episode.63 たまには呑気に過ごしたい
「来てくれたのね! エアリ!」
エトーリアの屋敷に到着した私たち三人を温かく迎えてくれたのは、エトーリア自身だった。というのも、彼女がたまたま屋敷の外で用事をしていた時に、私たちを乗せた馬車が到着したしたのである。
私は一番最初に馬車から降りたのだが、その姿にすぐに気がついたエトーリアは、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「急に戻ってきてごめんなさい、母さん」
「いいのよ!」
エトーリアは一切躊躇わず、私の体を強く抱き締める。
まだ、少し不思議な感覚だ。あまり家へ帰ってこなかった母親と、今はこんなにも近くにいるなんて。
だが悪い気はしない。
たとえ、これまでがかなり離れていたとしても、母と娘であることに変わりはないのだから。
「母さん。リゴールを連れてきたわ」
「えっ、そ、そうなの?」
「そうよ! リゴールたちもこれからは一緒に暮らすの」
ちょうどそのタイミングで、停止している馬車からリゴールが姿を現す。抱き締めることを止めたエトーリアと偶然視線が重なったらしく、リゴールは気まずそうな顔をしていた。
「あ……し、失礼します」
気まずそうな顔のまま頭を下げるリゴール。
一方エトーリアはというと、やや引き気味なリゴールとは逆に積極的で、躊躇することなく彼の方へと向かっていく。
それによって、リゴールはさらに気まずそうな顔つきになっていた。
「ようこそ、リゴール王子」
エトーリアは綿のように柔らかな笑みを浮かべながら、リゴールに向かって丁寧なお辞儀をする。それに対しリゴールは、恥ずかしそうにお辞儀を返す。
「前回お会いした際は他人の空似と勘違いし失礼致しました。リゴール王子とこんな形でお知り合いになるとは思っていなかったため、ついあのような奇妙なことを」
リゴールに接する時、エトーリアは丁寧な言葉を使っていた。
それはまるで、大人の女性が少年を敬っているかのよう。ホワイトスターのことを知らない者からすれば、不思議で仕方ない光景だろう。
「……い、いえ。お気になさらず。わたくしも、ここでは普通の一人です」
その頃になって、デスタンがようやく現れた。
彼は、リゴールと自分二人分の荷物を持ち、馬車から降りてくる。二人分、とはいえ、それぞれがほんの少しだけなのでさほど重くはなさそうだ。
それから、すぐにリゴールへと視線を向ける。そして、リゴールがエトーリアと言葉を交わしているのを目にし、少しばかり戸惑ったような表情を顔面に滲ませた。
「ではリゴール王子。すぐに屋敷の方へ案内させていただきますね」
エトーリアは、ガイドのように丁寧な手の仕草で、屋敷そのものを示す。
「急ぎませんよ」
「いえいえ。……って、あ! そういえば、お部屋の用意がまだできていおりません! 申し訳ないのですが……暫しお待ちいただかねばなりません」
エトーリアの発言に、リゴールは考え事をしているような顔になる——そして、十秒ほど経ってから、微笑んで質問する。
「では、屋敷の周辺を少しばかり散策しておいても構わないでしょうか?」
リゴールの口から出た言葉が想定外だったのか、エトーリアは一瞬気が抜けたような顔をした。恐らく、彼の問いの意味が、すぐには理解できなかったのだろう。そんな風にして暫し言葉を失っていたエトーリアは、しばらくしてからようやく「え、えぇ……構いませんけど……」と返したが、その時でさえ、戸惑いが完全に消えたわけではないようだった。
「ありがとうございます。では少し散策させていただきます」
嬉しそうにさらりと発するリゴール。
「……あと」
「え?」
「そのような丁寧な言葉を使うのは、どうかお止め下さい」
リゴールはエトーリアに要望を述べた。
エトーリアはあたふたする。
「え……しかしっ……」
「ここでのわたくしは王子ではありませんから。それに、軽く話しかけていただける方が心地よいのです」
「わ、分かった……わ」
エトーリアはリゴールに対して丁寧語を使うことを止めた。が、慣れないからか、ぎこちない言い方になってしまっている。
「貴方がそう仰るのなら……そうさせていただくわ」
「わたくしの望みを叶えて下さり、ありがとうございます」
「では、わたしは一旦ここで。部屋の準備をさせてくるわ」
してくるじゃなくさせてくるなのね、などということを、少し考えてしまった。そんなことを考えても、何の意味もないというのに。
エトーリアは屋敷の方へと駆けてゆき、場にいるのが三人になった瞬間、リゴールは「ふぅ」と大きく息を吐き出した。少しばかり疲れがあるようだ。
「大丈夫? リゴール」
「あ、はい。エアリ……お気遣いありがとうございます」
そこへ、デスタンが口を挟む。
「無理なさることはないのですよ、王子」
「はい。気をつけます」
リゴールは体を一回転させ、周囲の風景を見回す。その時の表情は、直前までより少し明るくなっていた。
——かと思ったら、急に話しかけてくる。
「しかしエアリ!」
「えっ」
「本当にありますね! 白い石畳が!」
「……え、えぇ」
門から屋敷まで続く、白い石畳の道。その存在に、彼はもう気づいているようだ。
「それに、凄く美しいところですね! わたくし気に入りました!」
リゴールは胸の前で両の手のひらを合わせながら、幸せの絶頂にいる者のような笑みで述べる。
たとえ幸福な人間であったとしても、なかなか、ここまでそれらしい顔はできまい。
「気に入ってもらえたなら良かったわ」
「はい! これはもう、めまいがするくらい気に入りましたよ!」
めまいがするくらい、って。
それは表現がおかしくないだろうか。
「なっ……! めまいですか、王子」
いや、乗るな乗るな。
「何を言うのです、デスタン。それはあくまで表現です」
「表現。……なるほど。では、実際に『めまいがした』というわけではなかったのですか」
なぜそこをそんな真面目に。
少し突っ込みたくなる瞬間もあったが、込み上げるものは飲み込み、私は何も発さなかった。
「はい。めまいがしそうなくらい、この場所が気に入ったということです」
その後、私とリゴールは門の付近をうろつき、エトーリアに呼ばれるのを呑気に待ったのだった。