13th 決着と初体験
降り下ろされる拳は、多分必殺だった。それゆえ、判断は生命の危機を回避するため高速になる。つまりは、生き残るための材料が過去の走馬灯となって流れてきた。
『固定剤と接着剤を等量交ぜたものだけどな』
『これで容赦なくやれるってもんだ!』
『鎧みたいな役割を果たしてるってわけだ』
『っう…いったいなにが…』
ヒントとなる言葉が駆け巡る。更に自分の状態と相手の情報が蘇る。
(右腕は動かない。かろうじて左腕だけ…なら!)
相手を見上げる。圧倒的優位における傲慢さが見てとれた。それと…油断も。それを見て、なすべきことは決まった。
(真っ正面からの不意打ち!)
言葉にすると若干おかしいような気もするが、気にしない。結果的にはぶっ叩いて目を覚まさせるだけだ。
(それに…守られちゃったしね。なら、私も!)
『方鐘恭一』には絶対に使わないだろうなと思っていた言葉を心に刻んで、左手に溜めた『音』を解き放った。
『方鐘きょういち』は、歓喜していた。久しぶりに対等に戦える可能性がある相手が現われたこと。そしてその敵が、いまこの瞬間まで戦意を失わず、ある種覚悟を決めた目を向けてきたことに。自分を大罪と理解してなお歯向おうとするその強靱な意思に。
(どんな覚悟を決めたのか、見せてもらうぜ!そして、楽しませてくれ!俺を!)
長年の深層心理への幽閉。
それは、暇と呼ぶにも生温くて。浮かび上がる媒体は、それぞれが司る大罪の感情を最も強く抱いた者に決定される。しかし、集合的無意識の中には当然他の人物の大罪も紛れ込む。たとえば、大事な人を事故で失って得た噴怒には、若干の悲嘆が混ざる。職場の後輩に先に出世された中間管理職の得た噴怒は、嫉妬も混ざる。けれど、方鐘恭一の持った怒りは、他に比べて遥かに純度が高かった。最初に彼からの怒りを受け取った時は、歓喜に打ち震えた。大罪となった過去の自分を鏡に映したような強烈で澱みない感情。コイツなら、俺を受け入れてくれるかもしれない。そう直感して即決した。浮かび上がってわかったが、それは記憶喪失ゆえの純粋さだった。理不尽しか知らないからこその、他の感情を知らないからこその強烈な怒りだった。
(ま、それを差し引いてもいいくらいに元と同じだったからな)
いくら今は深層心理と個人無意識を彷徨う大罪とはいえ、かつては生命を持って大地に立っていた。その頃とあまりにも似ていたのだ。『俺』はその強すぎる怒り故に、『僕』は犯罪者という身分故に友人がおらず、『俺』は両親に捨てられ、『僕』は自らその手にかけて失った。これだけでも充分だと言うのに、共通点を挙げればキリがない。
(物持ちが良かったり、なるべく人付き合いをしないようにしていたりな。必要だからしょうがないとは思うけど)
思いが駆け巡る中でも、時間は止まらない。筋肉がほとんど断裂して使い物にならなくなった腕を込めた力と体の勢い全てを使ってたたき付ける。今まで浮かび上がった奴では沸き立つ噴怒に頭が真っ赤になり、ほとんど本能だけで暴れ馬のようだったが今回は違う。
(いい感じに冷静だ…やっぱいいぜ!こいつはとんでもない逸材だ!)
後悔も後腐れもないくらいに吹っ切れている。まさにベストコンディション。
(俺、全開!)
会心、入魂、全霊。その一撃。
しかし、それが殴りつけたのは空っぽの空間。
「なんだと!」
動くのは左腕だけのはず、と思考が走った直後、決着がなぜか右側からこちらに打ち込まれる。その瞬間垣間見たのは、解答。
「左で右の鎧を砕き、自由になった右で打ち砕きにきたってのか!」
思わず叫ぶ。
(覚悟の意味はこれか!)
自分を傷つけてまでも、尚勝利を掴もうとするその意欲。他人の策すら打ち砕くその能力の強さ。更に俺と相対して恐れることのない強固さ。素晴らしい。気に入った。
「はっは!いいぜいいぜ!気に入った!いいなお前!久しぶりだ。対等にわたりあえるってのは!よし、お前は俺のライバルだ!よし決定!」
「い・や・だ。消えて!」
にべもない。
「しょうがない、か。んじゃ入れ替わり寸前の手土産だ。俺の『崩壊に至る噴怒・ブレイクアウト』、その一部だけ受け取れよ」
直後、顔の横で右手が開かれ、空気が振動という凶器を含まされて直接脳を揺らしにかかる。やっぱ能力は『音』だなと考えながらイメージするのは、何もかも崩れ去った、無限の地平を持つ砂漠。
使い物にならない手が空気を掴んだ直後、消えゆく俺には必要なくて奴に最も必要なものが周囲10m四方から原子分解されて消滅した。
「がはっ…っあ…」
相手に『音』をくらわせた。重度の脳震透を起こすように調整した音波を右手から送り込み、意識を奪う。先程は、意識を失うと人格が入れ替わりを起こした。ならばもう一度同じようにすれば、次に目覚めるのは元の人格だ。そう考えて実行した。確かに成功は、した。しかしその刹那、いきなりそれが来た。
(息っ…が…できない…!)
否、正確には吸うことはできる。けれど、どんどん苦しくなる。そこで破壊された対象に思い至った。あまりの凄まじさに唖然とした。
(酸素を崩壊させたっていうの!?)
メガネを壊しただけということだから、物体しか破壊できないと思い込んでいたのが間違いだった。
(なんにでも『噴怒』を感染させて自壊させる…むちゃくちゃ過ぎる!)
まさに大罪。そう思えるほどの凶悪さだった。
とにかくここから離れないと、と思う瞬間、目の前で倒れる方鐘が見える。
(連れて行かなきゃ…)
投げ出された手を握って引きずる。けれど、残りの酸素はあまりに少なく。
(も…駄目…)
意識が白くフェードアウトしていく。最後に見たのは、僅かに動いたような気がした方鐘だった。
(ぐっ…あ?)
目覚めてまず感じたのは、とてつもない息苦しさと。
(高垣さん!?)
気絶している高垣だった。
声は出る。空気が無いわけじゃない。けれどなんだろう。吸えば吸うほど息苦しくなる。空気に溺れる、といったらわかりやすいだろうか。更に、じわじわと頭痛もしてきた。そういえば高山病もこんな風だったな、と思い、戦慄した。
(ここら一帯から酸素が無くなってるんだ!)
確信したちょうどその時、不意に風が顔に当たる。その中なら、きちんとした呼吸ができた。とりあえず思いっきり吸う。息苦しさはだいぶ軽くなる。
(まずはここから出ないと…)
ここらには無いが、酸素は必ずある。とりあえずここを離れなければ。となると、まず高垣さんを助けなければならない。息を止めたまま駆け寄って確認すると、脈はあった。
(よし。このまま運び出せば…)
で、同時に知識と現実が噛み合わせをつけた。
(酸素不足で、しかも僕は気絶していた、つまり時間が経っている…)
無酸素状態で放置された人間はどうなるか。最悪、脳死。そこに到達する。必要なのはまずまともな酸素だ。
(でも酸素って言われても…この場にないし)
いや、あるにはあった。
(じ、人工呼吸…?)
要するに僕の中だ。
(僕にやれ、と?)
問い掛けて返る答えもなく。というかこんなことやってるうちにタイムリミットは迫っている。現在の敵は過ぎ行く時間だ。
(か、覚悟を決めるしかない…)
凄まじくみっともない覚悟だ。幸い、恋愛小説とかで描かれるようなドキドキやそういったものがあまりないのはありがたい。けど、罪悪感は残るわけで。主に女の子の初めてとかそういう意味ですごく申し訳ない。
(あーもう、何とでもなれ!)
その後のことは、心にしまっておくことにする。とても柔らかかったです。ごめんなさい。