episode.195 大切な人になったから
「ふんっ!」
リゴールを庇うようにして立っているデスタンの腹部に向かって、王は拳を放つ。
デスタンはそれを片手で受け止めた。
もうずっと戦いの表舞台には立っていないデスタンだが、拳の受け止め方には慣れが感じられる。
長年積み上げてきたものは短時間で失われはしないということなのだろうか——と思っていたら。
王が横からの蹴りを放ち、それがデスタンの脇腹に命中した。
「っ……!」
デスタンは顔をしかめる。
そうして生まれた隙を見逃さず、王はデスタンの体をゴミのように蹴り飛ばした。
「デスタン!」
リゴールが刺々しい声で叫ぶ。
蹴り飛ばされたデスタンは、勢いよく床を転がる。やがて壁に激突して、やっと止まった。
かなりの痛手かと思ったが、デスタンはすぐに体を起こす。
床に手を強くつき力ずくで体を起こしているところがやや不安ではあるが、折れない根性は見習いたい部分と言えるだろう。
「大丈夫ですかっ!?」
デスタンが蹴られたのを見ていたリゴールは、完全に意識をそちらへ奪われていた。リゴールは王の存在を忘れてしまっているのだ。
——恐らくそれが王の狙い。
リゴールの視界からは外れている王が腕を振りかぶった瞬間、デスタンが口を開く。
「王子! 狙いはそっちです!」
「え……」
デスタンの叫びに、リゴールは視線を王の方へ戻す。
その時には、既に、王の拳がリゴールに迫っていた。
「死ぬがいい」
「くっ……」
リゴールは咄嗟に防御膜を張る。そこへ突き刺さる、王のパンチ。黄金の輝きをまとう防御膜は何とか拳を防いだが、打撃の威力を殺しきれず、豪快に割れた。これにはリゴールも動揺を隠せない。
「そんな……!」
防御膜を一撃で破られたことに動揺し、リゴールは固まってしまった。
そこへ、王の片足が向かう。
あの強力な蹴りはさすがにまずい。デスタンでさえかなり飛ばされたほどの威力だから、リゴールが食らえば致命傷になりかねない。
「させないわ!」
私は駆ける。
そして、リゴールと王の間に割って入る。
直後、蹴りが来る。
襲いかかってきた足を剣の刃部分で防ぐ。
ガン! と音が鳴り、柄を握っていた手には衝撃が走る。その衝撃は、他の何を斬った時よりも強い衝撃であるように感じられた。
ただ、ペンダントの剣は普通の剣より頑丈だ。そのため、蹴り数回程度では折られはしないと、確信を持てる。
「ぬぅ……女が防ぐか……」
「殺らせないわ!」
みるみるうちに鼓動が速まる。
恋する乙女にでもなったかのような気分だ——無論、この鼓動の加速の原因はときめきではないのだが。
「え、エアリ……」
背後から弱々しい声が聞こえてきた。リゴールの声だ。
恐怖に支配されたような声を聞けばこちらまで恐怖を感じてしまいそうなものだが、案外そんなことはない。
リゴールの声が掻き立てるのは、不安ではなく、闘争心。
「お主も……女でありながら、なかなか頑張るな」
「リゴールを護るわ!」
「ほう……護る、か……」
王に勝てる保証はない。
いや、それどころか、まともにやり合えば私に勝ち目はないかもしれない。
でも護るべき存在がある。
そのためならきっと、どこまでも強くなれる。
「馬鹿げたことを……」
「私はそう簡単にはやられないわよ」
一人、前へ出た。
もちろん剣は構えたままで。
それはリゴールを護るためでもあるし、彼にとって大切な人であるデスタンに無理をさせないためでもある。
「そこを退け」
「嫌よ! それはできないわ!」
ブラックスターの王にこんな無謀な戦いを挑んだと知ったら、エトーリアを悲しませてしまうだろうか……。
「貴方がリゴールを狙う限り、私は立ち塞がるわ」
「ほう。だが、遠い国の王子なんぞのために、なぜ危険を顧みず戦う……?」
「リゴールが私の大切な人になったからよ」
感心のない相手に、わざわざ生きてと願うことはしない。生き延びてほしいと願うのは、その人を大切だと思っているから。大切な存在だからこそ、死なないでほしいと願う。
「ねぇリゴール」
「はっ、はいっ!?」
「前にいつか言ったわね。『もっと強くなって、いつか、リゴールを護れるような人になるから』って」
リゴールは少し戸惑ったように「そういえば……仰っていましたね」と返してきた。
「今こそ、その時。私は貴方の剣になる」
そう述べると、リゴールは戸惑っているように両方の眉を寄せる。
「エアリ……?」
「だから、リゴールは安心してそこにいて」
今度は分かりやすく言う。
すると、リゴールの表情が少しばかり柔らかくなった。
「は、はいっ!」
◆
「ウェスタ! 無事か!?」
元々デスタンが使っていた部屋に移動したグラネイトは、ウェスタの顔を見るや否やすぐにそう問いかけた。
ところが、そちらではまだ何も起こっておらず、ウェスタは困惑したような顔をする。
「……どうした」
「ふはは! そうか! さっき廊下で少し襲われたので、こっちも心配でな」
「襲われた? ……敵に、か?」
グラネイトは座った状態のウェスタに近寄る。そして、両腕を伸ばし、彼女の体を包み込むように抱き締めた。
「鳥に似たタイプのやつら!」
「……そうか」
寝不足、負傷、と様々なことが続き、体調があまり良くなかったウェスタ。しかし今は、健康的な顔色をしている。ここのところはゆっくり休めているからだろう。
「……無事で何より」
「感謝するぞ、ウェスタ」
「何でも良いが……そろそろ離れてほしい」
そう言われ、グラネイトは現実に戻ってくる。
「す、すまん! つい……!」
ウェスタを抱き締め幸福の海に浸っていたグラネイトは、慌てて腕を離した。怒られるかも、という思いもあったのかもしれない。
が、ウェスタは怒りはしなかった。
「気にすることはない」
ただ穏やかにそう返すだけ。今日の彼女は、珍しく、それ以上の攻撃はしなかった。
グラネイトは、いつも通り冷たい態度を取られると思っていたのだろう。なのに、ウェスタは少し優しかった。そのせいか、グラネイトは瞳を潤ませ始める。
「う、うぅっ……ウェスタが……優しい……」
「なぜ泣く」
「ウェスタが……優しい……」
「優しくされて泣く流れが理解できない」
ウェスタは呆れ顔。
でも、そこに以前のような冷ややかさはなかった。
「理解できないのも……無理は、ない……うぅっ……」
「落ち着け」
大きな背を丸め、目から零れるものを手で拭うグラネイト。そんな彼の背をウェスタはぽんぽんと軽く叩く。
「涙は似合わない」
「こ、これはっ……嬉し泣きだぞ……!」
「そうかそうか」
「馬鹿にしてるな……!?」
「まさか。馬鹿になんてしていない」
そこまで言って、ウェスタは「そうだ」と話題を切り替える。
「エアリ・フィールドからこれを貰った」
そう述べるウェスタの手には、三本の瓶。
「何だそれ。薬か?」
「効果は……止血、鎮痛、緊張緩和らしい」
「ふはは! それは良いな!」
「使っていいと言われた。……もし何かあれば使え」




