episode.91 ミンカフェ
私はエトーリアと二人、街へ出掛けることにした。
母娘での外出。
何だか新鮮な気分だ。
頬を撫でる風も、晴れ渡った青空も、今はなぜか新しいもののように感じられる。
思えば、エトーリアと二人で出掛けた記憶はあまりない。それだけに、最初は緊張していた。が、徐々に慣れてきて。時間が経つにつれ、ドキドキはワクワクへと変化していった。
ただ、少し疑問に思う部分はある。
それは、なぜ歩きなのだろう、ということだ。
「ねぇ母さん」
「何?」
エトーリアは横顔さえも整っている。
実際には母娘だというのに、並んで歩いていたら姉妹だと思われてしまいそう。
「どうして今日は歩きなの?」
「それはね。ただ、一緒に歩きたかったからよ」
「えっ……」
想定外の理由に、思わず低い声を漏らしてしまった。
「それだけの理由で?」
「えぇ、そうよ」
「馬車で良かったのに……」
「それもそうね。けど、自然を感じながら歩むというのも、たまには良いと思うわよ」
否定はしないけれども、敢えてしんどいことをする意味が理解できない。
「……それに」
「それに?」
「歩くのも鍛練になるんじゃない!」
エトーリアが発した言葉を聞いた時、私はハッとさせられた。ただ歩くこと、それすらも体力を強化するために役立つのだと、彼女の発言によって気がついたからだ。
「た、確かに……」
「だから歩くのよ」
「それはそうね! 頑張るわ!」
私は気を引き締め、前を向いて歩く。
これも体力強化のための一つの訓練なのだと、そう理解して。
クレアに到着した時、私は既に疲れ果てていた。肌は汗でびっしょり濡れているし、膝が微妙に軋む。しかも息は乱れてしまっていて、もはや、普通に歩くことさえままならない。
そんな私へ、平然としているエトーリアが声をかけてくる。
「大丈夫? エアリ」
エトーリアも私と同じだけ歩いたはずなのに、彼女はちっとも疲れていない。
「……母さん、どうして……平気なの……」
呼吸が乱れているせいで、上手く話せない。
「エアリこそ、このくらいで呼吸を乱しているようじゃ戦えないんじゃない?」
「確かに……けど、歩き続けるなんて……」
「技も大切、でも、基礎体力も大切でしょ?」
母親だからだろうか、エトーリアは妙に厳しい。
「そ、そうね……」
「じゃあひとまず、どこかお店に入りましょうか」
「それがいいわ……疲れた……」
その後、私は、エトーリアが好きだというカフェに入った。
そこは、外観からしていかにもおしゃれそうな、民家風カフェだった。外壁は一面赤いレンガ。入り口の脇には花の植わった植木鉢。そして、扉に掛かったベージュのプレートには、おしゃれな字体で『ミンカフェ』と刻み込まれている。
それから中へ入り分かったのは、おしゃれなのは外観だけではなかったのだということ。
石畳風の床と壁に、植物風のデザインが施されたテーブルと椅子。奇抜過ぎず、しかし特別感はある内装が、温かくも非日常的な空気を醸し出している。
私とエトーリアは、隅の二人席に座った。そして、エトーリアがいつも頼むというアイスティーを、二つ注文した。
「何だかおしゃれな雰囲気の店ね、母さん」
向かいの席に座るエトーリアは美しい。目鼻立ちはもちろんのこと、絹のような金の髪が神々しくて、直視できない。
「でしょ。こっちへ来て最初にお世話になったお店なの」
「勤めていた、ということ?」
「えぇ、そうよ。……と言っても、本当に短い期間だけだったけれどね」
エトーリアがカフェで働いているところを想像したら、何だか笑えてしまった。
「あの人とは、その時ここで出会ったの」
遠い目をして述べるエトーリア。
「え、そうなの!? あの人って、父さん!?」
つい大きな声を出してしまった。
カフェ内の他の客から視線を浴びてしまい、大きな声を出してしまったことを後悔する。
「そう。観光に来ていたあの人がたまたまこのお店へ来て、そこで知り合いになったの」
「へぇ」
「その頃はわたしもまだ女の子だったから、大人びた容姿の彼に憧れたわ」
「凄い、何だか青春って感じ」
私には縁のない話だ。
でも、嫌いではない。
運命に導かれるようにして巡り合った異界の二人。
そういうロマンチックな話も、なかなか悪くはないと思う。
「けど、意外と年が近かったのよね。彼の年齢を知った時は、びっくりしたわ」
楽しいことを思い出したのか、エトーリアは、ふふふ、と笑う。少女のような、可愛らしい笑い方だ。
「これは後から知ったことだけど……ホワイトスターの人間とこの世界の人間では、加齢による容姿の変化のスピードが少し違っているみたいね。まぁ……ホワイトスターの人間といっても一様ではなくて、差はあるのだけれど」
エトーリアはさらりと述べた。だがそれは、私にはすぐには理解できない内容で。暫し、言葉を失ってしまった。何と言葉を返せば良いのか分からなかったのだ。
「びっくりした、って顔ね」
分かりやすい顔をしてしまっていたらしく、見事に当てられてしまった。
「びっくりしたわよ」
「やっぱりね。エアリ、分かりやすいわ」
ふふ、と笑いつつ、エトーリアはアイスティーを飲む。ストローを加える仕草が可愛らしい。
「ということは……リゴールも案外年をとっているのかしら……?」
恐る恐る言うと、エトーリアは笑顔で返してくる。
「そうね。少なくとも、エアリよりは年上なはずよ」
「本当に!?」
信じられない。
年が近そうだなくらいには思っていたが、まさか彼の方が年上だなんて。
「だって、わたしがこちらへ来る前にはもう生まれていらっしゃったもの」
「た、確かに……」
衝撃のあまり、くらくらしてきた。私は何とか落ち着きを取り戻そうと、ストローに唇をつけ、アイスティーを飲む。優しげな芳香が漂い、淡い甘みが広がり、ほんの少しだけながら心を落ち着かせてくれる。
これは何げにかなり美味しいアイスティーだ。
「まぁ、けど、今のエアリたちには年齢なんて関係ないものね?」
「え」
「そんなことでどうこうなるような柔な関係ではないでしょ?」
「え、えぇ。それはそうね」
エトーリアの言う通りだ。
リゴールが何歳かなんて、関係ない。
彼とは、年下だからとか、年上だからとか、そんなことは気にならないような関係を築けているはず。
 




