episode.74 気づけば私は
「そうね……私は、リョウカに話を聞いたりしたわ」
リョウカのこれまでの人生について、である。
「お話を?」
軽く首を傾げつつ言うリゴール。
「そうなの。生まれ育ってきた時のこととかを聞いたの」
「なるほど。それは少し気になります」
「良かったら話すわ」
私がそう言うと、リゴールは目を大きく開き驚いたような顔をする。硝子玉のように美しい青の瞳は、微かに揺れていた。
「良いの、ですか……?」
「隠す気はないって言ってたわよ」
「なんと。そうなのですか。では……」
それから私は、リゴールに、リョウカから聞いた彼女の人生の話をした。
ここより遥か東にある小さな島国で生まれたこと。幼い頃から気が強く、男の子の中に入って遊び回っていたこと。そして、剣——その島国では刀というらしいが、それを十歳にも満たないうちに手に取ったこと。
どれも、私からすれば想像できないことだ。
私は、もし周囲に同年代の男の子がいたとしても、そこに入って遊ぶことはしなかっただろう。
それに、十歳になるより早く武器を取るなんてことも、考えられない。
……いや。
武器を取る、ということ自体、普通は起こり得ないことだ。
私も今でこそ少しは武器を握ることもあるが、それはリゴールと出会ったから。もしその出会いがなかったとしたら、私は今でも、武器を握ることはなかっただろう。
「そこまで幼い者が武器を取る世界とは……きっとなかなか凄まじい世なのでしょうね」
私の話を聞いたリゴールは、静かにそう言った。
妙に深刻な顔をしている。
こちらとしては、深刻な感じで話したつもりはないのだが。
「地上界にも、穏やかなところとそうでないところがあるのですね」
「かもしれないわね」
私たちは、それからもしばらく、色々なことを話した。そして、話し足りたと感じた後、別れた。
◆
その晩、気づけば私は、またあの場所にいた。
——そう、前にも夢にみた白い石畳の場所である。
前の時は気づかなかった。ここが夢の中だなんて。
けれど、今回は気づいた。
なぜなら、リゴールの姿が見えたから。そして、そのリゴールが、私の知らない人と話していたから。
深刻な顔のリゴールに向かうのは、縦向けた槍を勇ましく握る男性。読み物に出てくる騎士のような出で立ちで、ある程度年をとっていそうな容姿だ。見た感じ、四十代後半くらいだろうか。
そんな二人を、私は白いアーチの陰から見つめている。
「王妃様……賊の……により……して」
「そう、ですか……」
今の私の行動。
完全に覗き見である。
「申し訳ございません!」
騎士のような出で立ちの男性は、リゴールに向かって頭を下げる。他の文章は半分ほどしか聞こえなかったが、今の謝罪だけはすべてはっきりと聞こえた。
「……下さい。貴方に罪は……どうか……さい」
男性の謝罪に、リゴールは何やら返していた。
もっとも、きちんとは聞き取れなかったけれど。
——刹那。
彼ら二人が立っている近くの空間が、ぐにゃり、と、ほんの僅かに歪んだ。
気づいた直後は自分が目眩でも起こしたのかと思った。しかし、数秒経っても歪みが消えることはなく。本格的に「目眩ではない」と感じてきた頃、その歪みから『何か』が現れた。
リゴールといた男性は、その『何か』の出現に素早く気づく。そして、叫ぶ。
「お下がり下さい! リゴール王子!」
先ほどの謝罪の時といい、今といい、男性の声がきちんと私の耳まで届くのは、叫んだ時のみである。
男性は一歩前へ。
リゴールはその背後につく。
「んふふ……」
空間の歪みから生まれた『何か』は、人の形をしたもの——女性だった。
真っ直ぐ伸びる唐紅の髪は肩まで。また、前髪の一部、一房だけは黒。明けない夜のように、深く、沈み込みそうな漆黒。また、目鼻立ちははっきりとしていて、赤く染めた薄い唇が女性らしさを漂わせている。そして、肉付きのいい体もまた、彼女の女性としての魅力を高めているように感じられた。
登場の仕方はかなり怪しい。
が、街を歩けば男たちが振り返りそうな色気——それは、尊敬に値すると言っても過言ではないような、見事なものである。
少なくとも、私には到底真似できそうにない。
「部下の出来が悪いから、自ら来ちゃったわ……うふふ……」
発言が怪しい。
上手く言葉にできないが、とにかく怪しい。
だが、わりと声が大きいのか、彼女の声は私の耳まできちんと届いてくる。
もっとも、すべて聞こえたところで嬉しくなどないけれど。
「何者!」
騎士のような出で立ちの男性は、リゴールを庇うように立ちながら、槍の先を女性へ向ける。
「んふふ……ヒ・ミ・ツ……」
女性は、ぴんと立てた人差し指を唇にそっと添え、わざとらしく色気のある笑い方をする。それから、少し空けて、赤い唇を何やら動かす。するとその数秒後、彼女の手元に一本の鎌が現れた。
「さぁ、その王子を渡してもらおうかしら……?」
「断る!」
きっぱり断ったのは、槍を構える騎士のような身形の男性。
「あらそう……なら仕方ないわね」
——次の瞬間。
女性は長さのある柄の鎌で、男性に襲いかかった。
だが、そう易々とやられる男性ではない。女性の鎌を、槍の柄でしっかりと受け止めていたのだ。
今の女性の攻撃速度に反応できるとは、男性もなかなかの手練れである。
だが、それで終わりではなかった。
女性は、目にも留まらぬ速さで鎌を回転させながら男性から一瞬離れ、そこからもう一度、鎌を大きく振る。
槍を乱雑に振り、鎌の先を弾く男性。
——しかし。
直後、男性の脇腹に鎌が直撃した。
「ぐ、はっ……」
弾かれはしたものの、女性は諦めていなかったのだ。素早く体勢を立て直し、さらに鎌を振ったのだろう。そして、それが命中した。
男性は紅の花を咲かせ、地面に倒れ込む。その様を間近で見ていたリゴールは、愕然としている。
「んふふ……おし、まい」
倒れた男性から体を震わせるリゴールへと、女性は視線を移す。
「さ、次はそっち……安心なさいな、苦しませたりしないから……」
「来ないで下さい!」
「んふふ……残念ながらそれは無理なの」
禍々しい鎌を握ったまま、女性はゆっくりとリゴールへ歩み寄る。二人の距離はみるみる縮まり、あっという間に、数メートルほどしか離れていないという状況になってしまう。
「こっ、来ないで下さい!」
「いいえ。死はすべての者に平等に訪れるもの」
「何を言い出すのです……!」
「安心なさいな、死は唯一の救済よ」
不気味な笑みを浮かべながら女性が述べる言葉。そこには妙な説得力があり、普通真理とはほど遠いと思うようなことを真理であると感じさせる、そんな不思議な魔力があった。
「んふふ……」
女性が鎌を振り上げた——刹那、リゴールは駆け出した。
つまり、逃げたのである。
 




