episode.185 首筋が粟立つ
「お邪魔してもいいべ?」
扉の向こうから聞こえてくるのは、純粋そうな男性の声。
声を聞く分には、いかにも悪人といった雰囲気ではない。だが、夜に他人の家に入ってきているというだけで犯罪に近い行為なので、善良な一般人と判断するわけにはいかないだろう。
「……どうする、グラネイト」
「声の主は多分王の護衛だぞ。出ない方が良い」
いつもは騒々しいグラネイトも、今は小さな声で喋っている。日頃は大きな声ばかり出す彼だが、声のボリュームの調整は少しくらいはできるようだ。
「もし今入っちゃ駄目なら、そう言ってほしいべ! そしたらちょっと待つべ!」
返事した方が良いのか否か、難しいところだ。
ここにいるのが私一人だったら、恐らく、とっくに返事していただろう。でも今は制止してくれる者が傍にいる。だから、すぐに返事してしまったりはしない。
「返事なしだべ? 誰もいないってことだべな? じゃあ——」
その直後。
ばぁんと刺々しい音が響き、一瞬にして扉が飛散した。
私は反射的に両腕を体の前に出す。防御するような体勢で。しかし、飛散した扉の破片は、私には命中しなかった。
おかげで無事。幸運だ。
だが、破片が命中しなかったからといってすべてが上手くいったというわけではない。
「ちょっくら失礼するべ!」
少量の埃が舞い上がる中、現れたのは一人の青年。
頭に布巾のようなものを巻いているところ以外、すべてが平凡な青年。少し気の弱そうな顔立ちをしている。
彼はキョロキョロと辺りを見回し、人の陰を目にするや否や、ハッと目を開く。
「……んあ?」
青年は凛々しい顔立ちではないから、少しばかり間抜けな印象がある。
が、だからこそ怪しさを感じてしまう。
「人がいるべか……?」
部屋に人間がいることには気づいたものの、誰がいるのかまではまだ分かっていないようだ。
そんな青年に向け、グラネイトは球体を放つ。
球体は驚くべき速さで飛んでゆき、青年の近くで一斉に爆発。恐るべき先制攻撃である。
——だが。
「あれ? 今、何か起こったべ……?」
爆発によって発生した煙が晴れた時、青年は無傷でその場に立っていた。
意外と落ち着いている。
大爆発とまではいかないが、それなりの爆発ではあった。いきなり爆発に巻き込まれれば、普通は、無傷であったとしても取り乱しそうなものだが。
「……効いていないだと!?」
見ていた私も驚いたが、グラネイト本人も愕然としていた。
その声を聞いてか、青年は急に視線をグラネイトに向ける。
「兄さん確か——裏切り者の中にいたべな」
最初目にした時は素朴な印象だったが、今は少し違った雰囲気をまとっている。上手く言葉で説明はできないが、どことなく冷たさや鋭さがある、といった感じだろうか。
「取り敢えず倒すべ」
青年は床を蹴る。
そして、一気にグラネイトの方へ接近する。
「何っ!?」
「ごめんべ」
青年が取り出したのは短剣。
彼はそれを、一切の躊躇いなく、グラネイトに向けて振る——だが、一筋の炎がそれを制止した。
そう、ウェスタが術を放って青年の攻撃を妨害したのだ。
「何だべ!?」
想定外の乱入に戸惑う青年。状況を飲み込もうとするあまり、決定的な隙が生まれる。
グラネイトはそこを見逃さなかった。
遠心力も加えつつ、長い脚で回し蹴りを放つ。
炎がやって来た方向に意識を向けていた青年は、すんでのところでグラネイトの蹴りに気づいた。が、それを避けられるほどの反応速度はなくて。結局、青年はグラネイトの回し蹴りをまともに食らうこととなった。
「だべっ!?」
右脇腹に蹴りを入れられた青年は、勢いよく飛んでいく。そして、かつて扉があったところの縁に激突。そのまま床に崩れ落ちる。
「ふはは! グラネイト様に勝てると思うなよ!」
「……一人だったらやられてたと思うけど」
「だな! ふはは! ウェスタの発言はいつも痛いところを突いてくるぞ!」
グラネイトは相変わらずのハイテンション。しかし、ここしばらくは小声で話していることが多かったので、この騒がしい声を聞くのは久々な気がする。何だか妙に懐かしい。
「うぅ……いきなり酷いべな……」
ホッとしたのも束の間、青年はもう起き上がってきてしまう。
グラネイトの回し蹴りの直撃を受けながら、数十秒ほどで立ち上がることができるとは、驚きのタフさだ。
「でも、やっぱり王様の言う通りだべ」
青年は短剣を握っていない方の手で右脇腹を擦っている。しかし、痛そうな顔をしているわけではない。痛いのか否か、よく分からない。
「裏切り者は危険な人たちだべ」
素朴な印象だった彼の口から出てくるのは、危険な空気の漂う言葉。
「罰を与えるべきだべ」
青年がそこまで言った、その時——。
「そうだな、ダベベ」
突如、地鳴りのような低い声が部屋に響いた。
それを聞いた瞬間、グラネイトとウェスタの表情が凍りつく。
確かに迫力のある低音だ。でも、聞いただけで血まで冷えきるほど恐ろしい声ではない。それに、言葉自体も、そこまで恐怖心を掻き立てるようなものではない。にもかかわらずグラネイトとウェスタが顔を強張らせたのは、多分、その声の主が絶対に会いたくなかった者だからなのだろう。
「ダベベ、お主は良い子だ。これからも我がブラックスターの忠実な家臣であれ」
「そ、それはもちろんだべ」
「良い」
ダベベと呼ばれている、最初は素朴な印象だった青年。その後ろから、一人の男が現れた。
黒い装束に身を包んだ、痩せ型の男。
地獄の底から這い上がってきたかのような禍々しい空気をまとっている。
「さて。裏切り者ども……久しいな」
男がこちらへ視線を向けた瞬間、首筋が粟立つのを感じた。
いや、厳密には、彼が視線を向けたのは私ではない。彼が見たのはグラネイトとウェスタだ。
にもかかわらず、私までぞっとした。
それほどに、男の目には憎しみが渦巻いていたのだ。
「では見せしめといこう」
男はそう言って、裾の広い袖に覆われた片腕を静かに持ち上げる。すると、彼の視線の先にいたグラネイトの首もとに、黒いリングが現れる。そのリングは数秒で、状況が掴めず戸惑っているグラネイトの首に、ぴったりと装着された。
「何だこれ……!?」
グラネイトは混乱している。
その間に、男はぱちんと指を鳴らした。
すると驚いたことに、黒いリングがグラネイトの首を絞め始めた。
「ちょっと! 何するの!?」
私は思わず叫んでしまう。
すると男に睨まれた。
「裏切り者を許してはならぬ。それを皆に知らしめるためにも、裏切った罪人には厳しい罰を与えるべし」




