episode.8 村の食堂
それから私とリゴールは、村の中心部辺りにある食堂へと向かった。
食堂は、この村の中で唯一、騒々しさのある場所だ。
昼間も、多くの村人が、食事をしにやって来る。が、特に夜は、酒を飲む男性客で溢れている。食堂という名称だが、夜間は色々な意味で危険なので、私などは入れたためしがない。
「ホワイトスターの人たちって、どんなものを食べているの?」
食堂へ向かう途中、私は唐突に尋ねた。
というのも。
わりとたくさんのメニューがある食堂だが、もし彼が食べられるものがなかったら大変だと、そう思ったからである。
「パンを食べる?」
「はい。食べます」
良かった。取り敢えず、パンは食べられるようだ。
「他には? 山菜とか干したお肉とかも食べる?」
「お肉は時折。山菜というのは……正直よく分かりません」
「じゃあ、野菜全般は?」
「野菜? はい。食べたことはあります」
食べ物について話しながら歩いている二人組なんて、端から見たら少しばかり不思議な人たちかもしれない。
「どんな野菜を食べた?」
「えぇと……。確か、緑色の葉っぱ状のものです」
しまった。
緑色の葉っぱ状の野菜なんて、色々ありすぎて特定できない。
「他には?」
取り敢えず、話を進めよう。
「他ですか。えぇと……赤い球体のものなども見たことがあります」
「あ。トマト?」
「そういった名称なのですか」
「えぇ! きっとそうだわ!」
もし違ったら、どうしよう。
そんなたわいない話をしながら、私とリゴールは食堂を目指す。
「いらっしゃーい! ……って、あれ? エアリちゃんじゃない」
リゴールと共に食堂へ入った私を温かく迎えてくれたのは、四十代半ばの女性。この食堂を切り盛りしている店主だ。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞー……って、ええっ!? エアリちゃんが彼氏連れっ!?」
リゴールの姿を見た店主の女性は、目を白黒させながら叫んでいた。
……そんなに驚かなくても。
「違いますよ。知り合いです」
「あら、そうだったの?」
「はい。先日知り合ったばかりの方で」
言って、改めて「本当に知り合ったばかりだなぁ」などと思う。
色々あったせいか、感覚的には先日知り合ったばかりとは思えないのだが、実際には知り合ったばかりなのである。
「そっかぁ。でも、いいわよね。こんな狭い村じゃ、若い知り合いなんて滅多にできないだろうし」
温かく迎えてくれた女性は、そう言って笑った。
女性と向かい合うような位置にあるカウンター席の端に、リゴールと座る。一番端がリゴール、その横が私。少し狭いけれど、やはり端の方が落ち着く。
「それでエアリちゃん、何を食べていってくれるのかしら?」
女性の問いに、私はすぐに「山菜オムレツで!」と答える。そんな私を見て、隣の席のリゴールは驚いた顔をしていた。
「リゴールはどうする?」
「え……」
「ここの山菜オムレツ、とっても美味しいの! 私はそれにすることが多いんだけど、リゴールもそれにする?」
山菜オムレツはこの食堂の名物。ふかふかとシャキシャキ、歯触りの差が楽しいオムレツだ。卵だけのオムレツも美味しいけれど、この食堂の山菜が入ったオムレツはもっと美味しい。
「い、いえ……わたくしは結構です」
「え。どうして?」
「その、わたくしは……この世界のお金を持っていませんので」
私とリゴールの会話を、女性はにこにこしながら聞いていた。聞かれていると思うと、若干恥ずかしさがある。
「いいわよ、そんなの。私が払うわ」
幸い、いつも買い物へ行く時に持っていく手提げは持っている。財布はその中にあるから、お金がまったくないことはない。
「いえ、そんなに甘えるわけには……」
「じゃあ、さっき助けてもらったお礼ね!」
遠慮されてばかりだと、話がいつまでも進まない。だから私は、半ば強制的に進めることにした。
「山菜オムレツ、もう一つ!」
私は勝手に注文する。
すぐ隣のリゴールは焦っているような顔をしていたが、敢えて気にすることなく話を進めた。
「あの、本当に良いのですか……?」
「いいのよ。気にしないで」
「お世話になってばかりで……申し訳ありません」
待つことしばらく、山菜オムレツが私たち二人の前へ置かれた。
木でできた皿の上に、ふんわりとしたオムレツが乗っている。全体的には黄色いが、ところどころ緑色の部分があって、山菜が入っていることが一目見て分かる。
「さ、食べましょ」
私はリゴールへ視線を向けた。しかし彼は、私の視線にまったく気づいておらず、目の前のオムレツを凝視している。しかも、湯気が顔にかかるくらいの近づきぶりだ。
あまりにも凝視しているものだから、何だかおかしくなってきて、つい笑みをこぼしてしまう。
「ふふっ。夢中ね」
すると、リゴールの視線が急にこちらへ向いた。
「も、申し訳ありません! つい!」
「珍しい?」
「はい。この世界では、料理が温かいうちに出されるのですね」
……そんなところ?
今ここで作られたオムレツなのだから、特別事情がない限りは温かいうちに出されるものだと思うのだが。
「ホワイトスターでは温かいものは食べないの?」
「はい。大抵ぬるいです」
正直、驚いた。
意図的に冷たくしているものや、常温のパンなどはあるにせよ、大体の料理は温かいうちに食べるものだと思っていたからである。
ホワイトスターの食生活、なかなか謎だ。
「えぇっ。いまいち美味しくなくない?」
「そうでしょうか。幼い頃からそうでしたから、特に美味しくないと感じたことはありません」
慣れれば平気なのだろうか。
「そう……ちょっと意外。リゴールは王子様だし、出来たての良いものを食べているのだと思っていたわ」
王子様だから、なんていうのは、結局、私の中の勝手なイメージだったのかもしれない。
「ホワイトスターにいた頃も、民からはよく言われました」
「けど実際にはそんなことはない、って?」
「はい。貧しい暮らしをしていたと言えば嘘にはなりますが、贅沢暮らしというほどではありませんでした」
リゴールは苦笑する。
彼の表情は妙に大人びて見えて、「いろんな苦労をしてきたのかな」なんて想像してしまう。
「そうだったのね。勝手なイメージで物を言って、ごめんなさい」
「いえ。お気になさらず」
それから私たちは、山菜オムレツを食べた。
しんなりした葉、噛みごたえが残っている茎、そしてふんわりした卵。いつもとまったく変わらない、見事なコラボレーションだ。
「味はどう?」
ふと思いつき、尋ねながら隣へ目を向ける。
——そして、驚いた。
「えっ! も、もう食べたの!?」
リゴールの皿の上には、何もない。
欠片さえ、存在していなかった。
「え? はい。美味しくいただきました。その、問題がありましたでしょうか……」
「い、いえ。何も」
リゴールが不安げな顔つきをすると胸が痛むので、私はすぐに首を左右へ動かした。
するとリゴールは安堵の溜め息を漏らす。
「ところで。山菜オムレツ、気に入ってもらえた?」
「はい! 美味しかったです」
他の世界から来た人が相手だけに、気に入ってもらえるかどうか不安もあった。たとえ私が美味しいと思っている料理であっても、彼の口には合わないという可能性もゼロではない。だからこそ、「美味しかった」と言ってもらえた喜びは大きい。
「なら良かったわ」
「地上界にも、美味しいものはたくさんあるようですね」
「そうよ! ……って言ってもまぁ、そんなに色々はないけどね」
「なるほど。勉強になります」
そんな風にのんびり話していた時、突如、食堂の入り口が勢いよく開いた。