episode.36 たまに弱気になっても
それから私は、デスタンと二人、ベッドの脇に座っていた。リゴールの意識が回復するのを、心待ちにしながら。
デスタンはその間ずっと、白い布でナイフを拭いていた。
黙々とナイフの刃を拭く彼を見ていると、不思議な感じがしてならない。話しかけて良いのかも分からず、私は黙っていることしかできなかった。本当は、話しかけてみるべきだったのかもしれないけれど。
部屋に沈黙が訪れてから、どのくらい経ったのだろう。
二十分? 三十分?
はっきりとは分からないが、そのくらいだろうか。
正直、そこは重要なところではないけれど。
「ん……?」
ベッドに横たわっていたリゴールが、急に目を覚ました。
「リゴール!」
「王子!」
私とデスタンが彼を呼んだのは、ほぼ同時。
「気がついたの!?」
「意識が戻られましたか!?」
さらに、次も同時。
言葉を交わすたび険悪になる私たちだが、今の光景だけ見れば「息がぴったり」という感じである。
「は……はい。わたくしは、一体……」
リゴールの青い目が、私とデスタンを交互に捉える。
彼は目を開いているし、言葉も話している。だが、意識が完全に回復しているということはないらしい。
というのも、まだ状況が飲み込めていないようなのだ。
「ブラックスターの者と交戦した、と、仰っていました。それは事実ですか? 王子」
デスタンは真剣な顔で問う。
するとリゴールは、少しばかり眉を寄せる。
「……はい」
「やはりそうだったのですね、王子。お一人にしてしまい、申し訳ありませんでした」
リゴールに向けて謝罪の言葉を発するデスタン。
それに対し、リゴールは、口角を僅かに引き上げる。
「……気にしないで下さい、デスタン。貴方に罪はありませんよ」
「しかし」
「問題ありません。わたくしは一人でも戦えますから」
「王子……」
リゴールから優しい言葉をかけられても、デスタンは「納得できない」というような顔のまま。
なぜ素直に受け取らないのか、謎だ。
私の発した言葉を素直に受け取れないというのは、まだ分かる。出会ってからまだ半年も経たない相手を信じられない、というのは、理解できないことはない。疑り深い性格なら、仕方がない。
けれど、リゴールの言葉を受け取れないというのは、おかしくないだろうか。
敬愛している相手。
命の恩人の主。
そんなリゴールの言葉さえ素直に聞くことができないというのは、ひねくれ過ぎだろうと思ってしまう。
「デスタン……心配して下さってありがとうございます」
「いえ。護衛として当然のことですから」
「それでも、デスタンがいてくれるとありがたいです。本当に、色々助かります」
そこまで言って、リゴールは視線をこちらへ移す。
「エアリも……帰ってきて下さったのですね」
「えぇ」
「実は少し不安だったので、またエアリの顔を見られて……ほっとしました」
まさか「もう帰ってこないかも」と思われていたの!?
……そんなこと、あるわけがないのに。
「私もリゴールに会えて嬉しいわ」
「それはもう、わたくしもです……」
話しているうちに、彼の瞳に光が宿ってきた。徐々にいつもの輝きが戻ってきているように感じられる。目つきも声も、意識が戻ってすぐの時より、しっかりしてきているようだ。
「親子での時間、楽しめましたか?」
「えぇ! バッサとも久々に会えたし、色々楽しかったわ」
「それは……良かったです」
リゴールは笑っている。
けれど、その瞳には寂しげな色が滲んでいるようにも思えて。
正しくない返し方をしてしまったかと、少し不安になる。
「エアリはやはり……そちらの方が良いですよね……」
「え?」
「家族や親しい方々と過ごす時間の方が、きっと、充実したものなのでしょう……」
リゴールが寂しげな声でそう発した瞬間、デスタンが私を睨んできた。
「あ……そ、そんなことはないわ。決まっているじゃない、リゴールとだって一緒にいたいわよ」
慌てて述べる。
だが、リゴールの瞳に滲む寂しげな色は消えない。
「……気を遣うことはないのです。エアリは貴女が幸せな道を選ぶべきですし……わたくしも、それを望みます」
彼はどうして、そんなことを言うのだろう。
私には分からなかった。
なぜ、そんな、突き放そうとしているかのようなことばかり言うのか。理解不能だ。
「待って、リゴール。どうしてそんなことを言うの? 貴方らしくないわ」
「……いえ、これが本来のわたくしです」
「え。そうなの?」
「はい。わたくしは——」
リゴールが言いかけた時。
「王子はお疲れなのです」
彼の言葉を遮って、デスタンが述べた。
「疲れている時はマイナス思考になるもの。今の王子は、まさにそれなのです」
デスタンの淡々とした説明には、妙な説得力があって。私は何となく納得してしまった。
「それもそうね」
「でしょう」
「えぇ。納得したわ」
私は視線を再びリゴールへ向ける。
そして、彼の片手をそっと掴む。
「何も気にしなくていいのよ、リゴール」
「……エアリ」
「確かに、母さんやバッサといると楽しいわ。でも、リゴールと過ごしている時だって幸せなの」
いきなりこんなことを言ったら、プロポーズか何かかと勘違いされてしまいそうだ。だが、リゴールが暗い顔をしているところなんて見たくない。だから、私は躊躇わず言ったのだ。私が思いを伝えることによって、彼が少しは楽になれるかもしれないと、そう考えたから。
「だから、その……そんな寂しそうな顔をしないで」
デスタンは口を挟むことなく、私たちを凝視している。
うっかりやらかせば、殺されかねない。危険だ。気をつけて、慎重に振る舞わなくては。
「……はい、申し訳ありません。わたくしときたら、つい暗い雰囲気を作ってしまって……」
「ゆっくり休んで元気になれば大丈夫よ」
「はい……ありがとうございます、エアリ」
すぐ横のデスタンから向けられている刃物のような視線は、少しばかり恐ろしい。
だが、リゴールとこうして言葉を交わせる時間は、嫌いではない。——否。好きだ。
「それとね、リゴール。実は興味深い話があるのよ」
「興味深いお話……ですか?」
「お誘いなんだけど」
リゴールは目を丸くする。
「……お、お誘い?」
「これからのことに関するお誘いよ」
「何でしょう?」
どうやら興味を持ってくれているようなので、思い切って、今ここで言うことにした。
「リゴール、私の母の家へ来る気はない?」




