episode.90 所詮、それは善意の押し付け
のんびりした空気が流れる昼下がり。私は数日ぶりにデスタンの部屋へ行った。
「お邪魔しまーす」
室内には、バッサではない使用人の女性。凄く不機嫌そうな顔をしながら、部屋の隅に控えている。
怖くて話しかけられなかった。
だから私は、彼女を飛ばして、デスタン本人に話しかける。
「デスタンさん、調子はどう?」
「元気ですが。何をしに来たのですか」
うつ伏せでベッドに寝かされているデスタンは、冷たい声で返してくる。
使用人の女性はかなり不機嫌そうだったが、デスタンも機嫌良くはないようだ。彼もまた、ぴりぴりした空気を漂わせている。
「退屈じゃない?」
「もちろん退屈ですよ」
デスタンは顔をしかめながら言った。
「何か欲しい物とかある?」
「ありません」
「そうなの?」
「貰ったところで、使えませんから」
返ってきた言葉を聞き、私は何も言えなくなってしまった。
彼がおかれている状況を、いかに、よく考えていなかったか。気遣いが足りていなかった、と、軽率な発言をしてしまったことを後悔した。
真に彼のことを思っているのなら、彼の状態を考慮して物を言うべきだったのだ。
「……そう、よね。ごめんなさい。配慮が足りなかったわ」
「いえ」
痛いほどの沈黙が訪れる。
彼は黙ってしまった。私には自ら話し出す勇気がなかった。
結局、沈黙から逃れる術はない。
「それで。用は終わりですか」
沈黙を破ったのは、デスタン。
まだ何も話せていないから、私は思いきって話を振ってみる。
「……リゴールとは? 最近会っていないの?」
デスタンはすぐには答えなかった。
が、十秒ほどの沈黙の後、口を開く。
「はい。あの日以来会っていません」
「……会いたくは、ないの?」
「いえ、私は会いたいです。しかし王子はそれを望んでいません」
淡々と述べるデスタンは無表情。死んだような顔つきだ。
「無理強いをさせようとは思いません」
「……それでいいの?」
「貴女には関係のないこと。放っておいて下さい」
近寄りがたい空気を漂わせるデスタンに、私は歩み寄る。そして、ベッドの脇に座った。嫌みの一つでも言われるかと思ったが、デスタンは何も言わなかった。
「放ってなんておけないわ。だってこんなの、貴方があまりに可哀想だもの」
そう発すると、デスタンは獣のように鋭く睨んでくる。
「同情は要らぬと言ったはずです」
彼の口から出るのは、突き放すような冷ややかな文章。
「可哀想なんて言い方が悪かったのね。ごめんなさい、それは謝るわ。……でも私、貴方をこのまま放っておくことはできない」
デスタンは、昔からの知り合いというわけではないけれど、昨日知り合ったばかりというわけでもない。しばらく共に暮らした人を、放置することなんてできない。たとえ本人がそれを望んだとしても、私の心はそれを選べないのだ。
「待っていて。今リゴールを呼んでくるわ。それから、ゆっくり話しましょう」
「余計なお世話です」
「そんなことを言わないで。リゴールだって貴方を嫌っているわけじゃないし、きちんと話せば、きっと……」
言いかけて、口を閉ざす。
驚くほど冷たい視線を向けられていることに気づいたから。
「……ごめんなさい。迷惑よね、こんなこと」
悪気はなかった。
でも、私が頑張ろうとしていたのは、間違った方向性で。
それは結局、デスタンが求めていないものだったのだ。
彼自身が求めていないことをするのは、善意の押し付けに過ぎない。そんな行為に意味なんてないのだ。そんなものは私の自己満足で、彼からすれば、迷惑以外の何物でもないだろう。
「今日のところは帰るわ。でもねデスタンさん。もし何か、欲しい物とかしてほしいことがあったら……遠慮せずに言って」
気まずさに耐えきれず、私は部屋から出てしまった。
そうしてデスタンの部屋から出ると——目の前にリゴールの姿があった。
茶色い液体が注がれた透明なグラス、それが二つ乗った木製の盆を、慣れない手つきで持っている。
「あ。リゴール」
「デスタンの部屋へ行かれていたのですか? エアリ」
「えぇ、少し話をしていたの」
するとリゴールは「ちょうど良かったです」などと言い出す。何かと思っていたら、数秒空けて彼は言ってくる。
「デスタンの顔を見に行こうと……わたくしもそう思っていたところで」
「そうだったの!」
嬉しかった。
よく分からないが、とても。
「なので、お茶を持ってきてみたのです」
「いいわね」
「しかし、その……あのようなままで終わっているので、少し、入る勇気がなくて……」
そう言って、リゴールは苦笑する。
「デスタンさん、待っているわ」
「え?」
「会いたいって言っていたから」
直後、リゴールの顔つきがパアッと明るくなる。
顔全体が緩み、瞳は輝いている。
「本当ですか!」
「えぇ、嘘はつかないわ」
「で、では、頑張ってみます! ありがとうございます!」
リゴールは、顔面に喜びの色を滲ませながら、数回軽く頭を下げる。それからデスタンの部屋の扉についたノブへ、手を掛ける。そうして、リゴールはゆっくり、部屋の中へと入っていった。
上手くいくと良いわね。
私は心の中でそんな風に呟く。
自室へ戻るべく廊下を歩いていると、エトーリアに遭遇する。
「母さん!」
「あら、エアリ」
エトーリアは今日も若々しい。私のような大きな娘がいる年齢だとはとても思えないような容姿だ。
「母さん、今日は仕事じゃないの?」
「違うわよ」
私の問いに、エトーリアは柔らかな笑顔で答えた。
「お出掛けでもする?」
「……うーん」
すぐには答えられない。
鍛練もしなくてはならないからだ。
「何か問題が?」
「剣の練習しなくちゃならないのよ」
「そういうこと。でも、息抜きは必要ではないかしら」
エトーリアは私の手をそっと掴む。
「買い物でも行きましょ、エアリ」
どうやら、エトーリアは出掛けたくて仕方がないようだ。
そういうことなら、断る理由はない。私とて、外出したくないわけではないし。




