episode.186 我が女となるならば
グラネイトに絞まる首輪を装着させた王は、ゆったりとした足取りでウェスタの方へ向かっていく。ウェスタは口を開きはしないが、警戒心剥き出しの顔で王を睨んでいる。
「お主は……我が女となるなら許してやらんこともないぞ」
王はウェスタに衣服が触れ合うほど近づき、片手を伸ばす。そしてその指先で、ウェスタの顎をそっと撫でる。
「ウェスタに触るな!」
グラネイトが叫ぶ。
王の手がウェスタに触れるのが耐えられなかったのだろう。
「男は黙れ」
大きな声を出したグラネイトを、王は恐ろしい目つきでを睨む。それはもう、血まで凍りつきそうな睨み方だった。
直後、グラネイトは詰まるような声を漏らす。
「う……ぐっ、またか!?」
彼は首を気にしている。どうやら、王が睨んだのと同時に、首輪が再び絞まり始めたようだ。
「裏切りは罪。しかし、女として我に仕えることを誓うなら、水に流してやっても構わぬ」
王はウェスタの顎を舐めるようにゆっくり撫でてから、彼女の背に片腕を回す。そして、その身を一気に引き寄せる。
「どうだ?」
「断る」
ベタベタとウェスタに触れる王に腹が立っているのか、グラネイトは震えていた。こめかみには血管が浮かんでいる。
「我が女となることこそ、ブラックスターの民、皆の幸福……にもかかわらず、拒むというのか?」
最初素朴そうだった青年——ダベベは、様子を見ているだけ。王の少し後ろに控え、動かない。今のところ仕掛けてきそうな感じはない。
グラネイトはまだ怒りに震えている。
「……だが、一つ条件がある」
王に接近され、触れられているにもかかわらず、ウェスタは落ち着き払っていた。
もしかしたら、そう見せているだけかもしれないけれど。
「何だと?」
「ホワイトスターの王子は無害。それゆえ、見逃すというのはどうか」
「馬鹿なことを」
「彼を見逃してくれるなら……王の女になってもいい」
驚きの進言だ。
ただ、ブラックスター王がすんなり頷くとは思えないけれど。
「馬鹿め、それは無理だ」
やはりそうなった。予想通りの展開だ。王がウェスタの出した提案を飲むなんてことは、あり得ない。
グラネイトは、ウェスタに触れている王の手を凝視し、全身をガタガタと震わせている。
首輪が首を絞めてくるのは、今は止まっているようだ。そういう意味では、少し安心。でも、首輪がいつまた動き出すかは分からないから、油断はできない。
「では、グラネイトに首輪をつけない代わりに口づけというのはどうか」
「それは禁止ッ!!」
ずっと震えていたグラネイトが、ついに口を開いた。
「ウェスタの唇はグラネイト様のものだぞッ!!」
「馬鹿」
「んなっ!? ウェスタ! ここで『馬鹿』は酷くないか!?」
グラネイトはある意味平常運転と言えよう。
ウェスタは彼に構わず、王へ視線を戻す。
「どうだろう」
「なるほど……お主、なかなか面白い。気に入った」
——次の瞬間。
王はウェスタの体を抱き寄せ、唇をつけた。
それと同時にグラネイトの首輪が外れる。
しかしグラネイトは、首輪が外れたことなどちっとも気づいていない。
「おおぉぉぉぉいッ!!」
ウェスタの唇を奪われたことがよほどショックだったのか、グラネイトは床に伏せて大声をあげる。しかも大声をあげるだけではない。両の拳をドンドン床に叩きつけている。
やがて、口づけを終えた王は、ニヤリと笑いながらグラネイトを見下す。
「首を折るより心を折る方が愉快だな」
……悪質だ。
「そして」
直後、王は急にウェスタの腹を殴った。
「っ……!?」
防御する間もなく打撃を受けたウェスタは、唖然とした顔で数歩後退する。
「この一撃は、我が女になることを拒んだ罰だ」
「くっ……!」
「そして」
一秒も経たないうちに、黒い首輪がウェスタの首についた。
「これは裏切りの罰よ」
「そうくる、か」
「安心しろ。お主の面白さに免じて、そこの馬鹿男には首輪をつけないようにしてやる」
「……それで十分」
首輪に首を絞められそうになったウェスタに、グラネイトは駆け寄る。
「ウェスタ! 何をしている!」
グラネイトが大慌てで駆け寄って来ても、ウェスタは落ち着いた表情のままだ。首輪に狼狽えるどころか、炎を出現させて戦闘体勢に入っている。
「……グラネイトは護衛を抑えろ」
「だがウェスタ! 首が!」
「まだいける」
ウェスタは帯状の炎を出現させつつ、王に向かっていく。
彼女は仕掛ける気だ。
王は動かない。しかし、護衛役のダベベが立ち塞がる。
「させないべ!」
だが一対二ではない。王にダベベがいるように、ウェスタにはグラネイトがいる。
「邪魔をするな!!」
グラネイトの怒りは頂点に達している。そんな彼の蹴りは、言葉で表せない、尋常でない威力。ダベベの体は一瞬にして後方へ吹き飛んだ。
「正面から挑むか、馬鹿女」
刹那、首輪が急激に絞まり出す。
ウェスタの目が見開かれた。
「死ね」
「……あ」
ウェスタの動きが崩れた。
数秒でバランスを崩し、ぐらりとよろける。
そして——その腹部を、黒いものが貫いた。
「ウェスタ!!」
ダベベを蹴り飛ばしたところだったグラネイトは、ウェスタが腹を貫かれたところを見て、悲鳴のような叫びを放つ。
だが、ウェスタの方へは行かず、王の体に回し蹴りを叩き込んだ。
「ぬぅ!?」
想定外の方向からの攻撃に、王は膝を曲げる——そこへ、ウェスタの炎が迫る。
「ぐぁ!」
王はバランスを崩していたため避けきれなかった。
着ていた衣服に炎が移る。
「く……ここは一旦退く!」
「ま、待つべ……」
「ダベベは自分で退け!」
「わ、分かったべ……」
こうして、ブラックスター王とダベベは撤退したのだった。
静寂が訪れる。
敵は去ったが、ホッとはできない。
「ウェスタ! しっかりしろ!」
腹を貫かれていたウェスタに駆け寄ったグラネイトが、沈黙を破る。
「ウェスタ! 聞こえるか!?」
「……うる、さい」
「なぜあんな無茶をした!」
王が退いたからか、黒い首輪も腹を貫いていたものも消え去っている。でも、だから解決、とはいかない。首はともかく、腹部の傷からは血が流れ出ているから。
「……すまない」
「謝るな!」
グラネイトはウェスタにそう言ってから、顔を上げる。
「エアリ・フィールド!」
「私!?」
「医者だ! 医者を呼んでくれ!」
「え。時間がまだ……」
ウェスタの命のためにも、早く手当てしなくてはならない。それは分かっている。でも、まだ医者を呼べる時間ではない。
「取り敢えず、バッサを呼んでくるわ」
バッサも手当ては得意だ。医者ほど専門的な治療はできないだろうが、簡易的な手当てならできるだろう。




