episode.170 顔を合わせて驚いた
それは、朝のことだった。
エトーリアの屋敷に訪問者がやって来たのだ。
ここのところ訪ねてきた者が実は敵という流れが多かったため、警戒してはいたのだが、玄関で顔を合わせて驚いた。
「ウェスタさん!?」
玄関と扉を開けた時、その向こう側に立っていたのは、ウェスタ。しかも、彼女一人ではない。彼女は、グラネイトの脱力した体を抱えていた。
「……いきなりすまない」
彼女の赤い瞳には、微かに、不安の色が滲んでいる。
「ウェスタさん、一体どうしたの?」
「襲撃を受けた。できれば……この馬鹿を匿ってやってほしい」
正直、彼女がそんなことを言うとは思っておらず驚いた。
「グラネイトさんを?」
「毒を受け、動けなくなっている」
「そうなの!?」
「……馬鹿だ、この男は」
狙われている人間をこれ以上屋敷へ入れるなんて、危険かもしれない。リゴールがいるだけでもこれだけ次々敵が来るのだから、今以上狙われている人間を増やすべきではないのだろう。そんなことをしたら、バッサを始めとする一般人たちにも被害が出かねない。
……でも。
らしくなく不安げな顔をしているウェスタを目にしたら、「帰れ」なんて心ないことを言う気にはどうしてもなれなくて。
「分かったわ。取り敢えず入って」
だから私はそう言った。
「……失礼する」
「いいのいいの。気にしないで。どうぞ」
二人を招き入れた私は、早速バッサに事情を話す。
バッサは呆れていた。また人を受け入れるのか、と。
でも、怒ることはせず、医者を呼んでくれることになった。
「ウェスタさん。今、お医者さんを呼んでもらってるわ。だから、グラネイトさんは大丈夫よ」
床に寝かせたグラネイトの横に座り込み、彼を深刻な面持ちで見つめているウェスタに、私は声をかけてみた。
すると彼女は、僅かに顔を上げ、少しだけ笑みを浮かべる。
「……すまない。助かる」
それにしても、ウェスタは相変わらず美しい容姿をしている。
銀の髪は三つ編みにしても長く、しかしながらまったくぱさついていない。むしろしっとりしている。髪と同じ色の睫毛はよく目立ち、本物の睫毛とは思えぬくらいの華やかさ。
人を越えた人、というような容姿だ。
また、まとっている冷たい雰囲気も、人らしからぬ空気を高めている。
「でも、ウェスタさんたちにも襲撃だなんて、驚いたわ」
「少し前より狙われている」
「辛そうな顔をしているわね。大丈夫?」
「……問題ない」
彼女の口から出る言葉は、静かながらも強さを秘めたような言葉だ。だが、それが本当の言葉であるとは、とても思えない。襲撃され、仲間がやられたのだから、「問題ない」なわけがないのだ。強がっているだけだろう。
「ウェスタさん……あのね、こんなことを言うのは少しおかしいかもしれないけれど、辛い時は他人を頼っていいのよ」
そんなつもりはなかったのだが、やや上から目線な物言いになってしまった。
けれど、ウェスタは怒らなかった。
「……必要以上に頼る気はない。馬鹿を置いたら、出ていく」
「一人で出ていくの? 危険じゃないの?」
「迷惑はかけられない」
「ウェスタさん……全部一人で解決しようとしなくていいのよ」
私は彼女の赤い瞳を見つめながら、口を動かす。
「前はお世話になったから、今度はこちらが手を貸す番だわ」
するとウェスタは目を伏せた。
それから少し考え込むような仕草を見せ、やがて言う。
「……なら、この馬鹿を助けてやってほしい」
彼女の述べる言葉は真剣さに満ちている。
「こいつは……根っからの悪人ではない」
「そうね! 分かったわ!」
グラネイトがどのような状態なのかが分からない以上、すぐに回復するのか時間がかかるのか、その辺りは不明だ。
でも、力を貸すことはできる。
少なくとも、ここならば横になっていられる。それだけでも、外にいるよりかはましだろう。
「……本当に手を貸してくれるのか」
「えぇ。もちろんよ」
「すまない……本当に」
ウェスタは軽く俯いたまま、続ける。
「……お前には本当に申し訳ないことをした」
「え?」
「家を奪い、親しい者を傷つけた……その罪の重さは、ある程度理解しているつもり……だが、もはや償いようがない」
そんな風に述べる彼女の表情は暗かった。
ここで別れたら闇にまぎれて消えてしまいそうな、そんな気さえする。
「そんな顔しないで、ウェスタさん」
「……何」
「あの時の貴女はブラックスターに仕えていたんだもの、仕方ないわ」
私はそう思うのだが、彼女はそれでは納得できないようで。
「それは言い訳にはならない」
彼女は恐ろしいほどに淡々としていた。
ただ、とても悲しそうだ。
「罪は罪。それに変わりはない」
「そんなことないわ。いや、そうなのかもしれないけど……でも私は貴女を責めようとは思わないの」
「……それは嘘。そのくらい分かる」
「そんなことない! 嘘なんかじゃないわ!」
屋敷を焼かれたことも、村から逃げざるを得なかったことも、父親の命が失われたことも、どれも消えることのない事実。
でも、ウェスタはもう心を入れ替えている。
あの頃の彼女と今の彼女は同じではない。
だから、罪の意識に苦しみ続けることはない——私はそう思っている。
「私、もう気にしてないわ! だから、ウェスタさんも、そんなに自分を責めなくていいの!」
心をそのまま述べる。
それを聞いたウェスタは、戸惑っているようだった。
「……そうは思えない」
「貴女は思えなくても、私には思えるの」
「……そこまでして優しく見せたいのか?」
「ち、違うわよ! ちょっと失礼ね!」
するとウェスタは、ふふ、と笑った。
「……ありがとう。感謝する」
彼女の頬が緩むのを見た瞬間、私はなぜか妙にドキッとした。
もちろん、良い意味で。
「だが、礼をしないわけにはいかない。力になれることがあれば……今後も言ってほしい」
その頃になって、医者が現れた。
バッサもいる。この場所までの案内役として。
「お待たせして悪いねぇ」
六十代くらいの医者は柔らかな口調で謝りつつ、グラネイトの傍にしゃがみ込む。
「怪我人とは、彼のことかな?」
「はい。毒が入っているかもしれないとのことで」
医者の問いには、私が答えておく。
「毒。これまた強烈なのが来たねぇ」
「よろしくお願いします」
「もちろんもちろん。任せなさい」
医者との軽いやり取りを終えたタイミングで、バッサは、この場から移動することを提案してきた。医者がグラネイトを診てくれている間お茶を飲んで休憩してはどうか、という提案だった。
気分を変えることは大切だ。
特に、ウェスタは。
だから私はバッサの提案に頷いた。




