episode.168 安らぎは続かない
「……はっ」
夜、音のない小屋の中、ウェスタは目を覚ます。
ベッドの上で上半身を起こし、額を伝う一筋の汗を片手で拭う。そして、闇の中、一人溜め息をつく。
「……また……夜」
ドリとラルクに襲撃されて以来、ウェスタは眠りづらい状態に陥っていた。
夜が来て、明かりが消えても、なかなか眠れず。ようやく眠ることができても、今度はすぐに目覚めてしまって。十分な睡眠をとることがなかなかできない。
ドリとの戦闘の際に負った傷は、グラネイトの熱心な手当てのかいあって、既に八割ほど回復している。傷が消えるところまで治癒してはいないが、動いても痛みはしない状態だ。
身体的には問題はない。
明日にでも戦いに復帰できそうな感じである。
だが、精神の方がなかなか晴れない。
暗闇にいると、ドリに襲われた時のことを思い出し、心が安定しなくなってしまう。緊張感の波が迫り、妙に目が覚め、なかなか眠れない。
ベッドに座ってウェスタがぼんやりしていると、床に布を敷いて寝ていたグラネイトが寝惚けた声を発する。
「んー……んん……?」
「……起きなくていい」
ウェスタはグラネイトを起こすまいと、冷たく返す。しかしグラネイトはそのまま起き上がってくる。
「あぁ……ウェスタ? また夜に起きたのか?」
グラネイトは目もとを擦りながら、まだ意識が戻りきっていないような声で言った。
「グラネイトまで起きなくていい」
「いや、ウェスタが困っているなら……グラネイト様も起きるぞ……」
「いいから寝ろ」
「相変わらず心ないな……」
少しばかり不満げに言いながら、ゆっくりと立ち上がる。そして、ウェスタが寝ているベッドに腰掛ける。
「大丈夫か?」
「平気。すぐまた寝る」
「嘘だな! 分かる、それは嘘だ!」
「……うるさい、黙って」
距離を縮めてくるグラネイトに不快そうな視線を向け、ウェスタは再び体を横にした。
眠れない状態にもかかわらず眠るような体勢を取るウェスタに、グラネイトは言い放つ。
「ふはは! 無理に寝ようしなくていいぞ!」
「……静かにして」
「静かにしていたら眠れそうなのか!?」
「……無理」
ウェスタが呟くように答えた瞬間、グラネイトは大声を出す。
「ふはは! やはりな! グラネイト様、大正解ィ!!」
誰もが大喜びするほど凄い正解ではない。ただ、グラネイトにとっては、大声を出して喜ぶほどの正解だったということなのだろう。
「案ずるな、グラネイト様がとんとんしてやる」
「……触りたいだけ」
「んなっ!? さすがに失礼にもほどがあるぞ!?」
ショックを受けたような顔をしているグラネイトだが、その手は既にウェスタをとんとんし始めている。
だがウェスタは、そのことに苦情を述べはしなかった。
「嫌じゃないのか? ウェスタ。とんとんさせてくれるのか?」
「……嫌と言っても無駄と判断した」
「何だそれ!?」
「もう好きにすればいい」
「ふはは! それはまた別の意味で悲しい!」
夜中に起こされ、気を遣えば冷たく接され、踏んだり蹴ったりなグラネイトだが、不幸そうな顔をしてはいなかった。それどころか、むしろ幸せそうな顔をしている。
そして、朝。
ウェスタが目を覚ました時には、グラネイトはもう起きていた。
「ふはは! おはようウェスタ!」
ウェスタの起床を心待ちにしていたらしく、グラネイトは即座に挨拶をする。
「……馴れ馴れしくするな」
「何を言う! 挨拶くらい自由にさせてくれ!」
「……まぁそうか。なら好きにすればいい」
挨拶に関しては、先に折れたのはウェスタだった。
彼女はベッドから離れ、流しへ向かう。そして水で顔を洗い、グラネイトがいるテーブルのところまで戻ってきた。彼女はそのまま椅子に座る。
「朝は食べるか?」
「要らない」
「承知した! ふはは!」
楽しげな声を発しながら、グラネイトはウェスタの背後へ回る。そして、大きな両手でウェスタの両肩を掴む。
「……何をしている」
ウェスタは冷ややかに放つ。
だがグラネイトは怯まない。
「肩のマッサージだぞ!」
「離して」
「それは無理だ! なぜなら、手が滑ってついつい肩を触ってしまうから!」
グラネイトは朝からハイテンション。ウェスタはちっとも乗ってこないというのに、一人、物凄く楽しそうな顔をしている。
一方、ウェスタは、起床した時には明るい顔つきではなかったが、今は少し笑っている。ただ、それは、楽しいからとか嬉しいからとかの笑みではない。呆れ笑いだ。
「……馬鹿らしい」
「それは、ウェスタ馬鹿の間違いだろう!?」
「え」
「ウェスタを好きすぎる馬鹿。それならグラネイト様も納得だ! ふはは!」
グラネイトは楽しそうにウェスタの肩を揉んでいる。
「肩揉みが終わったら、傷の消毒するからな!」
「……順番が変」
「そこを突っ込むんじゃない」
二人の間に何とも言えない空気が漂っていたその時、突如、扉をノックする音が空気を揺らした。
ウェスタは反射的に身を震わせる。その顔面には、怯えの色が微かに滲んでいた。その顔色から彼女の心情を察したのか、グラネイトは静かに「見てくる」と言って、玄関の扉の方へと歩いていく。
グラネイトが玄関の扉を開けると、そこには、一人の男性が立っていた。
キノコの笠のような形をしたピンクの帽子を被っており、体のラインは丸みを帯びていて、やや肥満気味——そんな男性だ。
彼がブラックスターのシャッフェンであるということを、グラネイトは知らない。
「朝から何の用だ?」
「いきなりお邪魔してすみませぇーん」
グラネイトは眉間にしわを寄せる。
「用を言ってくれ」
「少し失礼して構いませんかぁー?」
「断る。事情の説明無しで入れるわけにはいかない」
するとシャッフェンは、唇を突き出し尖らせ、二つの拳を口もとに添えるポーズをとる。さらにそこから、下半身を左右に往復させる。
「何なんだ……?」
さすがのグラネイトも動揺を隠せない。
「厳しすぎますよぅー。悪いことはしないので、入れて下さぁいー」
「いや、だから、事情を説明しろと——ぶっ!?」
グラネイトが言い終わるより早く、シャッフェンは動いた。
そう、グラネイトに飛びかかったのである。
シャッフェンの動きを予測していなかったグラネイトは、ふくよかな体に飛びかかられバランスを崩した。結果、そのまま尻餅をつく形になってしまう。
直後。
その首に、銀の刃が触れる。
「なっ!?」
いきなり刃を向けられ、グラネイトは顔全体の筋肉を引きつらせる。
「すみませんが、死んでもらいますぅー」
「何をする!」
シャッフェンの腕を掴もうと片腕を伸ばす——が、逆に、伸ばした腕を刃に傷つけられてしまう。
「ぐっ……!」
顔をしかめるグラネイト。
ニヤニヤ笑みを浮かべるシャッフェン。
「抵抗したら次は首を斬りますよぅー?」
「ブラックスターからの刺客だな!?」
今になって察したグラネイトは叫ぶ。が、シャッフェンはそれを無視し、刃物を持っていない方の手で紙のようなものを取り出す。
「大人しくして下さいねぇー」
シャッフェンは、取り出した紙のようなものをグラネイトの胸元に押し付ける。
「ぐっ!? 何だ、今の紙は!?」
「術を使えなくする効果のある紙ですぅー。さぁ、大人しく死んで下さいー」




