episode.191 彼女の心の変化
「それで、他には何が? まさか一つだけじゃないわよね」
発明品を売りにやって来たトランに、私は問いかける。商品が他にもあるのなら、それも見てみたいから。
「あるよー。たとえば」
トランは鞄から次の商品を取り出す。
今度は瓶だった。
それも、手のひらに収まりそうな小さなサイズの瓶だ。
そんな瓶を、彼は、次から次へと出してくる。一二本でないから驚き。
「これはかけるだけで止血できる薬でー、こっちは塗ると痛みが消える薬ー。それからこれは、緊張が楽になる薬だよー」
もしトランの言葉は真実ならば、凄すぎる効果の薬たちだ。戦いの運命を背負う者なら持っていて損はない顔触れと言えるだろう。
「凄いわね……」
「だよねー」
「でも……本当に効果があるの?」
こんなことを確認するのは失礼。そう分かっていながらも、私は確認した。確認せずにはいられなかったのだ、効果が凄いから。
「うんうん、あるよー。ボクで試してみたから、絶対ー」
「……試してみたの?」
「うん。実際に試してみないと効果が分からないからさー」
軽やかに言って、トランは袖を捲る。そうして露出した腕には、いくつか刃物で切りつけたような傷があった。
「ほらねー。証拠」
「何これ!? 酷いわね……」
「ボクが実際に使ってみたんだから、効果は怪しくないよー」
傷を見せられ、ここまで言われたら、信じないわけにはいかない。お人好しと笑われてしまうかもしれないけれど、私は信じてしまう。
「良いわね、その薬」
「うんうん。じゃあ、買ってくれるー?」
「いくら?」
金のことを大きな声で言いたくはない。だが、価格は買い物をするにおいて最も大切なところであることは事実だ。
「そうだねー……じゃ、一本五百イーエンでどうかなぁ?」
「何とも言えない価格ね」
効果を考えれば高くはない気もするけれど……。
そんな風に思っていたから、ついつい曖昧な態度を取ってしまった。
「えー? 気に食わないのー?」
「ちょっと待って。考える時間が欲しいの」
「買ってくれないかなぁ」
「待って待って!」
トランは不満げに唇を尖らせる。
——その時。
「何の話をしているのかしら?」
背後からエトーリアが現れた。
「母さん!」
「これは何なの? エアリ」
今日も若々しいエトーリアは、整った顔面に穏やかな笑みを湛えながら、ゆったりとした口調で尋ねてきた。
しかし——事情を説明しなくてはならないとは、厄介だ。
理不尽なことを求められているわけではない。事情をきちんと説明するのは、当たり前のこと。
ただ、どうしても、面倒だと思わずにはいられない。
「えぇと、これは……」
説明しようと口を開きかけた瞬間。
「ふふふ。役立ちそうな物を販売に来てたんだー」
トランが口を挟んできた。
遠慮がない。
「あら、そうだったの」
「色々あるって聞いたから、少しでも力になれたらなぁってー」
「そういうことだったのね」
エトーリアは柔らかな目つきでトランと言葉を交わしている。エトーリアとトラン、この二人は意外と相性が良さそうだ。
「で、どんな物を売っているのかしら?」
「説明するよー。これは薬で……」
トランはエトーリアに向けて説明を始めた。
後はエトーリアに判断してもらえば良い。敢えて私が決めることもないだろう。買うとしたら彼女の稼ぎで買うわけだから、判断も彼女に任せる。
私は一旦その場から離れた。
数十分ほどが経過して。
「エアリ! 薬買っておいたわよ!」
結局、エトーリアは薬を色々買っていた。
しかも一二本ではない。
「え。買ったの」
「そうよ! 三種類を二本ずつ、一応買っておいたわ」
どの程度効くのか気になっていた部分はある。だから、エトーリアが購入する道を選択をしてくれたことは、私にとってもラッキーなことだ。
「使うでしょう? はい」
エトーリアは瓶六本を一気に手渡してくる。
いきなり一斉に渡されても困るのだが。
「え、あ……ちょ……」
「はい!」
「ま、待って。そんなにいっぱい持てないわ」
束ねてあるならともかく、バラバラに渡されたら困ってしまう。たとえ小さな瓶であっても、持ちづらさは同じだ。
「じゃあ、一旦床に置くわね」
「その方が助かるわ……」
六本を一斉に渡されたら一本くらい落としてしまいそうだ。
「ありがとう母さん。彼を追い出したりしないでくれて」
エトーリアが床に置いた瓶を一本ずつ丁寧に持ちながら、私はさりげなくお礼を述べる。
「しないわよ、そんなこと」
「でも、母さんは、こんなややこしいことに巻き込まれたことを怒っているのではないの?」
するとエトーリアはふっと柔らかく笑みをこぼす。
「怒ってなんていないわ。わたしはただ、エアリの身を案じているだけよ」
「そうなの?」
「えぇ。それと——エアリを彼と引き離そうとするのは、もう止めることにしたの」
彼とはリゴールのことなのだろう。引き離そうとするのを止めてもらえるなら、それは嬉しいことだが。
「エアリの人生はエアリのものだものね……」
そう述べるエトーリアは寂しそうな顔をしていた。
私の人生は私のものだと、そう言ってもらえたことは嬉しいことだ。それは、一人の人間として認められたということだから。
でも、寂しそうな顔をされたら、少し不安になってしまう。
何かあったのか、と。
「母さん? 何かあったの?」
「いいえ、何もないわ。ただ……この前バッサさんと少し話をしていてね」
エトーリアの艶のある唇がゆっくりと動く。
「エアリが本気でやろうとしていることがあるなら、させてあげても良いのではないかって。あの人は、そんな風に言ったの」
「バッサさんが?」
「えぇ」
長年働いてくれているベテランとはいえ、バッサはあくまで使用人だ。その彼女が現在の主人であるエトーリアに意見を述べるのは、覚悟が必要なことだっただろう。意見を述べて主人を怒らせてしまえば、職を失うことにも繋がりかねない。
それでもバッサは言ってくれたのだ。
私が、自分で選んだ道を、真っ直ぐに歩んでゆけるように。
「だからね、エアリ。彼と共に行くことは、貴女がやりたいことなの? ……それだけ聞かせて」
何度も心を決めた。
でも幾度も不安になった。
だけど、本当はリゴールと共にありたい。それが本心であることだけは分かる。
これからもきっと不安になるだろう。
恐怖に襲われ逃げ出したくもなるだろう。
それでもリゴールと生きたい——それが私の願いなのだとしたら。
「やりたいことよ」
口から出すべきは、この言葉。
「私は、リゴールのために戦いたいの」




