episode.42 私と彼の選ぶ道
突如現れた少年トランは、デスタンを連れて消えてしまった。紙を丸めて筒状にした物体だけを残して。
「……は、はい。そうですよね。まず害がないかどうかを確認しなくてはいけません……」
リゴールはデスタンを連れ去られたことに衝撃を受けたようで、言動が少々不自然なことになっている。
「では……」
「何もないとは思うけれど、気をつけて」
「は、はい……」
リゴールは床に落ちている筒状の紙へ手を伸ばす。しかし、すぐには拾わず、直前で手を止めた。特に何も言わないところから察するに、危険がないか確認しているのだろう。それから十秒ほどが経過して、彼はついに筒状の紙を掴む。掴んだ瞬間に何かが起こる、ということはなかった。
「どう? リゴール」
「触れる分には害はなさそうですね……」
彼はそう言って、紙を結んでいる紐を解く。続けて、巻かれていた紙を少しずつ広げていった。
文字が書かれているものと思っていたのだが、紙は真っ白。そこには何も書かれていなくて。
「何も書かれていないの?」
「はい……これは一体……」
二人揃って怪訝な顔をしていると、唐突に、音声が流れ始める。
『はいはーい。ちゃんと読もうとしてくれてありがとうー』
軽やかで明るい声。
これは、そう、トランの声だ。
『早速だけど、君たちにしてもらいたいことを伝えるねー』
彼の声は続く。
『ホワイトスターの王子さんと、剣を使えるお姉さん……えーと……エアリさんだったかな。二人にお願いだよ』
流れる音声を聞き逃さないよう、耳を澄ます。
『彼を返してほしかったらー、明日の朝、二人でブラックスターへ来てね。そして、ボクのところへ会いに来てよ。そうしたら、ボクが自ら歓迎してあげるからさー』
ブラックスターへ来い?
怪しすぎる。
どう考えても、罠だとしか思えない。
歓迎というのは恐らく、始末する、という意味なのだろう。
トランは私とリゴールをまとめて消してしまおうと考えている——それすら分からないほど私は馬鹿ではない。
『ちなみに、この巻物を持って念じれば、ブラックスターに移動できるよ。便利だよねー? 作ってみたんだー、試作品』
声自体は爽やかなのだが、言葉にならないような怪しさを漂わせている。
『来なかったら……ま、言わなくても分かるよね。それじゃあねー、ばいばーい』
それを最後に、声は消えた。
少し空いてまた始まるかもしれないと思い、しばらく黙って待ってみたが、声が再び始まることはなかった。
どうやら、話は終了したようだ。
私はリゴールと顔を見合わせる。
「これは……」
「怪しすぎね。いかにも罠って感じだわ」
「はい……」
窓から吹き込んでくる風は、冷たすぎず、暑苦しくもない。いつまでも浴びていたくなるような、心地よい風だ。
しかし、そんな風を浴びていても、私の心が軽くなることはない。一旦胸の内に広がってしまったもやは、そう易々と晴れてはくれないのである。それはリゴールも同じであろう。
「……どうする? リゴール」
「え」
「行く? 行かない?」
私は問う。
それに対し、彼は、数秒考えてからはっきりと答える。
「わたくしは……参ります」
声は小さいが、迷いのない目をしていた。
「きっと本当の狙いは貴方よ、リゴール。デスタンは貴方をブラックスターへ来させるための餌だわ」
「……はい、わたくしもそう思います」
「敵地へ乗り込むなんて死にに行くようなものだわ。それでも、行くの?」
念のため確認すると、リゴールはきっぱり「はい」と言って、首を一度だけ縦に動かした。
「……もし立場が逆であったとしたら、デスタンは迷わずわたくしを助けに来てくれるはずです」
「えぇ。それはそうよね」
「ですから、わたくしも、迷わず助けに行きます」
止めるべきだろうか。
ふと、そんなことを思う。
ブラックスターになんて行かない方がいい。そんな危険な場所へ自ら突っ込んでいくなんて、馬鹿のすることだ。それに、デスタンも恐らくは「来るな」と思っているだろう。
そんなことが脳内を巡る。
止めるべきなのか。
私が嫌われたとしても、それでも、行かせないべきなのだろうか。
このままであれば、リゴールは迷いなくブラックスターへ乗り込んでいくだろう。
止めるなら、今のうちだ。
彼を行かせたことを後から悔やむなんてことになりたくないなら、今制止しなくてはならない。
——でも。
リゴールはデスタンを助けることを望んでいるのだから、その目的を達成するために協力するというのが筋ではないのか。
そんな風に思う気持ちもあって。
段々、自分の心がよく分からなくなってきた。
「……リ」
リゴールの願いを叶えたい。でも、彼に傷ついてほしくない。
私はどうすればいいのか。
考えて、考えて、懸命に答えを出そうとする。だが、考えれば考えるほどまとまらなくなり、答えなんてちっとも出そうにない。
「エアリ!」
「……あ」
思考の渦に飲み込まれかけていた私に正気を取り戻させたのは、リゴールの声だった。
「えっと……ごめんなさい。聞いていなかったわ。何か言った?」
そう返すと、不安げな眼差しを向けられてしまう。
「顔色が良くないようでしたので、体調が悪いのかと思いまして……」
「心配させてしまったのね。ごめんなさい」
「い、いえ! わたくしが勝手に心配になっただけですので、お気になさらず!」
慌てて首を左右に動かすリゴールを見たら、自然に頬が緩んでしまった。
「……ふふ。ありがとう」
「へ?」
「心配してくれてありがとう、リゴール」
「あ、えっと……どういたしまして」
リゴールは恥ずかしそうに笑った。
その様は、とにかく初々しく、可愛らしいという言葉がよく似合う。
「ところで、ブラックスターへ行く件ですが……」
「そうだったわね」
「わたくしは一人で行きます」
「え!?」
想定外の発言に、驚きを隠せない。
「そんな! 一人でなんて危険よ!」
「危険であることは承知しております。ただ、それでも、わたくしは行きたいのです」
リゴールは私の目を真っ直ぐに見つめてくる。
その表情を見て、「リゴールを引き留めることはできない」と悟った。
もし私が止めたとしても、彼の心が変わることはないだろう。彼の決意に満ちた表情が、私にそう思わせたのだ。
「本気なのね」
「はい」
「分かったわ」
「ありがとうございます……!」
リゴールの顔つきが明るくなる。
「でも、一人で行くのは駄目よ」
「そ、そうなのですか!?」
「私も行くわ。一緒にね」
「えぇっ……」
物凄く困ったような顔をされてしまった。
さりげなくショックである。
「私と一緒はそんなに嫌?」
「い、いえ! そんなことはありません! ただ、その……驚いてしまったのです。エアリがそのような提案をして下さる可能性など、考えてもみなかったものですから……」
若干言い訳臭い。
が、リゴールとて悪気があってこのようなことを言っているわけではないのだろうから、突っ込まないでおくことにしよう。
 




