episode.66 本日のお召し物
翌朝、バッサが部屋にやって来た。
彼女の服装は、私が父親と暮らしていたあの頃と、まったく変わっていない。
足をしっかりと隠す丈のある、紺色のワンピース。その上には、長期に渡り使用しているからかやや黄ばんだ白エプロン。そして、頭部には布製の白い帽子。
笑えてしまうくらい見慣れた服装だ。
「おはようございます、エアリお嬢様」
「バッサ! おはよう」
彼女の手には、丁寧に畳まれた衣服らしき物体。
「本日のお召し物をご用意しました」
「本日のお召し物……?」
「デスタンさんが、本日は三人共いつもとは違った服装での外出をお望みとのことでしたので」
バッサの丁寧な説明を聞き、私はようやく思い出す。デスタンが、いつもと違う服装で外出すると言っていたことを。
「忘れてた! そうだったわね!」
「はい。ですからお持ちしました」
そう言って、バッサは畳んだ衣服を差し出してくる。
「着るの、手伝ってもらってもいい?」
「承知しました」
こうして私は、寝巻きから、バッサが運んできてくれた衣服に着替えることにした。いつもの黒いワンピースは、今日はお休みだ。
——そして、十五分後。
「完成ですね」
「助かったわ! バッサ!」
私は着替えをスムーズに終えることができた。
だが、しばらく同じ服ばかりを身につけていたせいか、別の服をまとうと不思議な感じがする。どうもフィットしないというか、何というか。
私がそんな言葉で表し難い違和感を感じていることに気がついたのか、バッサは「姿見をお持ちしましょうか?」と声をかけてくれる。彼女の小さな気遣いに感動しつつ、私は「頼んでもいい?」と返す。するとバッサは、柔和な笑みを浮かべながら「もちろんです」と述べた。
その後バッサは、一旦部屋から出ていったが、ものの数分で戻ってきた。姿見と共に。
「いかがでしょう?」
バッサは鏡面を私へ向ける。
そこへ映っていたのは、らしくない格好の自分。
ボタンの周囲にフリルがあしらわれた白いブラウス。胸の下ラインから始まる、コルセットをくっつけたような小花柄のスカートは、落ち着いた色彩ながら女性らしさを欠いてはいない。ただ、腰の辺りにつけられた革製の茶色いベルトは、少し男性的な雰囲気を醸し出してもいる。
「こんな感じなのね……」
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ! 素敵な服よ!」
ただ、と続ける。
「私に似合うかどうか、少し不安なの」
「そうですか? お似合いだと思いますよ?」
「……そう言ってもらえたら、ホッとするわ」
こんなおしゃれな女性みたいな服、私に似合うのだろうか。違和感はいまだに消えない。けれど、バッサが「似合っている」というようなことを言ってくれたから、少しだけ安心することができた。やはり、バッサは気が利く。
「靴はこの革靴をお履き下さいね」
「ありがとう! ……けど、慣れない靴で大丈夫かしら」
「あの屋敷から持ってきた物ですから、以前履かれたことがあると思いますよ」
「そうなの! なら大丈夫そうね」
合流し、エトーリアが手配してくれた馬車に乗り、私たち三人は南下する。
目指すは、武芸大会が開かれるという都市クレア。
新たな出会いを期待し、微かに胸を弾ませながら、私たちは旅立つ。
「楽しみですね、エアリ!」
明るい笑顔で述べるリゴール。
彼も私と同じで、いつもの服装ではない。
シンプルなデザインの白いブラウスに暗めの枯葉色のベスト。そして、その上に黒いケープのようなものを羽織っている。
彼の代名詞と言っても過言ではない詰め襟の上衣。それを身にまとっていない彼は、どことなく別人のようだ。
「えぇ、そうね」
「そこそこ立派な都市だと聞いておりますから、今から楽しみで仕方ありません……!」
今は収まっているとはいえ、いつ敵から攻撃されるかも分からない状況だ。にもかかわらず、こんなにも明るく振る舞えるというのは、不思議で仕方がない。もし私が彼であったとしたら、こんな明るくはあれなかったことだろう。
「デスタンも楽しみですよね!」
リゴールは、視線を、私から向かいに座っているデスタンへと移す。
「……デスタン?」
黒いスーツを着こなし、良家に仕える執事のような出で立ちのデスタンだが、リゴールに声をかけられても返事はしない。席に座り、瞼を閉じてじっとしている。
「どうしたのです? デスタン?」
リゴールは不安げな眼差しを向けながら声をかける。が、デスタンは反応しない。彼はまだ、瞼を閉ざしたままじっとしている。
「……寝てるんじゃない?」
ふと思い立ち、私はそう言ってみた。
するとリゴールは不思議なものを見たような顔をする。
「寝ている、ですか?」
「反応がないってことは、その可能性もあるわよ」
「確かにそうですね。しばらくそっとしておきましょうか」
デスタンが居眠りをしているというのは、なかなか奇妙な感じである。
だが、彼とて不老不死ではない。それゆえ、たまには休息が必要な時もあるのだろう。休みたい時というのは誰にだってあるものだ。
「しかし……デスタンが人前で眠るとは驚きです」
「安心しているのかもしれないわね」
「えぇ、わたくしもそう思います。デスタンも、エアリがいてくれれば安心なのでしょうね」
いやいや。
私がいて、という理由ではないだろう。
「わたくしも、エアリが傍にいて下さるおかげで、安心して過ごせていますよ」
リゴールは微笑みかけてくる。
その笑みが眩しくて、私は少し目を細めた。
「私、何もしていないわ」
「そんなことはありません! エアリはわたくしを大切にしてきて下さったではないですか!」
「……そうだったかしら」
「そうですよ!」
確かに私は、リゴールのことを大切に思ってはいる。華奢な彼を護りたいと思うし、傍で支えてゆきたいと願いもする。
だが、実際そのために行動できているかどうかは別問題だ。
私には特別な能力はないし、戦いに長けているわけでもない。戦いの面でなら、リゴール本人よりもずっと弱い、ただの素人だ。そこらを歩く人々と何も変わらない。
「エアリは、出会ったばかりのわたくしを躊躇いなく家に泊めて下さいました。そして、それによって被害を受けた時も、わたくしを責めずにいて下さいました。あの時出会っていたのが貴女でなかったなら、わたくしは多分、今頃飢え死にしていたと思います。ですから、エアリには本当に本当にお世話になりました」




