episode.40 うんうん、そうだよねー ★
「お父様はきっと……わたくしのことを恨んでおいででしょうから……」
リゴールはどうやら、私の父親のことを気にしているようだ。
彼の考えもまんざら間違いではない。
もし父親が生きていたなら、あんな火事を起こし私を無断で連れていったリゴールらを、許したりはしなかっただろう。
父親はそういう人だ。
でも、それはあくまで、「彼が生きていたなら」である。
「何を仰っているのですか、王子。貴方を恨む者など、存在するわけがありません」
「……いえ。恨まれていても仕方がありません。あんな迷惑をおかけしたのですから……」
「ご安心を。王子を恨むような無礼者は、私が殺してしまいます」
「デスタン、貴方はまた、すぐにそういう物騒なことを……」
リゴールとデスタンの会話は勝手に続いていく。
私が言葉を挟める隙がないと、父親が亡くなったことを伝えづらいのだが。
「で、エアリ。お父様は、わたくしがそこへ行くことを、許して下さっているのですか?」
リゴールは一旦スプーンを置き、こちらを見つめながら尋ねてきた。
言わなくては。本当のことを。
父親が亡くなったと伝えたら、リゴールは自分を責めるのではないだろうか。そこが少し心配だ。だがしかし、だからといって嘘をつくわけにはいかない。それに、今隠したとしても、結局はバレてしまうことだ。
「父さんはいないの」
「では、エアリのお父様は今も、あの村の屋敷に?」
リゴールは軽く首を傾げつつ尋ねてくる。
それに対し、私ははっきりと返す。
「いいえ。実は、その……亡くなったみたいで」
そう答えてから、リゴールの顔へ視線を向ける。
彼の顔面は驚きに染まっており、さらに、硬直しているようだった。
「亡くなっ、た……?」
——その数秒後。
「なぜそのような重要なことを黙っていたのですか!?」
リゴールは急に叫んだ。
「え?」
「呑気に『え?』などと言っている場合ではありません!」
彼はがっつり私の方を向いている。
朝食のことなんて、忘れてしまったかのようだ。
「わたくしはいつの間にか、エアリにとって、父親の仇になってしまっているではありませんか!」
言われてみれば。
考えようによっては、そう言えるかもしれない。
ただ、私は、リゴールを仇などと捉える気はまったくない。私とリゴールは、これまで共に協力し暮らしてきた仲間。だから、たとえ何かが起きたとしても、今さら彼を敵視するなんて、不可能だ。
「やはりわたくしは行きません……いや、行けません。エアリのお父様を殺しておきながら、お母様に世話になる。そんなことは絶対にできません」
リゴールは両手を腹の前辺りで重ね、目を細める。彼の顔に浮かんでいた驚きは、徐々に、悲しみへと色を変えていく。
いずれ伝えなくてはならないことだった。
だから仕方がない。
けれど、リゴールが暗い顔をしているところを見るのは、どうしても辛くて。
こんなことを言っては怒られてしまうかもしれない。
が、この際正直に言おう。
父親が亡くなったことよりもリゴールが暗い顔をしていることの方が、私にとっては辛いことなのだ。
「そんな顔しないで、リゴール」
「ですが、エアリやエアリのお母様の気持ちを考えると、どうしても……」
「その……私は意外と気にしていないの。父さんのことはあまり好きでなかったから……」
するとリゴールは、俯き気味だった顔を突然上げた。
「そんなことを言ってはいけません!」
気にしなくていい、という意味で言ったつもりだったのだが、逆に注意されてしまった。
何とも言えない心境だ。
「一度失われたものは、もう二度と戻ってはこないのです!」
そう放つリゴールの声は、彼らしからぬ鋭さで。
「あ……そ、そうよね。今のは失言だったわ。ごめんなさい」
「い、いえ。こちらこそ、声を荒らげてしまい失礼しました。もちろん、エアリが気を遣ってそう言って下さったということは、承知しておりますが……」
リゴールの発言を最後に、沈黙が訪れた。
デスタンは様子を窺うような目をしながら唇を結んでいる。リゴールは気まずそうな顔をしながら、時折私をちらりと見ている。
そんな状況におかれてしまったのもあって、私は何も言えなかった。
——それから、二十秒ほど経った時。
「うんうん、そうだよねー」
突如、聞き慣れない声が耳に飛び込んできて。私たち三人は、ほぼ同時に、声が聞こえた窓の方を向く。
すると、窓枠に一人の少年が座っているのが見えた。
さらりとしたダークブルーの髪は、艶やかで、耳の下辺りまで伸びている。重力に従い真っ直ぐ垂れているだけの髪型で、飾り気はない。だが、見る者に対してはやや中性的な印象を与える、そんな少年だ。
「一度失われたものは、もう二度と戻ってはこない。ふふふ。その通りだよねー」
藍色に白のラインが入った丈の長い上着を羽織っている少年は、笑顔のまま、楽しげな調子で放つ。
いきなり現れ、しかしながら攻撃を仕掛けてくるでもなく、ただ窓枠に腰掛けているだけ。
得体の知れなさが、逆に不気味だ。
そんな不気味な少年に向けて、デスタンが低い声で言い放つ。
「何者か」
デスタンに睨まれても、少年は笑みを崩さない。
「いきなり名前を聞いてくるなんてねー。ふふふ。そんなにボクに興味があるのかな?」
「何をしに来た」
「また質問? まったくもうー、気が早いなぁ」
呆れたように言いながら、少年は窓枠から軽やかに飛び降りる。
「……ま、でも」
少年は両の手のひらで尻を数回ぽんぽんと叩く。埃を払うような動作だ。そして、それを済ませてから、警戒心を剥き出しにしているデスタンへと二三歩近づく。
「興味を持ってもらえてる方が、ボクとしても嬉しいかな」
それまでニコニコしていた少年が、突如、怪しげな笑みを浮かべた。
「……っ」
少年の笑い方が急変したことに驚いたのか、デスタンは顔をしかめつつ数歩後退する。
「あれ? どうして下がるのかな?」
「気味の悪い笑い方をするな、悪魔の手先め」
「あれあれー? もしかしてボク、嫌われてるー?」
その頃には、少年の笑みは穏やかなものに戻っていた。
「困るんだけどなぁ、嫌われちゃったら」
少年は、そう言いながら、デスタンの方へさらに近づいていく。
それを拒むように、デスタンはナイフを抜いた。
「寄るな」
どうやら、ナイフは、左脚の太ももにベルトで固定されていたようだ。
デスタンがいきなりナイフを取り出したことには、少しばかり驚いた。彼がナイフを所持していることは知っていたが、こんなにもすぐに取り出せるものだとは思っていなかったからである。
「そんな顔しないでー。べつに、いきなり酷いことしたりしないって」
「狙いは何だ」
デスタンはナイフの刃を少年へ向け続ける。
それでも少年は、笑みを浮かべることを止めない。
「狙い? 嫌だなぁ、もう。そんな風に言わないでよ」
少年の笑顔は、まるで仮面のよう。崩れることはないが、そこに笑うような感情が込められているようにはとても見えない。
「ボクはただ、君を迎えに来ただけだよ」
 




