12th 善人と罪人
赤い世界の中、彼の不在証明が続く。
「もちろん、すぐにあきらめたわけじゃない。親類、縁者、果ては五世代くらいさかのぼったけど、結局『彩』は見つからなかった」
そこまで聞いて、やっと思い至った。
「じゃ、じゃあ刑期を伸ばしていたのは…」
「そう。何でもいいから、自分を自分と肯定してくれる何かが欲しかったんだ。刑期ってのは、自分の存在が法的に認められる一番簡単な手段だったのさ」
「他に…ほかに何かなかったの?!友達とか、そういうのが?!」
そして、次の一言で全てが砕かれた。
「…犯罪者と友達になりたい人なんていると思う?」
「っ!」
言葉が停止する。声は喉を通らず、息は詰まる。
「月島は監視監督人だし、水越は月島といっしょに居たいだけ。三上は月島のルームメイトだからだし、希美部長だって僕の観察眼を買っているだけだ。友達なんて一人もいない」
「だからって…!」
少なくとも、月島と水越は友達としてみているはずだ。事件当日の昼休みだって、もしただの監視対象ならば許婚との時間を裂いてまで学食に連れて行こうとしない。『音』を応用した遠隔聴でしっかりと聞いた。けれど、心を閉ざした今の彼には届かない。孤独という密室に籠ってしまっている。
「そんなことない!だったらどうして私に捕まった時、あの二人はあなたを弁護したの?どうでもいいような人を、普通は弁護しないはず!」
「月島は監視の不行き届きから逃れるためでしょ?恋人にそういうことが起きたら困るプレヴェイルは月島を援護するのは当然。いくら今は惚れていても、元はある意味政略結婚。なにがきっかけで取り消しになるか分からないだろうし」
「だ、だからってそんな…」
完全に論を封じられた。そのうえ、相手は理性で押し込んでくる。けれどその根底にあるものは。
(感情、だよ。自分を認めて欲しいって言う)
「どうして!どうして周りを拒むの?!自分を認めて欲しいんじゃないの?!」
だから叫ぶ。頭が悪くても直感はいい。それが私の私への評価。
「手っ取り早くて確実なのは物的、法的証拠だ。信頼や友情なんて不確実で壊れやすいものよりもね!」
叫ぶ彼の顔は、死人から慟哭へと変わっていた。
泣きたい、けど泣きたくない。そんな顔をしながら理性の面が感情を否定する言葉を紡ぐ。
「誰から生まれたかもわからず、唯一の手掛かりは僕の忌わしくて向き合いたくない怒りを閉じ込める『箱』だった!もうどうしようもないくらい孤独なんだよ僕は!」
激情さえも理性に阻まれ、押し殺した叫びを溢れさせるだけ。13年間分の繕ってきたものは、城壁のように堅い。先程のように暴走でもしなければこぼれることすら許さない。
「正直なところ、僕はあなたがうらやましいよ。僕とは逆で、感情を素直に出せて、僕とは逆で、普通より強い力を持って、僕とは逆で、生徒会に入れるほどの人望があって。まるで真逆だよ。だから、だからこそ…」
そこで言葉を切る。慟哭は瞳の奥に繕われ押し込まれ、城壁という理性で蓋をされていて、外側から伺い知ることはできない。
「憎い、よ。ひたすらに憎い。理不尽だって叫ぶことすらできないからなおさらに。だってそう思ったら、『俺』が暴れるから。けれど、不平不満は消えないし尽きない。自分に足りないものを全部持っている君を見てると自分がどこまで惨めかよくわかるし、苦しい。辛い」
そして急に、何かに耐えるように声が震えだす。
「今だってこの理不尽に対して怒りが込み上げるし、それを引き受けている『俺』が出せと頭の中でわめいてる。だから、これは『僕』としてのお願い。帰らせて。僕をこれ以上、殺さないで」
血を吐くような呟き。けれど私にできることは何もなくて、ただ見ているだけしかできない。
「やっぱり、ダメなんだね…」
そう、あきらめた声で呟いた。直後、
「あ、もうダメ」
あまりにもあっけなく。
ブツリ。
入れ替わる時の音。人格のチャンネルが切り替わる、鈍い音。そして表出するのは、不完全燃焼だった爆弾。
「ハッハァ!やっとおとなしくなりやがったな!これで容赦なくやれるってもんだ!」
表の噴怒を食らって糧とするもう一人の方鐘だった。すでにその目は先程押さえつけていた怒りを顕にして輝いている。
「さて、と。さっきはよくもいい一撃をくれたな。全力で返してやるよ。後悔したって遅いぜ?んじゃまずは一発目。これくらい平気だよな?」
大きく右手を振り上げなんの工夫もためらいもなく落とす。それだけのことだ。スキが大きく、すぐにかわして左手で今までの声を全て溜め込んだ最大威力を叩きこもうとして、
(えっ…?体…が…)
一切動かない。けれど、相手の拳にストップはかからずに伸びてくる。
鈍い音とともに、重い衝撃が肩にかかった。
「ぐっ…!」
よく見ると、それは拳ではなく銃のグリップ部分を使った打撃だった。当たり前だが、手より金属のほうが痛い。幸い、血こそ出ていないが肩口は熱を持って痛みを伝えてくる。
「どうした?躱さないのかぁ?」
こちらを馬鹿にしたような声をあげてもう一度同じ箇所に打撃。さらに反対側にも。痛みが重なって体の芯に響く。
(くあっ…ぐう…!)
身体が壊れることを厭わない力は、薄い鉄板くらいは貫き通すという。そんな力を肩に次々と打ち付けられる。肩が壊れないのが不思議なくらいだ。
両肩に三発ほど受けたところで、やっと打撃が止んだ。
「い、痛…」
思わず漏れた言葉を、方鐘がせせら笑う。
「は?何言ってやがる。その程度で痛い?ハハッ、結果とはいえ人の人格一つ殺そうとしてたってのに、これくらいで悲鳴をあげるか!アホらしい。体の痛みは限度があるがな、心や精神に痛みの限度はないんだよ。それこそ、心無いたった一言がきっかけで自殺した、なんてよくあるだろうが。それと同じようなことを殺す寸前までやっといて泣き言か。マジで死ね」
怒りの質がさらに深化する。自壊すらいとわない体が筋肉を膨れ上がらせてまさに渾身を体現する。元から内出血で紫色に腫れ上がっていた腕は、酷使に断裂音の悲鳴をあげて黒変する。自分すら壊す溢れ返る噴怒が、それも構わず他人にその矛先を突き付ける。
「ついでに答え合わせだ。お前が動けない理由を教えてやるよ」
反射的に叫んでいた。
「じゃあどういうことなの!これがアンタの力じゃないなら、一体なんなの!」
方鐘恭一の力は、鏡を中継としたイメージの現実化だ。考える可能性は、作成物を使った拘束。けれど、そんな拘束具を使われた覚えはない。使われたのは、銃と謎の粘液…
(まさか!)
「さっきの液体の正体は…接着剤!?」
「正解。正確には遅効性の固定剤に接着剤を等量交ぜたものだけどな。固まるのが遅い代わりに固まったら相当な硬度を誇るぜ。さっきまでの『僕』の自分語りは時間稼ぎもかねてたって訳だ。ついでに言っておくと」
途端、左手の銃が発砲する。こちらに向いたそれは軽すぎる音をたてて煙を吐くが、
「なんともない…?」
足元を見ると、そこにあるのはBB弾。
「これも張りぼて。あんなこと言ってたが『僕』にはあんたに一切危害を加えようとしてないんだよな。まったく、さすが『怒り』をほとんど失った『僕』らしいぜ。なるべくお前含む他人に迷惑かけないようにしてやがった。お人好しってのはこのことだな。まさに」
あまりに作りこまれた手法と、見事に実現させた策士具合に唖然としている自分を置き去りにして、答え合わせは続いていく。
「もうわかってると思うが、お前の肩がこれだけ殴って壊れてないのもそれのおかげな。固まった接着剤が鎧みたいな役割を果たしてる。自分を傷つける人すら守ろうとするなんてな…やっぱ馬鹿だよ。『僕』は」
最後は哀れむように呟いて、感情の面は凶暴性をもう一度私に向けてくる。
「まぁ、そのおかげで俺はお前をこうやって叩くことができるんだけどな。まったく、何がどう働くかわかったもんじゃない。それでこそまた現世に戻ってきた価値があるってもんだが」
「現世に戻る…?どういうこと…?」
耳慣れない単語の意味を問い掛ける。まるで方鐘を借りて蘇ったようなその言い方にも。すると相手は限り無く意外そうな顔をする。そんなことも知らないのか、という顔で。
「…知らずに俺とやりあってたってのか?とんでもない奴だな…。まぁいいか。冥土の土産って奴だ、教えてやるよ。」
そこで、まるでこちらに刻みこむように間を明けて言った。
「俺は『僕』の中の『怒り』を媒介に、深層心理から浮かび上がった人の逃れられない原罪、最も許されない人間の持つ『七つの大罪』の一つ、怒りを司る罪の原型『噴怒・オルジィ』。ユニコーンの守護を得て怒りを糧に全てを破壊し自壊し続ける罪人だ」
掲げた右手にさらに力をこめて続ける。
「ゆえに俺の能力は絶対の破壊をもたらす『崩壊に至る噴怒・ブレイクアウト』。自壊と引き換えに触れたもの全てを破壊する原罪への大罰だ。『度を越した怒りは自らを滅ぼす』っていう教唆の能力でもあるが…。ま、関係ないな。無駄口はここまで。言っとくが、『崩壊に至る噴怒』は使ってやらないからな。苦しんで死ね。別にいいだろ?せーとーぼーえーって奴だ。ちょっと過剰かもしれんけどな」
そして、鉄の拳が振り降ろされた。