な声が返ってくる。それらに応えようとメモ帳に向けてペンを構えて書くと同時に話す。こうすると間違いがあった場合すぐ訂正が入るのだ。
「まず場所は警備員詰め所。次に時間は夕方頃…と。ここまでで何かあるか?」
「とりあえずないけど…時刻をもうちょっと特定できないの?夕方頃、ってだけじゃ信憑性が薄いと思うんだけど」
「確かにそうだな。よし。そこは風紀委員と共同で聞き込みだな。識は?」
ないです、との声に納得しながら次へ。
「被害者は山良望。25歳。教師と警備員を掛け持ちしている…と。現場には遺留品などはなし。第一発見者は同じ警備員の田原俊輔。なお彼自身は容疑者から外れる、と」
と、そこへ。
「どうして田原さんは容疑者から外れているのですか?」
識だ。
「田原さんの能力は、天司型で自分が虚偽と断定したものは燃える、っていう『審判の炎』って奴でな。もし彼が嘘をついた場合警備員詰め所が燃える。今回は燃えなかったから外したんだ。それに彼にはアリバイがある」
「一応聞くけど、どんな?」
解答は副会長からとんできた。
「職員の方が直前まで職員室にいたのを目撃している。なんでもテレビが見たかったとか」
「なるほど。というか、それはどうなのよ。あの部屋、モニターには不自由しないよ」
「自由にならないってことだろ。ま、二人の関係は仕事上だけだし、メリットも見当たらない。あるって言ったら、人数が減る分給料が増えるかも、ってくらいだ」
というか、と一言置いて月島が黒川に尋ねる。
「腕章、どうしたんですか?いつもつけてるのに」
「ああ、昨日ちょっとゴタゴタしてね。制服が破れてしまって付け変えようかと思ったのだが間に合わなかった」
確かに、いつも付けている腕章が無くなっていた。
「何言ってるんだ副会長。アンタの能力なら服の補修なんてお手の物だろ」
「ほとんどズタズタだったのだ。あれを修理しろというのは流石に難しい」
ちなみに全員黒川の能力は知っている。
「ふーん。まぁいいけどな」
などとやっている間に書き上がる。よし、と呟いて文面を確認。問題なし。
「んじゃ行ってくるわ。なんかあったらケータイにな」
とそこへ、月島のケータイが騒々しい着信音を鳴らし始めた。軽く謝りながら画面を見た月島が顔色を変えて慌てて通話ボタンを押す。
『方鐘恭一さんの意識が回復しました』
漏れ聞こえた声は、そう告げた。
その少し前の病院。午後の日差しを白い清潔なカーテンで透かした部屋に入ってきた人影があった。
「こんにちは〜」
引き戸を静かに閉めた彼女…高垣奏の前には、カーテンとまったく同じ白く清潔な誰も使った痕跡のない、けれど目に包帯が巻かれて点滴の針が刺さったままの少年がベッドに横たわっていた。
まだ目覚めないか、と一人ごちる。同時に、しょうがないか、とも。
「私を助けてくれたんだよね…」
あの後のことは、実はよくわからない。わかるのは、意識を失ったはずの私が覚醒したとき、口には小型の酸素ボンベがつけられていて隣には目から恐ろしいほどの血を流した彼が倒れていた。あとは月島たちと合流しただけだ。もし、あの場に他に誰かがいたとしたら、私には判断できないし、私には酸素ボンベを渡して彼には渡さず、あまつさえ目の、それも片方だけを破壊して去ったことになる。正直意味不明だ。
「だから、お願い。本当を、私に、教えて」
これまで何度もこうして、いつも反応はなかった。学校が終わるとすぐにここに来て、面会時間ギリギリまで残って待っている。つき動かすのは、自分が生き残ってしまったが故の罪悪感。
(ダメダメ。まだ死んでない!)
何度か来た医者は、脈と体温をとって異常なしと言うだけだ。容体はどうなのか尋ねても。
「身体はもうほとんど正常です。ただ問題は、眼球を失ったことによるショック症状です。それが精神に負担をかけてしまっている場合は…」
もういいです。と遮った。
「いつ起きるのかな…」
布団の中の腕を持ち上げる。内出血の紫色はすっかり消え、肌色しか残っていない。顔色も同じだ。
「どうして、私を助けたの?」
疑問の形をとっているけれど、これは罪悪感の発露だった。本来、人間には生存本能がある。限界の状況では自分の命を最大限優先する、という三大欲求にも数えられるものだ。少なくとも酸素を失い、意識が無くなっていくのは充分な生命の危機だと思う。けど今回、それをねじ曲げてまで私を助けてくれた。
(よく、あなたって人がわからない…)
今まで、彼のいろいろな面をみた。嫌いだ、と断じた全てから逃げる顔。
心理崩壊を起こし、暴走まで至った狂気の顔。
大罪を目覚めさせ、飽きたから殺すとまで言い切った冷酷な顔。
接着剤を用いて、自分から私を守ろうとした顔と同時に仕込みから始まる絡め手を使うような顔。
(どれが本当なの?)
元来、人にはいろいろな面がある。スピンオフとは、極端に言えば全てPSIだ。各々何かしら脳が進化してしまったから、こんな能力を得ている。だからこの街のような特区に押し込んで統制を量り、外に出さないようにしている面がある。
(けれど…)
それら能力は、人のココロと直結している。極端に言えば、能動的な人は身体能力強化に関係する能力を得ることが多いし、書物が好き、という人は情報系の能力を得ることが多い。密接に関係する脳と精神。それらの連結から偶発的に発生したものが、逆流能力だ。
(それなら、どんなココロから育まれたら、そんな能力になるの?)
自分のカロリーと引き換えに、物を造り出す能力。自分が壊れるほど、他の全てを破壊する能力。彼が見せた二つに共通点を見つけるなら、一つだけ。
(自分の『何か』を失うこと…)
無くすことは誰だって怖い。もちろん、彼だって例外ではないはず。なのに、得たのは極論すると使うほど死にゆく力。
「…教えてよ。どうやったら君はそこまで歪んだの?」
栄養の点滴が繋がった手を握りしめる。
「…どうして、こうなったの…!」
自然と涙がこぼれた。悲しいではなく、悔しいからだ。彼女もまた、監視監督人の権限を握る一人だから。だからこそ、悔しい。
その涙が彼の右手に一粒落ちて、跳ねる。それがきっかけになったように、掠れた、けれどこの数日で耳慣れた声がした。
「…大丈夫。全部僕のせいだから…」
「え…?」
返事が返らないはずの呟きに返るものがあったことにまず驚き、そして次にその目覚めに驚いた。
方鐘恭一が目覚めていた。
「全部僕のエゴだよ。そのためならいくらでも壊れるし、壊す。だから、気にしないで」
掠れた声のまま続く、独白。その内容に絶句するが、同時に怒りがわいた。
とりあえず。一発殴った。
「痛っ!」
その反応に満足してから、今度は馬乗りになってじっくり睨んでやる。
「な、なにさ」
ぎしぎしと軋むベッドの上で視線だけの攻防。
「聞かせて。まずあなたは誰?」
原罪に飲み込まれ、大罪に目覚めた『かたがねきょういち』か、それとも『方鐘恭一』かが知りたかった。
「何を言い出すのさ。僕は僕だよ」
「そう…なの」
安心する。暴走もしていなければ覚醒もしていないようだ。
「大丈夫…なのね?」
「さっきから何言ってるの?意味がわからない」
様子は変わっていない。もう一度安心してから、聞いてみたかったことを尋ねる。
「ねぇ…どうして私を助けたの?」
「…僕を証明したかったから」
「どういうこと?具体的に答えて」
自己完結した理論を結果だけ聞かされてもわけがわからない。頭の回転が早いのはよくわかるが他人にはある意味迷惑だ。課程無しで結果だけ出せと言われてるようなものだからだ。
「君が僕の消滅を嘆いてくれるならそれでもいいかなと思ったから、そうしたんだよ。…忘れられることが、一番怖いから」
無くした方の目を手で覆う。
「こうすれば片目分くらいは覚えて貰えると思ったから。後悔してないよ。だから、気にすることはない」
その言葉が、頭にきた。正確にはその価値観にだ。自分が何かを得るためのすべてに下敷きとしての自己犠牲がある。そんな歪さを認め、従うその価値観に。
「っいい加減にしなさいこのヘタレ!どうしてそんなに自分を傷つけようとするの!」
感情が暴発した。
「だ、だから忘れられたくないって」
「うるさい!どうしてそうなったの?自分が何か犠牲にしないとなにもしてもらえないって誰が決めたの!」
「…え?」
その言葉に返る表情は、愕然。もしくは忘我。
「あなたが片目を無くさなくても、月島や中村先輩たちが助けに来てくれてた。そこにあなたは何か犠牲にした?」
「…え、あ…」
表情が困惑へと変わった。否定する材料を探そうとしているのだろうが、そんな暇は与えない。
「じゃあ言ってあげる。あなたの父さんと母さんはあなたを助けたよね。その時あなたは何か犠牲にした?」
「だ、だってその時は僕の記憶が代わりに…」
「記憶がどうやったら命の代わりになるの?!それは事故と両親の死のショックで自分から蓋をして思い出さないようにしただけでしょう!いい加減に目を覚ましなさい!」
理解を拒否する表情が曇る。軋む理性が常識を一度崩して、もう一回作り直そうとしているのがわかる。
落ち着いて、パニックを起こさないように冷静に言う。
「…わかった?自分の作ってきたルールのおかしさが。崩してどうだった?自分の価値観は」
「あ…う、あ…」
身体が震えて、無くしていない目が大きく開く。これまでから理論的な人だとわかってるし、その根底の理論に今、最大級の綻びを自覚させた。常識を無理矢理崩壊させた。
しばらく惚けていたが、思ったより気丈な様子で頷きながらこちらに目を向けた。
「………うん。そうかもしれない。自覚した」
「自分でやっておいてなんだけど、大丈夫?かなりあぶない感じだったみたいだし」
「前は自分でやっておいてよく言うよ、とか言ったけど、今回はお礼を言うよ。他人に指摘されると嫌でも自覚させられる。ありがとう」
まっすぐにに告げられる言葉とその真剣さに、思わず赤面してしまう。それを隠そうと必死で言葉を作る。
「ひ、皮肉が言えるくらいなら大丈夫そうね。どうする?先生呼ぶ?」
「そんなことしなくてもナースコールがあるじゃないか。さっきから顔が赤いし…風邪?」
「違うよバカ!…それと、嫌いだって言ったの、撤回する」
最後は小さい声になってしまった。
「ん?何か言った?聞こえなかったけど」
「何も言ってない!」
とりあえずコイツが鈍くて助かった。ということにしておく。
その後来た医者は、ひたすら疑問符を浮かべる患者とそっぽを向いて顔を赤らめる見舞い客を見つけることになった。