episode.50 知ったような口を利かないで
次に気がついた時、私は街にいた。
どうやら、道の端のようだ。
この街はミセに買い物を頼まれて何度か行ったことがある街。だから、少しは見覚えがある。
「……無事戻ることができたようですね」
ぼんやりしていると、声をかけられた。そちらを向くと、リゴールを抱えたデスタンの姿があった。
「デスタンさん。これは……帰ってくることができたのね?」
「はい」
地下通路でブラックスターから脱出し、荒廃したホワイトスターの上り坂をひたすら登り、凄まじい高さの崖から飛び降りた。
正直「転落死するのでは」と思っていたが、帰ってくることに成功したみたいだ。
「怪我は」
「え。何の話……?」
発言の意味が理解できず戸惑っていると、デスタンは、不快そうに調子を強めながらも、もう一度言ってくれる。
「怪我はないか、と、聞いているのです」
「そういうことね!」
「……速やかに答えて下さい」
「ないわ。大丈夫よ」
私がそう答えると、デスタンはサクッと立ち上がる。そして「分かりました」とだけ発し、歩き出してしまう。
置いていかれてしまいそうな雰囲気だったので、慌てて立ち上がり、叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って! 置いていかないで!」
そして私たちはミセの家へ帰った。
薄汚れた私やデスタン、そして意識のないリゴールを見て、ミセは愕然としていた。何が起こったのか分からなかったのだろう。
だがそれも無理はない。
もし私がミセの立場であったなら、彼女と同じような顔をしただろうと思う。
その後、デスタンがミセに、リゴールが傷を負ったということを話した。するとミセは「知り合いの医者を呼ぶ」と言ってくれて。彼女のおかげで、リゴールは医者に診てもらえることになった。
ミセの家、私とリゴールの部屋。
意識のないリゴールは、ベッドに横向けに寝かせられている。
「……うむ。まぁ大丈夫でしょう」
駆けつけてくれた医者は、意識のないリゴールの手当てを終えて、そう言った。
「本当ですか!?」
医者が発した言葉が嬉しくて、私は思わず大きな声を出してしまった。
そんな私へ視線を向け、医者は穏やかに微笑む。
「あぁ、大丈夫だよ。手当てもできたし、命に関わるほどではないよ」
「良かった……」
医者の表情と声の柔らかさに、胸の内の不安の塊が溶けてゆくのを感じた。
「本当に大丈夫なのかしら?」
私やデスタンと同じようにリゴールの様子を見守っていたミセが、不安げな眼差しで確認する。
「えぇ。大丈夫ですよ」
「そう……なら良いのだけれど」
「相変わらず優しいですね、ミセちゃん」
「何それー? 面白いわねぇ」
ミセは頬を緩め、水の入った桶を持って部屋から出ていった。
「では、そろそろ失礼しましょうかな?」
続いて、医者がゆっくりと腰を上げる。
「ありがとうございました」
私は医者に頭を下げる。
すぐ隣にいるデスタンも、無言ながら頭を下げていた。
「また何かあれば、いつでも呼んでくれていいからね」
「はい。本当にありがとうございます」
医者は持ってきていた荷物を素早くまとめ、部屋から出ていった。
部屋に静けさが戻る。
リゴールの、包帯が巻き付けられている背中を見下ろし、少しばかり安堵する。命を落とす可能性がないなら、ひとまず安心だ。
「大丈夫そうで良かったわね」
隣で黙り込んでいるデスタンに話しかけてみる。
しかし返事はない。
もう一度声をかけてみる。
「……デスタンさん」
すると、彼はようやくこっちを向いた。
「失礼。何か?」
「リゴール、大丈夫そうで良かったわね」
今度は言葉が届いたようだった。が、彼は暗い顔で「はい」と返すだけで。それ以上何かを発することはなかった。
「どうしたの、デスタンさん。もしかして、体調が優れないの?」
「なぜそのようなことを」
「顔色が良くないからよ。暗い顔をしているわ」
そう述べると、彼は暗い顔のまま返してくる。
「……この状況で明るくあれというのは無茶でしょう」
静かで弱々しい声だった。
「……王子にこんな傷を負わせた張本人が、私なのですから」
デスタンはリゴールを怪我させてしまったことを悔やんでいるようだ。操られていたのだから仕方ない、と、私は思うのだが。
「貴方が自身の意思でやったわけじゃないもの、そんなに気にすることはないと思うわ」
「いえ。気にするべきことです」
「リゴールだって、きっと、貴方を恨んだりしていないわよ」
「……それは、王子がお優しい方だからです」
逃げている間、彼は常に落ち着いていた。だから、さほど気にしていないものと思っていたのだが、実は結構気にしているようだ。
「……王子にこの手で傷を負わせた。許されることではありません……」
デスタンは微かに俯く。
濃い藤色の髪に半分くらい隠された顔は、今の私の位置からでははっきり見えない。
それでも、落ち込んでいるのだと察することはできた。
彼がしょんぼりしているというのは不思議な光景だ。だが、慕い仕えている者を傷つけてしまったという辛さは、何となく分かる気がする。
「デスタンさん……」
何とか励ましたいところだ。
「その、そんなに気にすることはないと思うわよ?」
「気にしますよ!」
励まそうとして言ってみたのだが、鋭く返されてしまった。
「貴女はいつもそんな調子なので、はっきり言って嫌いです」
「え!?」
「ま、この気持ちは分からないでしょうね。実の父親を亡くした時でさえヘラヘラしていた、そんな貴女には」
つい先ほどまでは弱っているようだったのに、急に攻撃的な物言いをし始めるデスタン。
「なっ……何よその言い方!」
「親の死さえ悲しまない人に、今の私の心が理解できるとは思えません」
「失礼ね! 私だって、悲しくなかったわけじゃないわよ。知ったような口を利かないで!」
喧嘩するつもりなんてなかった。だが、私の心をすべて知っているかのような言い方をされるのは、どうしても許せなくて。だから、つい口調を強めてしまったのである。
その後沈黙が訪れてから、少し言い過ぎたかなと思い、私は小さく「ごめんなさい」と謝った。それに対してデスタンは「……いえ」とだけ返してくる。棘のある発言をしてくる彼だが、私に対して凄く怒っているというわけでもないようだ。
だが、それからの時間は、言葉にならないほどの気まずさで。
こんな時、リゴールがいてくれたら——そう思わずにはいられなかった。