episode.65 暇潰し的な
それからはまた、穏やかな毎日だった。
エトーリアの屋敷では、私もリゴールも、そしてデスタンも、それぞれ部屋を貰うことができた。私が与えられた部屋は、それほど広くはない部屋だったけれど、自分だけの空間を手に入れられたことは嬉しくて。久々の自室というものに、心踊らせずにはいられなかった。
そんな中、私は、現時点で取り敢えずできることに取り組み始めた。
ちなみに、取り敢えずできることとは、簡単な体力作りである。
とはいえ、その内容は偉大なものではない。屋敷の中を走り回るであったり、自室のベッドで急に上半身を起こす行為を繰り返したり、そんなくだらない感じのものばかりであった。
それでも何もしないよりかはましだろう。そう信じ、私は、そんな残念な体力作りを継続していた。
が、正直なことを言うなら、それらの行為には暇潰し的な意味合いもあった。
そんなある日。
まもなく夕食という夕暮れ時に、デスタンが私の部屋へやって来た。
彼が一人で私の部屋を訪れるのは、嵐の前触れかと不安になるほど珍しいことだ。ここへ来てからだと、初めてかもしれない。
それだけに、扉を開けて彼が立っていた時には、かなり驚いた。
「今、少し構いませんか」
「……どうかしたの?」
「貴女の剣の師となれそうな者を探していたところ、興味深い話を聞きまして」
エトーリアの屋敷へ移動してからも、彼は外出していることが多かった。またどこかで働いているのかと思っていたのだが、どうやらそれは違ったようだ。
「ここより南へ数分下った辺りにクレアという都市があるのですが、そこで明日、武芸大会が開かれるようなのです」
デスタンは丁寧に話してくれる。しかし、私の部屋の中へ足を踏み入れる様子はない。どうやら、中へ入ってゆっくり語らう気はないようである。
「武芸大会?」
「はい。そこで高成績を残すような者からなら、良い技が習えるかと思うのですが」
デスタンは良き師を探そうとしてくれていたようだ。そんなに考えてもらえていたなんて、と嬉しくなる。
すると、「私のこと、気にかけてくれていたのね。ありがとう」という感謝の言葉が、口からするりと出た。
それに対しデスタンは、気恥ずかしげに目を細めて、「すべては王子のためですから」と返してくる。
相変わらず素直じゃないわね、と、私は呆れてしまった。
「貴女が望むのなら、良き剣の師となりそうな人物を探してきますが」
「そんな。任せっきりは申し訳ないわ」
デスタンが私の護衛なのなら、彼に頼むというのも立派な一つの選択肢だろう。だが、現実はそうではない。デスタンはリゴールに仕えているのであって、私は、ほぼ無関係に近い存在。それゆえ、私がデスタンに任せてしまうというのは、少々間違っているような気がする。
「……では、どうしますか」
「武芸大会は私が観に行くわ」
片手を胸に当てて言うと、デスタンは少し戸惑ったような顔をした。
「貴女が?」
「えぇ。駄目かしら」
「いえ、そうは思いません。ただ、素人の貴女が師に良さそうな人物を選べるのか、心なしか不安です」
確かに、と、心の中で頷く。
数いる参加者から良い師となってくれそうな人物を探すというのは、なかなか難しそうだ。
「それはそうね。……デスタンさんも一緒の方がいいかしら」
「強要はしませんが」
デスタンは行きたくないと思っているわけではないようだ。
「じゃあ、リゴールも一緒に、三人で行く?」
「それは問題でしょう。王子を外へお連れするのは危険かと」
「でも、一人にするのも危険じゃないかしら」
デスタンはすぐに言葉を発そうとしたが、何か思うところがあったのか、口の動きを唐突にぴたりと止めた。
「……デスタンさん?」
唐突なことに戸惑っていると、十秒ほど経過してから、デスタンは再び口を動かす。
「失礼しました」
「大丈夫?」
「はい。失礼しました」
少し空けて。
「せっかくの機会ですし、三人で観に行きましょうか」
「本当!?」
「はい。まずは王子に一度声をかけてみます」
「分かったわ。ありがとう」
デスタンと二人でも問題はないけれど、でも、できるなら三人の方が良い。なぜなら、その方が気まずくなりにくいから。
せっかくの外出なのだから楽しめる方が良いに決まっている。
気まずさの中で過ごすなんて、損だ。
デスタンと別れてから、私は、胸が高鳴るのを感じた。
胸の内にあるのは、期待や楽しみという感情だけではない。胸の中に渦巻くのは、決してそのような前向きなものばかりではないのだ。知らない世界へ行くことへの不安や緊張、そういったものも、私は確かに抱いている。
だがそれでも、この感覚を嫌いだとは思わない。
知らない世界へ行くことも、新たな領域へ踏み出すことも、嫌なことではないから。
夕食後、リゴールが私の自室へやって来た。それについてデスタンまでやって来て、自室が急に賑やかになる。
「明日武芸大会が開かれるそうですね!」
ベッドや棚や机と椅子くらいしかない私の自室で、目を輝かせながらそう言ってきたのは、リゴールだ。
「わたくしも共に参ります!」
「いいの?」
「もちろんです!」
リゴールの太陽のような笑顔を見ていると、何となく、こちらの心まで明るくなってくる。不思議な影響力だ。
「三人で行けることになったのね、デスタンさん」
「はい。ただし、ブラックスターの者に見つからないよう、なるべくらしくない格好で出掛けることにしましょう」
「らしくない格好って?」
そこだけが気になったので、ピンポイントで尋ねてみた。
その問いに答えるのは、デスタン。
「いつもとは違う服装を、ということです」
「そういうことね。……けど大丈夫? 違う雰囲気の服なんて、持っているの?」
さらなる問いにも、デスタンは淡々と答える。
「それならご安心を。既に話はつけてありますので」
「どういうこと……?」
「エトーリアさんに、服を借りさせていただくことにしているのです」
「母さんに!?」
行動が早いっ。
「はい。理解力のある方で、助かりました」




