episode.6 湖の畔で
湖の畔。
私はリゴールと、ベンチに腰掛けて言葉を交わす。
「ねぇ、リゴール。そのホワイトスターってところ、どんな世界なの?」
「ホワイトスターですか?」
「もし良かったら、聞かせてくれない?」
私がそう言うと、彼は数秒空けてからこくりと頷いた。
「ホワイトスターはですね、魔法の園とも呼ばれていまして。遠い昔、魔法を使うことができた一族が移り住んだことが始まりだと言われています」
リゴールはベンチに浅く腰掛けたまま、高い空を見上げている。一つの雲もない、澄んだ空を。
「何だかファンタジーね」
「そうですか?」
「えぇ、不思議な感じよ。でも……」
小さい頃は、いつか見たことのない世界へ行くことに憧れていた。人並みに夢をみたことだってある。
でも、年をとるにつれて、そんな思いは消えて。
まだ幼かった頃にみていた夢なんて、すっかり忘れてしまっていた。断片すら、頭から消えていた。
だが、リゴールの話を聞いていたら、昔の記憶が蘇ってきて。
「私もいつか行ってみたいわ」
今はまだ知らない場所。
見たことのない世界。
そんなところへ出掛けるという、もうとっくに失われてしまっていた夢。彼といると、それを、ほんの少し取り戻せたような気がする。
「ところで、リゴールは王子なの?」
ぱたりと話を変える。
急に話を変えるのは問題かもしれない、と、思わないことはないのだが。無関係な話ではないからいいだろう、と考えた結果の行動である。
「えっ!?」
嘘がばれた子どものように顔を強張らせ、肩を上下させるリゴール。
「な、ななななななぜ!?」
リゴールは大慌てで後退り、近くの木に隠れる。
その様はまるで、肉食動物に見つからないように潜む草食動物のよう。
「え……」
「い、いいいいいつそのようなことをっ!?」
木の幹の陰に隠れながら、リゴールは言う。
口調から察するに、慌てるあまり混乱しているようだ。
「わたくし、そのようなことを申し上げましたか!? い、いつ!? 記憶がない! どこでです!?」
まさかこんなに大慌てになるとは。
「待って。落ち着いて、リゴール」
「し、ししししかしっ……!」
「貴方が言ったわけじゃないから、落ち着いて」
するとリゴールは、きょとんとした顔をして、「え、あ……」などと漏らしていた。それに加えて、ふぅと息を吐き出している。恐らく、安堵の溜め息なのだろう。ようやく落ち着きを取り戻してきたようである。
「しかし……ではなぜ?」
「あの襲ってきた人が、リゴールのことを王子と呼んでいたからよ」
それを聞いたリゴールは、「な、なるほど……」と言いつつ地面にへたり込んだ。
大慌てした疲れに襲われているものと思われる。
「リゴールは王子様なの?」
湖の畔は静かだ。今は私とリゴールしかいないし、そもそも、普段だってここには誰も来ないのだ。だから、ここは、こういった個人的な話をするのにもってこいの場所だと思う。
「……はい」
私の問いに、リゴールは小さく答えた。
「ホワイトスターの王子様?」
「……仰る通りです」
彼は地面にへたり込んだまま、顔を少し下げている。
もしかしたら、王子であるということは明かしたくなかったのかもしれない。
「信じられない……。誰も知らない世界の王子様に、あんな森で出会うなんて……」
とても現実とは思えない。
出会った直後と先ほどの敵襲。それらがなければ、私は多分、彼の話を現実だと受け入れられなかっただろう。
「隠していて、申し訳ありませんでした。わたくしは……エアリを騙すようなことを」
リゴールは妙に落ち込んでいた。
誠実な彼のことだ、真実を伝えていなかった自分を責めているのだろう。
だからこそ、私は明るく言う。
「謝らないで! 凄いことじゃない!」
ベンチから立ち上がり、いつもより明るい声で。
「どこかの王子様に会ったのなんて、私、初めてよ!」
声は若干作っている。意識的に明るいものにしている。
が、発する言葉自体に偽りはないから問題はないはずだ。
「そうだ! リゴールがホワイトスターの王子様なのなら、貴方に頼めばホワイトスターへ行かせてくれる?」
私の言葉に、リゴールは気まずそうな顔つきになる。
「あ……その」
「ごめんなさい! 無理ならいいのよ!?」
「えっと……」
「忙しいものね。いきなりなんて無理よね。また余裕がある時でいいわ」
強制感が出てしまっていたかもしれない、と反省する。
しかし、リゴールが言いたいのはそこではなかったようで。
「その……お招きしたいやまやまなのですが、実は、お招きできない理由がありまして」
リゴールの声は弱々しかった。
ただ、弱々しいのは声だけではなくて。青い瞳にも、何となく力がない。切ない気持ちになっているかのような、暗い目だ。
「そうなの?」
「はい。と言いますのも、ホワイトスターはもう……存在しないのです」
ホワイトスターは、もう存在しない?
私は暫し、彼の言葉を理解できなかった。
彼の故郷であるホワイトスターは、既に亡きものとなっているということなのだろう。だがしかし、それなら、彼はこれからどうやって生きていくのだろうか。
「リゴールの故郷は、もうないの? ……でも、だとしたら、これからはどうするの?」
疑問がたくさん湧いてきた。
だが、リゴールを混乱させてはいけない。
それゆえ、すべてを問うわけにはいかない。
だから、問いは二つだけにした。
「ホワイトスターは滅びました。……これからは、よく分かりません。ただ、この世界へ来てしまった以上は、この世界で暮らすしかないでしょうね」
私の放った問いに、リゴールは静かにそう答えた。
「じゃあ、私の家で暮らすというのはどう?」
暗い顔のリゴールに、私は提案する。
「エアリ……」
「私の家、わりと広いもの! 空室ならあるわ!」
すると彼は、苦笑しながら首を左右に振った。
「……ありがとうございます、エアリ。しかし、そこまでお世話になるわけには参りません」
おかしなところで遠慮するんだから。
内心、そんな風に思った。
「どうしてよ?」
「わたくしには返すものがありませんから。それに、いつまた迷惑をかけてしまうかも分かりませんし……」
リゴールは遠慮するばかり。その慎ましすぎる性格に、私は段々苛立ってきた。頼って、と言っているのに、それを拒否されるというのは、あまり良い気がしないものだ。
「わたくしのせいでエアリが何度も家から追い出されるなど、絶対に嫌です」
彼はそんなことを言う。
私には、彼の言葉がよく理解できなかった。
知らない世界へ来て、帰る場所もなく。そんな状況におかれていながら他者の心配をするなど、私には分からない。