episode.169 生きていれば
ノックに応じたグラネイトは、ふくよかなシャッフェンに床に押し倒され、動けなくなってしまった。
それも、ただ押し倒されているだけではない。
術を使えなくする紙の効果で爆発の術は封じられ、さらに刃物を突きつけられているのだ。
「狙いはグラネイト様か!?」
「そうですねぇー。それも一つといえるでしょうー」
「……殺す気なのだな?」
「そりゃあ、裏切り者は始末しますよぅー」
刃物を出し、押さえつけ、と、シャッフェンは既に本性を露わにしている。にもかかわらず、表情も声色も穏やかそのもの。
「ここからは本気ですぅー」
シャッフェンは、刃物を持っているのとは違う方の手の指で、ぱちんと音を鳴らした。
途端に、彼の後ろから謎の生物が現れる。
二足歩行の蜥蜴のような生物で、身長は一八○センチ程度。全身が赤紫の鱗に覆われていて、尾は長く、手にはそのサイズに似合わない大きなかぎ爪が生えている。僅かに開いた口からは、鮫の歯のような歯がびっしり並んでいるのが見える。
「ふ、ふはは……! 恐竜か何かか……!?」
化け物のような大きく厳つい生物が突如出現したのを目にした時は、さすがのグラネイトも動揺を隠せていなかった。
「手下ですぅー! 中を調べさせますよぅー!」
シャッフェンの指示で、蜥蜴のような生物は小屋の中へ入っていく。
その頃になって、グラネイトはハッと思い出す——奥にウェスタがいることを。
「まずいっ!」
グラネイトは咄嗟に片足を振り上げ、シャッフェンが驚いた隙に彼の下から抜け出す。そして、青い顔になりながら、小屋の奥に向かって駆ける。
「無事か!?」
彼が駆けつけた時、ウェスタは既に、蜥蜴のような生物と向き合っていた。
「……グラネイト!」
固い表情で蜥蜴のような生物と対峙していたウェスタは、グラネイトが戻ってきたことにすぐに気づく。
「安心しろウェスタ! すぐに助ける!」
そう叫び、グラネイトは蜥蜴風生物に向かって躊躇なく突進していく。
蜥蜴風生物の意識が彼へ向く。
「グラネイト様、突進ッ!!」
気を引こうとしてか、グラネイトは敢えて大声を出す。蜥蜴風生物は、彼の方に体を向け、待ち構える。
グラネイトが放つ一撃目。
長い足による蹴りを、蜥蜴風生物は短めの腕で防ぐ。
直後、防御したその腕を上手く回転させて、グラネイトの足首を掴む。
「なにっ……ぐあっ!」
足首を掴まれたグラネイトは、そのまま、床に叩きつけられた。
さらに追い討ちをかけるように、蜥蜴風生物は爪による切り裂き攻撃を繰り出す。
グラネイトは両腕を前に出し、重傷を負うことを防ぐ。
もちろん腕に傷を負うことにはなるわけだが、彼は、そこは気にしていない様子。胴体に攻撃を受けるより良い、と考えての行動なのだろう。
「ウェスタ! 今のうちに逃げろ!」
爪に袖と腕を裂かれつつも、グラネイトは叫んだ。
それに対しウェスタは、少し呆れたように「……馬鹿」と呟き、同時に手のひらから帯状の炎を放つ。
ウェスタが放った炎は、蜥蜴風生物の鱗に護られた背中に命中し、一部分を軽く焦がす。
「……こっちへ!」
「な、なにっ!?」
「早くしろ……!」
「ふ、ふはは! 承知した!」
グラネイトは素早く立ち上がり、ウェスタがいる方へと駆ける。
「大丈夫か!?」
「怪我しているのは、そっち」
「あ、あぁ……まぁ、それはそうだが……」
ウェスタとの合流に成功した瞬間、グラネイトの顔に安堵の色が滲む。腕からは一筋の血が流れ出ているが、どことなく幸せそうな顔をしている。
「すまん、ウェスタ。こんなことになってしまって申し訳ない」
「……謝る必要はない。それより、作戦を」
「そうだな。ふはは! ウェスタの言う通りだ!」
ウェスタの顔つきもいつの間にやら少し柔らかくなっている。合流できた安心感による変化かもしれない。
「そうだ、一つ言っておかねばならない」
「……何」
「グラネイト様は術が使えない状態だ」
その言葉を聞いた瞬間、ウェスタは驚きに満ちた顔をする。
「なぜ?」
「さっき玄関で男に妙な紙を押し当てられてな、その紙のせいで術が封じられている」
「そう。……分かった」
ウェスタは、可愛らしさなど欠片もないあっさりした調子で返し、グラネイトの片腕を掴む。
「なら、ここは一旦退く」
彼女は冷静さを欠いてはいなかった。
だからこそ、戦闘ではなく、その場からの退避を選んだ。
グラネイトとウェスタは、森の木の陰へ移動した。
これはウェスタの術による移動だ。
場所移動の術はグラネイトも使える。が、今の彼は使えない。どんな術も使えない状態になってしまっているから。
「移動した!?」
「黙って」
「あ、あぁ……すまん。そうだな」
周囲に人の気配はない。
「で、ウェスタ。これからどうするんだ?」
「……正面からぶつかるのは危ない」
「だな! 厄介な相手だ」
日頃はわりと楽観的なグラネイトも、さすがに、シャッフェン及びその手下が危険な敵であることは理解していた。
「こんなことをしたくはない……でも、やむを得ない」
「何をするつもりだ?」
「兄さんたちの屋敷へ行く」
「何だとぉッ!?」
ウェスタの発言に、グラネイトは愕然とする。
目も豪快に見開いていた。
「協力を求める。それしかない」
「だ、だが、そんな作戦が上手くいくとは思えないぞ……?」
グラネイトは、相手が大事なウェスタだからか、強く否定することはしない。ただ、その声色や表情からは、ウェスタが述べる作戦への不安感が滲み出ている。
「なら二人で戦う? ……無謀。勝てる可能性は低い」
——その時。
グラネイトは急にハッとした顔をする。
「もしや……怖いのか!?」
そして、傷だらけの腕でウェスタを抱き締めた。
「そうだな、ウェスタ。それがいい。匿ってもらえ。そして、もう戦うな」
「……グラネイト?」
「グラネイト様もな、もうこれ以上ウェスタに怖い思いをさせたくないぞ」
触れられただけでも乱暴な返しをしていたウェスタだから、抱き締められたりなどした日には凄まじい仕返しをしそうなもの。
しかし、今、ウェスタはじっとしている。
蹴りを入れるでもなく。
拳を突き刺すでもなく。
ただ、面に戸惑いの色を浮かべているだけ。
「……何を言っている?」
「片付けはグラネイト様がやっておく。だからウェスタは、大好きな兄の傍で心身を癒やしてくるといい」
優しい言葉をかけられ続けるウェスタには、もはや戸惑いしかない。
「ただし、グラネイト様にも、また元気な姿を見せ——」
言いかけて、グラネイトは崩れ落ちる。
ウェスタは咄嗟に彼の体を支えた。だから、彼の体は転倒せずに済んだ。だが、彼の体が持ち直すことはない。
「グラネイト? どうした?」
「……すま……ん」
「しっかり」
グラネイトは辛うじて意識を保っているが、体は脱力しきっていて。そのせいで、ウェスタに覆い被さるような体勢になってしまっている。
「……これ、は……多分……毒だろう、な……」
「……毒?」
急に弱ったグラネイトを、ウェスタは不安そうに凝視している。
「……斬られた、ところから……回ったか……?」
「グラネイト、しっかり」
「……すまん……ウェスタ……」
「謝る必要などない」
ウェスタは両手を使ってグラネイトの大きな体をしっかり支える。
「……生きていれば、それでいい」




