episode.172 口移し
その日の夕方頃、グラネイトは目を覚ました。
バッサから知らせを受け、ウェスタは彼のもとへと急行。私はそれに同行した。
もちろん、でしゃばって同行したわけではない。ウェスタが「一緒に来てもらえると助かる」と言ってきたから、共に行くことにしたのだ。
「ウェスタ!」
目的地に到着するや否や、床に横たわっていたグラネイトは体を起こす。
「グラネイト、調子はどうだ」
ウェスタはやや早足気味で彼の傍まで行き、しゃがみ込む。
「……大丈夫なのか、グラネイト」
グラネイトが絡んでくる時、彼女はいつも面倒臭そうな顔をする。そして、恐ろしいほど心ない接し方をする。それを見ていたら、ウェスタはグラネイトを嫌っているようにも思えるのだが、案外そうではないのかもしれない。
ウェスタはグラネイトにベタベタされるのは嫌い。
でも、グラネイト自体が嫌いなわけではない。
——そういう可能性だって、大いにある。
「ふはは! 何だか元気になっているぞ!」
本当に元気そうだ。先ほどまで意識を失っていたとはとても思えない。
「それは良かった」
「ふはははは! ……って、なにッ!? まさかウェスタ、グラネイト様のことを心配してくれて……!?」
グラネイトは口をぽっかり開けながらウェスタを見つめている。
「いきなり倒れる方が悪い」
「す、すまん! アレは完全に、こっちが悪かった!」
「……運ぶのが重たかった」
「すまん! だが、背が高いのはどうしようもない!」
「……分かっている。責める気はない……気にするな」
そんな風に暫し言葉を交わした後、グラネイトは初めて視線を動かした。ウェスタから私の方へと、彼の視線は移る。
「エアリ・フィールド!?」
言って、グラネイトは大袈裟に驚いたような動作をした。
そんなに大きな衝撃を受けるようなタイミングではないと思うのだが……。
「なぜに!?」
「ここは私の母の家です」
「何だとォッ!?」
驚きのあまり口を閉じられない、というような顔だ。
「ウェスタがここまで運んだのか!?」
「そう」
「ば、馬鹿な……。本気でエアリ・フィールドのところまで行くとは……」
私の存在に気づいてから大きな衝撃を受けてばかりのグラネイトに、ウェスタは冷ややかな視線を向ける。そして、述べる。
「……ここに連れてきてはいけなかったの」
どこか不満げな口調。
せっかくの気遣いを否定されたような気がしてしまったのかもしれない。
「い、いや! そうではないぞ!」
「……それは嘘」
「違う! ウェスタの行動を否定する気はない!」
グラネイトは慌てて言うけれど、ウェスタは不機嫌な顔のまま。
ある意味では、不機嫌な顔をできているだけ幸せと言えるかもしれないけれど。
それから十秒ほど沈黙があり、その後、ウェスタは小瓶を取り出す。そう、医者から貰っていた小瓶だ。
「……まぁいい。薬がある。飲め」
「薬!?」
「医者によれば、毒に効く薬だとか」
ウェスタは緑色の小瓶の蓋を開けると、その蓋に瓶内の液体を注ぎ入れる。そして、液体に満たされた蓋を、グラネイトへ手渡す。
「飲め」
すると、グラネイトは急に真面目な顔になって発する。
「ウェスタ。口移しで飲ませてくれ」
刹那、ウェスタの眉間のしわが倍増した。
手もぷるぷると震えている。
「いいから飲め……!」
震えているのは手だけではない。声もだ。
「口移しで飲ませてはくれないのか?」
グラネイトはさらに言う。
その直後、ウェスタは彼の蓋を持っている方の腕を強く掴んだ。
さらに、掴んだ腕を、無理矢理彼の口もとへと近づけていく。腕を怪我しているグラネイトは「痛!これは痛いぞ!」と嘆いても、お構いなしだ。
力ずくで飲ませられかけたグラネイトは、ついに降参する。
「す、すまん! 飲む! 飲むから!」
「……余計なことは二度と言うな」
「分かった分かった! もちろんそうする! だから離してくれッ!!」
グラネイトがそこまで言って、ウェスタはようやく手を離した。
体と体の距離の近さ。接し方の遠慮のなさ。それらを見ていたら、二人の間にどのような絆があるかはすぐに分かる。
「……飲むのは一日三回と言われている」
「そんなになのか!?」
「最初のうちは、そうらしい」
「このグラネイト様、薬は苦手だが……仕方がない。我慢するぞ! 我慢我慢!」
こうして、エトーリアの屋敷で暮らす人の数がまた増えた。
ただ、動けるウェスタが街でこっそり食べ物を買ってきたりしてくれるので、こちら側の負担は小さい。
初めてウェスタに会った時、デスタンの一番近くにありたいミセは、凄く警戒しているようだった。でも、ウェスタがデスタンの実妹なのだと知ってからは、ミセも警戒心を剥き出しにはしなくなって。ウェスタとミセは、ほんの少しの時間だけで、多少話したりできる関係になっていた。
一方グラネイトはというと、じっとしているのが若干辛いのか、いつもそわそわしていた。ただ、ウェスタが会いに来た時だけは、とても楽しそうにしていたけれど。
二人が屋敷に住み始めて五日ほどが経過した、ある日。
廊下を一人で歩いていると、突然、どこかからガラスが割れるような音が聞こえてきて。
剣を持ったまま、音がした方に向かって駆ける。
そこへ行くと、偶然か必然か、リゴールも様子を見に来ていた。
彼は手に本を持っており、険しい顔つきをしている。
「リゴール! 何かあったの!?」
「エアリですか……!」
目を凝らすと、彼の向こう側に謎の生物がいるのが見えた。
両腕が翼の形状になっているタイプが、三体ほど。
「先ほど、生物が侵入してきたようで!」
「いきなり!?」
よく考えてみればありそうなことではあるのだが、窓から突撃してくる可能性は考えていなかったため、少し衝撃を受けた。
でも、呑気に衝撃を受けている場合ではない。
目の前に敵がいるのだから戦わなくては。
「すぐに片付けます!」
リゴールは勇ましくそんなことを言うが、敵の狙いである彼を一人で戦わせるわけにはいかない。
「待って!」
だからこそ、私は前へ出た。
「ここは私が倒すわ」
「え!」
「ここだけじゃないかもしれないから、リゴールはこのことを皆に知らせておいて」
巨大な敵なら倒すのは難しいかもしれないが、腕が翼になっているこのタイプぐらいなら、私一人でも倒せるだろう。数も、大量にいるというわけではないし。
「し、しかし……!」
「大丈夫よ! 任せて!」
「は……はい。お気をつけて」
戸惑った顔をしながらも、リゴールは駆けていった。
「よし。倒すわよ」
ペンダントの剣ではなく、この前購入した剣を握る。
この剣で戦うのは初めて。だから、ペンダントの剣を握っている時とは少し違った、別の意味での緊張感がある。
でも、きっと大丈夫。
勝てる。




